中欧のオーストリアはローマ・カトリック教国だ。8日はそのカトリック教会の祝日「聖母マリアの無原罪のみ宿り」だ。8月の「聖母マリアの被昇天」と共に、聖母マリアの2大祝日に当たる。
1995年前まではその祝日に店を開いて商売すれば、労働組合から制裁を受けた。1990年代には、メディアでも「12月8日に店を開くことは容認されるか」で論争があったが、現在は店をオープンしていても労組から罰金を科せられることもないし、メディアも「12月8日論争」などには興味を示さなくなった。
スーパーの店舗のオーナーが12月8日にも店を開くと言えば、それでOKだ。ただ、REWEグループのスーパーは「店員のために祝日は店を閉じる」と決めている一方、オーストリアの大手スーパー「Spar」は開店時間を少し遅くし、閉店時間を少し早めるが、平日通り商売をする。
12月に入れば、クリスマス商戦でどこの商店街も大賑わいだ。「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の8日、店を閉じればそれだけ売り上げに響くため、店をオープンする傾向が年々増えている(12月8日は金曜日で公休日だから、土、日の週末を入れて3連休となる)。
ところで、「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の場合、1708年にクレメンス11世(在位1700~21年)が世界の教会で認定し、1854年、ピウス9世(在位1846~78年)によって正式に信仰箇条として宣言された。「マリアは神の恵みで原罪なくして生まれた」という教えだ。
キリスト教会はカトリック教会でもプロテスタント系教会でも聖書が聖典だが、その聖書の中には聖母マリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。新約聖書「テモテへの第1の手紙」2章5節には、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」と記されている。聖母マリアを救い主イエスと同列視する教義(無原罪のみ宿り)は明らかに聖書の内容とは一致しない。
にもかかわらず、カトリック教会は「聖母マリアの無原罪のみ宿り」を教義とするだけではなく、「聖母マリアの被昇天」と共に聖母マリアを称え、お祝いする。聖母マリアが無原罪で生まれたとすれば、罪なき神の子イエスと同じ立場となり、「第2のキリスト」という信仰告白が生まれてくる一方、キリストの救済使命の価値を薄める危険性が出てくるから、中世のトマス・アクィナスらスコラ学者は聖母マリアの無原罪説を否定してきた経緯がある。
ちなみに、プロテスタント教会や正教会では聖母マリアを「神の子イエスの母親」として尊敬するが、聖母マリアを“第2のキリスト”と見なす聖母マリア信仰はない。ちなみに、マリアは父ヨアキムと母アンナの間に生まれたことになっている。
カトリック教会はその後、イエスの母親マリアを聖化し、「聖母マリアの被昇天」、「聖母マリアの無原罪のみ宿り」という教義を打ち立て、聖母マリアを第2のキリストの地位まで奉ってきた。
参考までに、ナチス・ドイツ政権時代、ヒトラーは12月8日の「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の祝日を廃止した。「聖母マリアの祝日を休日とせずに、国民はもっと働くべきだ」というのがその理由だった。
多くのカトリック信者はカトリック教会の教義にあまり関心がない。教義について、ああだこうだという人は聖職者か神学者、それに数少ないが聖書を通じて真理を探究する人々だけだろう。教会の礼拝に規則正しく参加する敬虔な信者は教義には関心を示さない一方、教会主催の慈善活動やコンサートなどイベントには小まめに参加する。教会は社交の場となっているのだ。
当方が初めてオーストリア入りした1980年代初頭、カトリック信者数は同国人口の80%をはるかに超えていた。それがグロア枢機卿の教え子への性的虐待が発覚して以来、教会に背を向ける信者が年々増加し、今や人口の50%を辛うじて維持しているだけだ。人口の過半数を割るのはもはや時間の問題と見られている。
12月8日の「聖母マリアの無原罪のみ宿り」の祝日に、教会ではミサなどが挙行されるが、信者を含め多くの国民はクリスマス用のプレゼント買いに奔走する。そして信者を含め大多数の国民は8日の「聖母マリア無原罪のみ宿り」がどのような意味を持っているかを深く考えることはない。12月8日は国民の休日であり続けるだろうが、カトリック教会の祝日としては既に意味を失っている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。