21世紀の「聖体祭」について

欧州のカトリック国では30日(木曜日)は「聖体祭」で祝日だった。「聖体」とは生きているイエス・キリストの体を意味し、それを崇敬する祭日だ。イエスが十字架にかかる前、弟子たちにパンを見せて、「これは私の肉だ」といい、ぶどう酒の入った杯をとって「これは私の血だ」と語り、分け与えたという話から由来している。信者はホスチアと呼ばれる小さなパンをミサの時に受けることで生きたイエスが共にあることを祝う。「聖体祭」は初期キリスト教会からあった伝統ではなく、13世紀、ベルギーの教会で始まった風習が今日まで伝わってきたものだ。

ウィーン市内のカトリック教会の「聖体祭」の礼拝風景(2024年5月30日、ウィ―ン市16区で)

聖体祭には聖職者たちが聖体顕示台を抱えて市中を歩く「聖体行列」と呼ばれる儀式がある。行列には神父や司教たちの後に信者たちが列を作って一緒に進む。聖体行列を初めて見た時、新鮮な驚きを感じた。信者たちは讃美歌などを歌いながら路上をゆっくりと歩く。聖体顕示台はモーセ時代の幕屋に似ている。

イエスの十字架の死から3日後の復活(イースター)から始まり、キリスト昇天祭、聖霊降臨祭(ペンテコスト)そして聖体祭を迎えると、教会の春の主要行事は終わる。その意味で、聖体祭は春に終わりを告げる前の最後の儀式、風物詩といえるかもしれない。聖体祭は聖霊降臨祭(日曜日)から2週目の木曜日となっている。いずれも移動祝日だ。

ドイツではバイエルン州やヘッセン州など6州では聖体祭は祝日だが、北部の州ではそうではない。一方、オーストリアはカトリック国なので30日は祝日だ。31日の金曜日を休むと、木、金、土、日の4連休となるため旅行に出かける国民も少なくない。ドイツ方面の高速道路は移動する人々の車で長い列が出来る。

勤労者にとって、一日でも多く休日があるほうが嬉しい。ただ、クリスマスや復活祭は別にして、宗教に関連した祝日の意義や意味を知っている人は少ない。例えば「聖母マリアの被昇天」(8月15日)などの祭日の宗教的意味が分からない人は結構多い。

オーストリア教会の最高指導者シェーンボルン枢機卿はウィーン市のメトロ新聞「ホイテ」に「聖体祭とは」といったテーマでコラムを掲載している。そこで聖体祭の意義、由来などを紹介していた。

ところで、欧州のキリスト教会では聖職者の未成年者への性的虐待事件の多発、不正財政問題などで信者の教会離れが急速に進んでいる。オーストリア、そして隣国のドイツでも教会から脱会する信者は多い。ドイツ福音教会(EKD)によると、プロテスタント教会は昨年、約59万人が減少した。2023年末時点で、EKDの20の地方教会に所属している信者数は約1856万人だ。ドイツでは新旧両教会を合わせると、ここ数年間、年100万人前後の信者が教会から去っている。一方、オーストリアではあと10年もしないうちに、カトリック教会の信者は国民の50%以下になると予想されている。当方が1980年にオーストリアに初めて入国した時、国民の80%以上がカトリック信者だった(「宗教改革者ルターが怒り出す『報告書』」2024年1月28日参考)。

21世紀の今日、生きたイエスの聖体を崇敬する「聖体祭」はいつまで教会の祭日として祝われるだろうか。12月8日の「無原罪の聖母マリア」の祝日では、カトリック国では会社、学校は休みとなるが、「人々がプレゼントを買う絶好の時季のクリスマス営業にマイナスが大きい」という理由から、12月8日の祝日に商店のオープンが可能になったいきさつがある。社会の世俗化の波は激しい。その中で教会の祝日が生き延びていくことが出来るだろうか、と考えざるを得ないのだ。

聖体祭を含め、宗教的祭日、式典、儀式にはそれなりの意味と意義があることは間違いない。宗教的儀式には人間の本源的な願いを目覚めさせるシンボル的な意味が含まれているように感じる。アイルランド出身の作家オスカー・ワイルド(1854~1900年)は死の直前、その式典の美しさゆえにカトリック教会に改宗している。教会の中には歴史を通じて洗練されてきた式典、儀式が多い。無形な神について、聖画などを通じて具象化されてきた。式典、儀式もその一つの表現方法だろう。パンとぶどう酒をイエスの聖体として拝領する「聖体祭」は非常に創意性がある。「堕落した世界」から「神の世界」に戻る一種の血統転換の儀式といえるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年5月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。