日本の労働生産性は国際比較で低いという評価は私が学生の時から今日まで変わっていません。労働時間当たりGDPは2022年で日本は38㌦、OECD平均が55㌦、アメリカが87㌦、最高はノルウェーで138㌦であります。
労働生産性の話をすると必ず、いちゃもんがつきます。そんな数字だけでは何も意味がないとか「それ、米ドル建てだろう」とか。GDPの話をしてもいちゃもんがつきます。そんなのは内需という一面を述べたに過ぎないと。そこで数字を述べないで話をすると感覚論だ、とこれまたいちゃもんがつきます。まぁ、何をどう言っても文句が絶えないのでそういう声にいちいち反応しない強さがつくのでこのブログを書くことは自己精神力強化には絶好であります。
さて、その上に日経信者といわれる私ですが、同紙には読み方があると思っています。経済に関するデータと事実関係の深堀については同社に蓄積されたデータとその分析能力は他の一般紙と比べて高いのは疑いようがありません。その部分は使い手があるのです。一方、それを分析する記事のほうについては「おやっ?」というものも散見できます。ある記事ではAといってみたりある記事ではBと言ったりして社のポリシーというより編集委員や記者の主観のオンパレードでよく言えば学術論文の発表大会みたいなものでこれぞ玉石混合であるといえます。
その中で「『少産多死』で人口激減 出生数下振れで加速も」という記事で労働力問題にも触れています。私が注目したのは現在の7000万人弱の就労者人口は過去最高の域にあるが、これもそろそろ頭打ちだという点です。いわゆる65歳以上の就労者は1995年は全体の6.4%だったものが2024年には13.8%にまで増えており、女性の社会進出を含め、労働者数の絶対数は少子化にもかかわらず伸びてきたというのが実態です。ところが、75歳以上になる方はどうしても就労組からリタイア組に移行しますし、女性の労働者といっても無尽蔵に増えるわけではないし、少子化は長期トレンドですので男も減るし、女も減るのですから日本人の労働力人口を増やす手段がいよいよ無くなってきています。
一方、コンプライアンスとか過労死問題、更には会社側からすれば残業代手当を減らしたいという意向もあり、総労働時間も減っています。年間労働時間は1995年が1909時間だったものが2023年は1726時間です。約10%減です。労働者数が1割弱増加しても労働時間が1割減るとざっくり相殺されます。(計算するデータがないので感覚です。)では一人当たりGDPは、というと1995年頃の800万円は今日もほぼ同じなのであります。つまり30年たっても労働生産性がほぼ変わっていないのではないか、というふとした疑問が生じるのです。
ここで反論派の言い分は「労働生産性は一面だけの指標」「日本は平等主義ゆえにフラットな労働社会こそ日本の特徴」「為替もあるだろう」といった声が出てくるはずです。それは意見としては拝聴しますが、この先、20年30年のスパンで見ると日本は本当に普通の国になってしまう公算が高いとみています。
労働集約的ビジネスである建設業や飲食業、運送業はすべての人に直結する問題です。飲食や運送業の労働力問題は多くの方がBtoC型のビジネスを通じて実感しているでしょう。建設業は日々ではないだろう、と思われますが、例えば能登の震災で復興率は極めて低い状態です。理由は建設従事者が足りないのです。では20年後の東京です。家のリフォーム、あるいはエアコンの設置や電化製品の設置は今の2倍、3倍の費用でいつ来るかわからないといわれたらどうしますか?高齢者の一人住まいで蛍光灯やダウンライトが切れても交換できないけれど誰も来てくれないとしたらどうしますか?
自動運転や自動配膳ロボットなどが普及するとしても不便な社会がやってきそうです。その顕著な問題はインフラの維持であります。数年前に地方で橋の維持管理ができないので老朽化した橋を通行不可にしたという話が話題になりました。近隣住民は「不便になる」と苦情を言っていましたが、金がないだけでなく、今後は修理する人もいないとなればそんな事例は今後、当たり前のように発生してしまいます。
このブログでバンクーバーの道路の整備事情が悪いと申し上げたことがあります。穴ぼこだらけの道路で同様な事情の英国ではパンクする車が続出したという報道もありました。日本の道路は鏡のようにスムーズですが、これがバンクーバーのようなぼこぼこ道路になる日も遠くないかもしれません。
問題は日本の労働生産性がなぜ30年にもわたり上がらないのか、これが不思議の中の不思議なのです。1995年といえばウィンドウズ95の幕開けで産業革命といわれるほどコンピューター化、IT化、更にはAI化が進みます。経理部門なんて経理ソフトや社内のイントラネット普及で昔は20人もいた会社でも今では5人でできるでしょう。日経や日経ビジネスでは「いかにもわが社は最先端の技術を導入し、経営効率化にまい進しています」という美辞麗句的広告や記事が並びますが、日本全体でみればずっと変わっていないのです。なんて言ってもFAXがまだ主流の国です。
労働者数をこれ以上増やすことが難しいとなれば労働力のインプットが増やせず、経営効率化も口だけで数字上は変化しなければアウトプットは増えないからGDPは横ばい、ないし低下、これが私が想定です。だとすれば本当にヤバいのです。
先日、渋谷で先輩と一杯ひっかけようということになり何も調べずに飛び込みで入った小ぎれいな焼き鳥屋。一瞬「伝串」系かと見間違うほどの超低価格。注文は全部QRコード。すると大学生と思しき女性店員が次々と「はいどうぞ」と持ってくるだけ。最後、スマホの精算ボタンを押してレジに行くという最近ではごく当たり前になったシステムですが私が見出した問題点はこの店員さんたちはこの仕事、楽しいのだろうか、という点です。つまり労働生産性という点では効率が上がったかもしれませんが、この従業員さんたちは完全に機械に使われているだけで何が楽しくてこの「お運びさん」をやっているのだろうと。
昔なら客と一言二言の会話もあったでしょう。今じゃ愛想笑いすらなし。それこそこの前の宅配の置き配の話じゃないけれど化粧をしていないから出たくない客の都合もあるでしょうが、配達員だって「ご苦労様」の一言ぐらいかけてもらったら気持ちよいでしょう。つまり日本の労働効率に対する追及は労働者に真の労働意欲を提供しているか、という疑問が生じているのです。
その点で私は日本に来るたびにかつての「おもてなし」は今後も存在しうるのだろうかという危惧すら感じないわけにはいかないのです。とても機械的な社会にごく当たり前に生活する人たちになにか日本ではない「異邦人」感すら覚えてしまうのです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年7月3日の記事より転載させていただきました。