トランプ前大統領が、正式に米国共和党の大統領候補となった。私はアメリカ政治を専門にしているわけではないので、普段から継続的に細かな米国内の動向を追っているわけではない。しかし次期米国大統領の政治姿勢は、やはり気になる。動画でトランプ氏の指名受諾演説を見てみた。
暗殺未遂事件の描写は、語り部としてのトランプ氏の才能が現れていただろう。神妙な態度で神について語る様子、事件で亡くなった消防士のコリー・コンペラトーレ氏の消防服とヘルメットを抱きしめる様子などは、さすがのシーンであった。
しかし話が長い。おまけに脱線しては戻ってきたりする。約90分にわたる指名受諾演説は、2016年の自身の記録を破る最長時間であったという。聴衆も盛り上がっていたが、話の細部を把握していたとは思えない。私もとてもついていけないので、書き起こし文を見つけて、読んでみた。すると、メディアも取り上げていないが、興味深い部分が幾つかあることがわかった。
トランプ氏が、バイデン大統領は最悪だ、と語るとき、真っ先に言及するのが、外交政策だ。バイデン大統領の時代になってから、世界は戦争だらけになってしまった、ということを語る。トランプ氏が大統領だった4年間は平和だった、というわけである。
世界情勢の細部に至るまで、そのような総括でまとめることが可能かどうかについては、疑問の余地がありうる。ただアメリカ国民から見れば、トランプ氏が言っていることは、あながち嘘とは言えないだろう。
焦点の一つは、言うまでもなくウクライナである。ロシア・ウクライナ戦争が、米国の庶民を苦しめている物価高の遠因になっていること、巨額の資金をウクライナ支援にあてていることは、アメリカの直接参戦の有無という点をこえて、2024年現在の大きな論点であることは間違いない。トランプ氏は言う。
ブッシュ大統領のとき、ロシアはジョージアに侵攻した。オバマ大統領のとき、ロシアはクリミアを併合した。バイデン政権のとき、ロシアはウクライナに侵攻した。トランプ大統領のとき、ロシアは何もしなかった。
Under President Bush, Russia invaded Georgia. Under President Obama, Russia took Crimea. Under the current administration, Russia is after all of Ukraine. Under President Trump, Russia took nothing.
Read the Transcript of Donald J. Trump’s Convention Speech
この話の文脈で、ハンガリーのオルバン首相についても、かなり長い言及を行った。オルバン首相が、トランプ氏が米国大統領に戻ってくれば世界は安定する、という趣旨のことを言っているという紹介だった。トランプ氏も、オルバン首相を称賛した。
私が一番興味深く感じたのは、アフガニスタンへの言及だ。2021年8月のアフガニスタン完全撤退時、13人の米国兵士が死亡した。これはバイデン政権の失策による必要のない悲劇だった、とトランプ氏は振り返る。トランプ氏によれば、アフガニスタン撤退は、バイデン政権が作った、アメリカの歴史に残る屈辱である。
タリバンと「ドーハ合意」を結んで、米軍の完全撤退の路線を作ったのは、トランプ政権である。そのためトランプ氏のアフガニスタンに関するバイデン大統領への批判は不公平だ、と言われるときも多い。しかしトランプ氏によれば、トランプ氏が第二期政権を作れていれば、計画通りの円滑な撤退を果たすことができたはずなので、屈辱的な混乱は発生せず、13人の米軍兵士も死ななくてすんだ、というわけである。
トランプ氏は、18カ月にわたってタリバンは米軍兵士への攻撃を止めていた、と誇る。それはトランプ氏が、タリバンの「Abdul」と交渉したからだったという。「Abdul」について思い当たったアメリカ人はほとんどいなかったのではないかと思うが、当時のタリバン勢力の政治部長を務めていたアブダル・ガニ・バラダル(Abdul Ghani Baradar)氏のことであろう。
トランプ氏は、バラダル氏がタリバン側を代表して署名した「ドーハ合意」を2020年2月に成立させた後、バラダル氏と電話会談を行っている。これはアメリカの大統領が、タリバン勢力の指導者層と直接会話をした初めての事例として、当時ニュースになった。
バラダル氏は、トランプ大統領(当時)に「なぜ私の家の写真を見せるのか」と尋ねたという。トランプ氏は、「なぜなのかは自分の妻の一人に聞いてみなさい」と答えたという。するとバラダル氏は、その言葉の意味を理解し、アメリカ兵への攻撃を止めたのだという。トランプ氏が「18か月」と言ったのは、この電話会談から、21年8月までの時期のことだろう(つまりタリバンは「ドーハ合意」後に米兵への攻撃を停止したわけだが)。
非常に興味深い逸話である。
トランプ氏は、アフガニスタンへの長い言及の後、自分が大統領になったら、ロシアの原子力潜水艦がキューバ付近を航行しているのを許さない、と語った。自分もキューバに原潜を送る、と述べた。もちろんこれは、ウクライナでは戦争を終わりにしたい、という従来のトランプ氏の立場との組み合わせの発言だ。(ちなみに、プーチン大統領は、アメリカのウクライナ政策の報復として、キューバ周辺で原子力潜水艦を航行させていると明言している。)
これらの逸話で、重要なのは、以下の諸点である。
第一に、トランプ氏は、交渉好きである。特に大物との交渉を好む。交渉ができるのであれば、相手がタリバン指導者でも、北朝鮮の金正恩氏でも、ロシアのプーチン大統領でも、気にしない。
第二に、トランプ氏が、「力の平和」について語るとき、特に軍事力に関しては、威嚇の手段として用いるのが、基本である。つまり、軍事力を、交渉につなげることが目的である。交渉を通じて達成したいのは、アフガニスタンからの撤退など、アメリカの長期的な利益の確保になるとトランプ氏がみなす事柄であり、いたずらに軍事力を実際に行使すること、あるいは長期の戦争は、トランプ氏は好まない。
第三に、ただし第一期トランプ政権では、上記のパターンの例外もあった。ISIS(イスラム国)とイランである。これらのイスラム原理主義系の勢力とは、交渉しない。これは宗教右派を支持基盤とするトランプ氏が、反イスラム主義の心情を実際に強く持っているか、あるいは反イスラムの態度を誇示したいか、その両方であるかの事情があるためであろう。もっともタリバンとの交渉で成果を出したことは誇っているわけなので、要するに、交渉できる相手は好むし、交渉できない相手は憎む、ということだ。
これらの要素を整理してみたとき、非常に重要な点として見えてくるのが、バイデン政権と同盟国に対する不信感だ。バイデン政権及び欧州の指導者たち、特にゼレンスキー大統領らウクライナ政府関係者は、プーチン大統領をはじめとするロシア政府関係者との接触を忌避する。それどころかプーチン大統領と会ったオルバン首相やインドのモディ首相まで批判したりする。これはトランプ大統領が最も嫌う態度である。
トランプ氏とどう付き合うかを考える際に、最も重要なのは、トランプ氏が比類なき交渉好きだ、という点だ。トランプ氏が誰かと交渉することを批判したら、戦争当事国であれ、同盟国であれ、同僚であれ、必ずトランプ氏から憎まれる。
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