羊羹がコトとして賞味される文化を守るために

森本 紀行

夏目漱石、谷崎潤一郎、室生犀星などの文士が活躍した時代、羊羹は、それなりに高価な菓子だったに違いない。しかし、こうした文士にとって、羊羹は、食べるモノというよりは、高価な器に盛って、鑑賞するコトを楽しむものだったのである。つまり、羊羹は、モノとして高い価値をもっていたのだが、芸術家は、知識社会の最上層にあり、時代の文化を代表し、名声を有し、経済的にも十分に裕福であって、もはや羊羹を単なるモノとして賞味する段階にはなかったわけである。

知的にも経済的にも豊かな社会層においては、モノはモノの価値としては消費され得ず、何らかのコトに転換されて、より高次の価値として消費されるのであって、例えば、羊羹は、様々に異なる状況において、それに適合した器に盛られ、それに相応しい方法で供され、そこで創造される美的感興を楽しむコトに転換されるのである。

Promo_Link/iStock

今の日本で、羊羹を憧れの食べモノとする人は多くはない。羊羹は、もはや、食べようと思えば、いつでも食べられるモノであって、モノとしての稀少な価値を失ってしまったのである。同時に、羊羹に適合する器の選択に腐心するような知識人、古今の文学に通じ古美術に造詣の深い文化人は絶滅の危機に瀕していて、羊羹を美的に供する趣味的なコトも失われつつあるから、羊羹は存亡の危機にあるといえる。

羊羹といえば虎屋であるが、この危機に際して、虎屋は、モノとしての羊羹の高い価値を守り、コトとして羊羹を賞味する文化を守ろうとしている。実は、虎屋は、和菓子に関する学術雑誌として「和菓子」を定期発行しているほか、虎屋文庫という菓子の資料室を運営していて、そこに、2000年12月から続くウェブ上の連載企画として、「歴史上の人物と和菓子」があり、先に名をあげた文士も紹介されているのであった。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本 紀行