「2月16日」はナワリヌイ氏の日だ

どのような辛い経験や思い出も時間の経過と共に、その痛みが癒されていくことがある。時間が良薬のような役割を果たすのだ。その一方、時間の経過は忘れたくない人との記憶や出来事を次第に記憶の隅に追いやり、色薄れさせていく。時間は非情な側面を現すのだ。もはや永遠に取り戻せないのではないか、といった不安に襲われる。

多分、彼女は今、時間の経過が治療薬でなく、非情な暴力のように感じているのではないか。今年2月に獄死したロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏のユリア夫人の話だ。

ナワリヌイ氏とユリア夫人(2020年10月6日、ベルリンで=ナワリヌイ公式サイトから)

ナワリヌイ氏は2月16日、収監先の刑務所で死去した。47歳だった。明確な死因については不明だ。同氏は昨年末、新たに禁錮19年を言い渡され、過酷な極北の刑務所に移され、厳しい環境の中、睡眠も十分与えられず、食事、医療品も不十分な中、独房生活を強いられてきた。刑務所管理局(FSIN)は「ナワリヌイ氏は流刑地で散歩中、意識を失って倒れた。救急車が呼ばれ、緊急救命措置が取られたが無駄だった」と説明している。死亡診断書には「自然死」と記載されていた。

ナワリヌイ氏はロシアでは数少ない反体制派活動家だった。何度も当局に逮捕され、拘束された。ナワリヌイ氏は2020年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。

飛行機はオムスクに緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状からは毒を盛られた疑いがあったため、交渉の末、2020年8月22日、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれ、そこで治療を受けた。ベルリンのシャリティ病院はナワリヌイ氏の体内からノビチョク(ロシアが開発した神経剤の一種)を検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしていたことを裏付けた。

ナワリヌイ氏は2021年1月17日、治療が終わると、ドイツのベルリンからモスクワ郊外の空港に帰国した。同氏にはユリア夫人と子供たちと共にドイツに亡命するチャンスがあったが、同氏はモスクワに帰国し、その直後、逮捕された。

ナワリヌイ氏には確信があったのだろう。プーチン大統領を打倒し、ロシアの民主化を推進するためには命の危険があるとしてもロシア国内にいなければならないことを誰よりもよく分かっていたはずだ。

同氏の追悼式とミサが3月1日、モスクワ南東部の教会で行われ、その後、近郊のボリソフ墓地で埋葬された。外電によると、ロシア当局はナワリヌイ氏の追悼式会場の教会や墓地周辺の広範囲を封鎖し、開始の数時間前には通行人をチェック、インターネットを遮断した。にもかかわらず、ドイツ民間ニュース専門局ntvによると、数千人の国民が追悼式と葬儀に参加し、教会まで2キロ余りの参加者のラインが出来た。ナワリヌイ氏の棺が運ばれた霊柩車が教会前に到着すると、待機していた人々から「ナワリヌイ、ナワリヌイ」という声が出、拍手が起きた。

ナワリヌイ氏が獄死して半年の今月16日、ロシア金融監視庁は、ナワリヌイ氏の側近や弁護士ら9人を新たに「テロリスト・過激派」のリストに追加した。プーチン政権はナワリヌイ氏の活動が継続されないために弾圧を強化したわけだ。

インターネット上の金融監督当局ロスフィンモニタリングの対応リストに掲載された人々は、ナワリヌイ氏の元報道官キラ・ジャーミッシュ氏のほか、同氏の反汚職財団の会長マリア・ピューシッチ氏、亡命弁護士のオルガ・ミハイロワ氏とアレクサンダー・フェドゥロフ氏、拘束中の野党ジャーナリストのアントニナ・クラフツォワ氏と活動家のオルガ・コムレワ氏、ナワリヌイ氏のYouTubeチャンネルのドミトリ・ニソフツェフ氏と彼のプロデューサー、ニーナ・ヴォロホンスカヤ氏、そしてナワリヌイ氏の反汚職財団への寄付で懲役7年の判決を受けたソフトウェアプログラマーのアレクセイ・マリャレフスキー氏の面々だ。

ナワリヌイ氏の陣営は16日、SNSに声明を出し、獄死はプーチン大統領の命令による「殺害」だと非難。「われわれは未来のロシアのために闘い続ける。アレクセイが夢見たように、間違いなく自由で幸せな国になる」と訴えている。

ナワリヌイ氏が獄死して半年が経過した。47歳の若さで亡くなった同氏の戦いを忘れないでいたい。ロシア国民が同氏の名前を誰も恐れることなく口に出すことが出来る日が来るまで、「2月16日」は「ナワリヌイ氏の日」だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年8月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。