ベネズエラ大統領選野党候補、ゴンサレス氏亡命の裏側

エドゥムンド・ゴンサレス氏は補欠候補だった

7月28日に実施されたベネズエラの大統領選挙で勝利したエドゥムンド・ゴンサレス氏(75歳)は、独裁者マドゥロ大統領から脅迫を受けてスペインに亡命した。ゴンサレス氏は元外交官で悠々自適の生活を送っていた。それが状況の変化で、あたかも宝くじが当たったかのように大統領候補となった。彼は「勝利は確実だ」「ベネズエラの大統領になれる」という夢を抱くようになった。

ゴンサレス氏は、たまたま彼に大統領候補のポストが回って来たもので、民主化の為に戦って来た人たちと比べ気迫も気骨も欠ける。だから今回、独裁者の脅迫の前に亡命という安易な道を選んだのであろう。

先ず最初にゴンサレス氏がこれまで歩んで来た略歴を以下に説明することにしたい。

1981年、ベネズエラ中央大学で修学し、そのあと米国ワシントン大学にて国際外交のマスターを取得。1991〜1993年に駐アルジェリア大使。1994〜1998年に外務省にて国際政治部長に就任。1998〜2002年には駐アルゼンチン大使を歴任した。退官後は悠々自適な生活を送り著作活動などをしていた。ベネズエラ国民にとって全く無名の人物であった。

これまでベネズエラの民主化のための活動にはカプリレス氏、グアイドー氏、レオポルト・ロペス氏、レデスマ氏、マリア・コリナ・マチャド氏といった人物が独裁者に抵抗して民主化への政治活動をしてきた。しかし、誰もチャベス氏とマドゥロ氏の独裁者を倒すことができないでいる。

その一方で、世界から独裁者マドゥロ氏への圧力も次第に増加し、民主化を要求するようになって行いる。そのような圧力を前に、マドゥロ大統領は今年12月に予定されていた大統領選挙を前倒しして7月に実施することを決めた。

そこで、この選挙のマドゥロ氏の対立候補として次第に力をつけて来たのがマリア・コリナ・マチャド氏であった。ところが、司法を配下においているマドゥロ大統領は検察を指示して彼女に違法行為があったとして立候補できる資格を剥奪した。そこで彼女は代理候補として著名歴史家コリナ・ヨリス氏を立てた。ところが、同じように彼女も立候補資格を剥奪された。

独裁者が政権を長く維持したいのであれば、マドゥロ氏のように司法を支配下に置くことである。

そこでマリア・コリナ・マチャド氏が白羽の矢を立てたのがゴンサレス氏であった。マチャド氏とゴンサレス氏の二人三脚による選挙キャンペーンは順調に進んだ。その成果が出て、選挙で勝利もした。勿論、マドゥロ氏は自らが勝利したと宣言したが、今になってもその開票結果を公式に発表していない。

マドゥロ大統領にとって次に邪魔な人物はマリア・コリナ・マチャド氏だ

マドゥロ氏が政権を継続させるためにやるべきことは一つしかない。対立候補に罪を着せて刑務所に送るか、圧力を加えて国外に亡命させることである。

ゴンサレス氏がスペインに亡命した今、マドゥロ氏が次に狙っているのが民主化への活動の中心人物になっているマリア・コリナ・マチャド氏だ。彼女を刑務所に送るか、あるいは外国に亡命させるのがマドゥロ大統領の狙いだ。

しかし、彼女の場合は事態は容易ではない。民主化を望んでいる多くの国民を敵に回すことになり、欧米を始め世界からマドゥロ大統領への圧力がより一層強いものになるのは確実であるからだ。

ゴンサレス氏にとって大統領になるための戦いは終わった

ゴンサレス氏のスペイン亡命についての話題に戻すと、彼は選挙で勝利したあと独裁者からの圧力が強くなった。そこで彼はカラカスのオランダ大使館に7月29日に身柄を預けた。そこでの生活が9月5日まで続くのであった。同大使館で生活している間に亡命することを考えていたようである。

彼にはベネズエラに残って自らの命と引き換えに民主化の為に戦う意欲はもう無くなっている。もともと、彼はこれまでベネズエラの民主化の為に戦って来た活動家ではないということや、75歳という高齢になって、今更自分の命を犠牲にする意志は毛頭ないというのが彼の本音であろう。

だから、スペインの元首相で独裁者マドゥロ氏の大使のような役目を担っているサパテロ氏が登場するのである。サパテロ氏はマドゥロ氏があたかも善人で、彼が行っている現在の孤立した政治は特に米国からの不当な圧力のせいだとしてマドゥロ氏を犠牲者のように仕立てて活動している。だからサパテロ氏がスペインのサンチェス首相とマドゥロ大統領の間に入って、ゴンサレス氏のスペインへの亡命の可能性の交渉に入ったようだ。

マドゥロ氏にとって、ゴンサレス氏を出国させれば邪魔者をひとり退治したことになる。またゴンサレス氏も今更民主化への戦いを続ける意志はもうないはず。そこで、ベネズエラ政府はゴンサレス氏のスペインへの亡命を容認した。その代り、スペイン国内でベネズエラの民主化への表立った政治活動はしないという密約が交わされたものと思われる。

9月5日、ゴンサレス氏はオランダ大使館からスペイン大使館に移動した。そしてシモン・ボリバル空港にはスペイン海軍の軍用機が待機していた。それに搭乗したゴンサレス氏はサントドミンゴの空港で給油した後、マドリードのトレドン・デ・アルドスにある空軍基地に向かったのである。

マドリードに到着してからゴンサレス氏はベネズエラの民主化の為に戦うと表明してはいるが、ベネズエラの民主化を望んでいる人たちへのこれは外交辞令でしかない。もう彼は政治舞台から退いた人物でしかない。立候補する前の悠々自適な生活に戻ったのである。

したがって、ベネズエラで民主化の為に戦っている多くの市民は唯一の救世主マリア・コリナ・マチャド氏に亡命しないで欲しいと願っているのである。彼女がベネズエラを去れば民主化への道は閉ざされることになるからだ。