イスラエルの暴れぶりに拍車がかかっています。ついにヒズボラの指導者を殺害してしまいました。ヒズボラはレバノンの中にある軍事組織ですが、レバノンの正規軍より規模が大きく、歴史も長く「国家の中の国家」と言われる相手です。つまり準国家指導者を殺害したわけです。これは今までのように抑制的だったイスラム主流派も黙ってはいられなくなるでしょう。イランのハメネイ師がいよいよ立ち上がる可能性があります。
イスラエルはなぜそこまでやるのでしょうか?祖国防衛、これが基準だと思います。石破氏が「日本を守る」という趣旨とイスラエルが「国を守る」という意味は同じでしょうか?私は違うように感じます。
日本の戦国時代、城をめぐり戦いが起きるのが普通でした。信長や秀吉がどこどこの城を落としたという話がたくさん出てきますが、あの頃の城は陣地という発想が原点だったと思います。城を落とし陣地を増やし、米の石高を確保し功績のあった部下にそれを分け与える、これが流れでした。つまり城という物理的要衝を抑える陣取りゲームだったと言えます。(実際にはそんな簡単ではないことは100も承知ですがここでは話を単純化します。)
戦国時代は武将を中心としたオセロゲームであり、どの武将につくのが得策か下心満載でした。よって戦争の度に「裏切り」が生じたのはよく知られたところで関ヶ原の戦いはその典型でした。それ以外の小さな戦いでも「裏切り」の連続です。例えば秀吉と家康が争った小牧 長久手の戦いの際でも織田信雄をめぐる裏切りがキーでした。
イスラエルは迫害の歴史を経てようやく手に入れた聖地であります。その聖地は城のようにたくさん作ることもできないし、聖地は世界にただ一つしかないのです。エルサレムは神が宿る城といってもよいでしょう。そこに危害を加えるものは全て罰する、つまり聖戦となります。
では石破氏のいう「国を守る」とは何でしょうか?私はどちらかというと「国を護る」が正しい趣旨ではないかと考えます。歴史ある日本の伝統、考え方、独自性、精神、思想、行動や振る舞い、品格…など物質的なものというより精神的なものを維持する発想だと想像しています。では物質的ではないから日本の領土がどうなってもよいかといえばそういうわけではなく、精神が宿る日本の国土は不可侵なものであり触らせないという発想ではないでしょうか?
イスラエルの場合はエルサレムそのものがイスラムとキリストをも含み、元をたどれば同じになってしまうのでユダヤは今の城を守りながら陣地形成を進めるという発想であり、戦国時代の陣取りゲームの要素が残っているように見えます。
となればネタニヤフ首相は戦国武将に近い思想ですからやるか、やられるかの瀬戸際にあるということになります。問題はネタニヤフ氏率いるイスラエルを支援するのはアメリカぐらいしかいないという点です。欧州はキリスト教のカソリックが主体であり、本件からは1歩も2歩も後ろから眺めているだけです。英国はイスラエルとの過去問題もあり、歴史的に難しい立場にあります。ではアメリカは果てしなくイスラエルに付き合えるのか、ここが疑問であります。大統領選挙を控える今、アメリカ国民の大半はユダヤ教徒ではないのです。もちろんアメリカ政治経済のキーマンにユダヤ人が多いという特性はあります。が、アメリカのユダヤ人が必ずしもイスラム支援派とは言い切れず、非常に難しい立場にあるユダヤ人が多いと察しています。
もう1点、アメリカ人は基本的には戦争は好きではないのです。ただ、本土と関係がない地への派兵は割と躊躇なくするのが歴史でもあります。とはいえ、派兵されるアメリカ人が好き好んで行っているわけではなく戦争を経験した兵士にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を伴うケースも多いとに聞きます。
イスラエルは無謀な戦いに挑んでいます。なぜなら敵は永遠に攻撃し続ける可能性が高いのです。ただ、イスラム武装組織の心に火をつけてしまった以上、それを消す仲介役がいなくなったのです。宗教が複雑に絡むこの戦争の間に立てるのは誰でしょうか?私が素人考えをするなら宗教的要素が全く影響しない日本か中国、インドぐらいではないかと思います。
一方、日本からするとイスラエルはあまりにも遠い上にその複雑な歴史、そしてそれぞれの立場の言い分やそれぞれの人々の魂に宗教心がどれぐらい浸透しているかを理解した上で本件に仲介をしようとする人はほぼ皆無であろうと思います。アメリカは仲介できません。ロシアも難しいし、トルコもやる気は見せるけれど無理でしょう。サウジなど中東諸国はイスラムを抑えるのが精一杯です。
制御不能とならなければよいと願います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年9月30日の記事より転載させていただきました。