シンワル氏の死が示す国際情勢

ハマスのガザ地区最高責任者で、政治局長とされていたシンワル氏が、10月16日殺害されたことが確認された。一年以上にわたるイスラエルの軍事作戦にもかかわらず、シンワル氏の所在はつかめていなかった。死亡説や逃亡説が流れては、ガザ潜伏情報によって打ち消される、といったことが続いていた。

ハマス・シンワル最高幹部
NHKより

イスラエル国民が歓喜しているという画像が多数流れた。ネタニヤフ首相は「暗闇の勢力」から「光の未来」に来るために降伏・投降せよ、とハマス戦争員に呼び掛ける演説を公開した。

アメリカでは、バイデン大統領やハリス副大統領が、シンワル氏死亡を画期的な成果と称賛しつつ、戦争の終結を考える時が来た、と呼びかけた。

だがネタニヤフ首相は、戦争自体はまだ続いている、と強調している。「ハマスの壊滅」はまだ達成されていないという認識だ。

実は、イランへの報復攻撃をまだ実施できていない。事実上の侵攻作戦に踏み切ったレバノンにおけるヒズボラ掃討作戦も、区切りをつける契機がない。もともとネタニヤフ首相はトランプ氏の再選を望んでいると考えられており、バイデン政権の呼びかけに応じる気配は見せない。

そのトランプ氏は、イスラエルは良い仕事をしていると述べた後、抑制を図るバイデン政権を批判するコメントを残した。非常に雑駁な言い方にとどめており、再選された場合により具体的にどのような中東政策をとっていくつもりなのかは、読めない。ただ、少なくとも大統領選挙が実施されるまでは、何を見てもバイデン政権の失策だと述べ続ける今の態度を取り続けていくことは確実だ。

シンワル氏が「戦士」として「殉教者」の「英雄」となったイメージが強く歴史に刻まれたことは、今後の国際世論に与える影響としては、非常に大きいと思われる。

イスラエル政府はこれまで、ハマスの政治指導者はカタールの高級ホテルで贅沢な暮らしをしており、昨年10月7日の攻撃を立案指揮したと考えられているシンワル氏らは、ガザのトンネルの奥深くに隠れているだけだ、と宣伝してきた。

ところが今回、シンワル氏が、非常に少数の側近とともに、陸上でイスラエルを攻撃する戦闘に従事していたことが判明した。無名と思われたハマス戦闘員の死亡者の中から、シンワル氏と特定できる人物が発見された。これはイスラエル政府の宣伝と食い違う事実を残して、シンワル氏が死亡したことを意味する。

イスラエル政府は、自らの力を誇示する形で、シンワル氏の死亡を確定的に示すために、頭部が割れて四肢も揃っていない状態の激しく損壊したシンワル氏の死体を公開した。さらには右腕がちぎれ、埃だらけにもなっていて、瀕死の状態で建物の二階にいた生存中のシンワル氏を映したドローン動画も公開した。

シンワル氏は、ドローンに気づくと、残された左腕で棒状の物体を投げつけた。そこで動画は終わる。ドローンが爆発したのだと想定される。シンワル氏の遺体は、崩壊した建物の地上部分で瓦礫の中で横たわっている状態で発見された。ドローンの爆発で建物が瓦解し、死亡したと考えられる。

この「シンワル氏の最後の瞬間」の動画及び遺体の画像は、SNSで急速に拡大した。そのほとんどには、シンワル氏を「最後まで占領者と闘った殉教者の英雄」として称える言葉が添えられている。その代表例が、イランのアラグチ外相の言葉だ。

これらの出来事を見て、われわれはどのような状況の理解をしておくべきだろうか。

第一に、ハマスは軍事組織としての実体を失ってきていたが、カリスマ的存在であったシンワル氏の喪失によって、その傾向は強まるだろう。

第二に、ただしそれがハマス戦闘員の完全投降なるものを導き出すとは考えにくく、原状では同じ混沌が続くという短期的な見通しを持っておかざるをえない。ハマスとの交渉に応じないイスラエル政府の態度は、さらにいっそう強くなった。カリスマ指導者を失ったハマスの指導体制の行方は不透明で、イスラエル軍の撤退なしに人質解放問題に応じるといった大きな判断を予測できる事情はない。なお、ガザにおいて武装しているのは、狭義のハマス戦闘員だけではない。イスラエルの占領統治政策に、長期的安定を見据えた打開策がない事情は、シンワル氏の死亡後も、何ら変わらない。

第三の大きな論点は、シンワル氏が、パレスチナの抵抗の象徴として、強烈な印象を残して死んでいったことの影響の評価だ。

これまで何人もの武装組織の指導者が、アメリカやイスラエルの標的殺害の攻撃によって、死亡してきた。アメリカの「対テロ戦争」の軍事作戦では、逃走後に拘束されて裁判にかけられて死亡したイラクのサダム・フセイン元大統領や、パキスタン領内に潜伏中に特殊部隊の急襲を受けて殺害されたアル・カイダ勢力の首領オサマ・ビン・ラディン氏らが思い出される。

イスラエルも、おびただしい数の外国勢力の指導者を暗殺してきた。ここ数カ月だけでも、ハマスのイスマイル・ハニヤ政治局長、ヒズボラ最高指導者のナスララ師などが暗殺されてきた。ガザにおいては、軍事部門トップのモハメド・デイフ氏の殺害がすでに確認されていた。だが死亡時の状況が必ずしも明らかではないデイフ氏を除き、暗殺された政治指導者たちは、戦闘中に死亡した、という状況ではなかった。

今回、政治局長の座にあったシンワル氏が、最後の抵抗を示しながら、地上での戦闘行為の中で死んでいったことが画像証拠で示されたのは、非常に珍しい。

恐らくは、シンワル氏のイメージは、組織としてのハマスの存在を越えて、パレスチナ抵抗運動の象徴的な姿の一つとして、地域の人々の記憶に残存し続けるだろう。

イスラエル政府が、最後まで戦い続けたシンワル氏の姿を公開したのは、政策としては失敗だった、とコメントしている人物も多数いる。恐らくは、イスラエル国内の世論対策を重視するあまり、地域情勢の安定に配慮した行動をとる余裕が、イスラエル政府側にもない、ということだろう。

アラブ諸国の反イスラエルの傾向は、強まっていくだろう。無力なアラブ諸国の政権には、国内外の世論の冷たい視線が浴びせられる。ハマスの軍事勢力としての減退によって、イスラエルの軍事作戦を消極的に支持する動機は減った。

中東におけるイランの存在感は、さらに増していくだろう。ガザ危機は、イスラエル対ハマスの戦争というよりも、パレスチナ抵抗運動の歴史の中で位置付けられ、さらには中東における植民地主義の歴史の中で理解されていく傾向が強まっていくだろう。イランのアラグチ外相は、エジプトやトルコを歴訪して、イスラエルの報復攻撃の可能性に、外交面からの準備をしている。

かつて中東では、イラクやシリアにおける宗派対立の激化などの事情から、中東でスンニ派とシーア派の対立が深まり、イランとサウジアラビアの地域的覇権争いも激しくなった時期があった。イランは孤立している、と言われたこともあった。

しかし、イラクとシリアの情勢の相対的な安定化の傾向が、状況を変え始めていた。そこに今回のガザ危機に起因する中東全域の混乱が、イランが、イスラム世界を代表して、イスラエルと対峙する、という構図を強めた。

ウクライナ情勢も反映して、イランとロシアの結びつきも強固になった。武器供給などの面だけでなく、もはやイランを非難する新たな国連安全保障理事会の決議は採択されないだろうことなど、その意味は大きい。宗派対立と地域覇権争いを利用して、イスラエルが「アブラハム合意」派の国を広げていけるような気運は、遠のいている。

国際刑事裁判所(ICC)検察官が、逮捕状請求の対象として名指ししたハマス指導者3名のうち、すでにハニヤ氏、デイフ氏、そしてシンワル氏の全員が、イスラエルによって殺害された。残っている逮捕状請求対象は、イスラエル政府のネタニヤフ首相とガラント国防大臣だ。

ICCとイスラエル政府の全面対峙の構図が強まった。アメリカなどはイスラエルを擁護するために、ICC組織・職員に対する金融制裁措置などをとってくると言われている。だがもしICCがその圧力に屈したら、米国の同盟国以外の信任を失うだろう。

シンワル氏の死亡は、組織としてのハマスの弱体化を意味するだろう。しかしそれは戦争の終わりではない。まして国際社会の構造的な対立の緩和を意味しない。ガザ危機は、ハマスの組織的な存在をこえて、さらに国際社会に動揺をもたらしていく。シンワル氏の死亡は、その大きな流れの中の一つの象徴的な事件として記憶されていくことになるだろう。

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