延暦寺と園城寺の喧嘩がなぜ歴史上の大事件なのか(グルメ情報付き)

比叡山から見た琵琶湖の紅葉と夕日
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「光る君へ」にも、比叡山延暦寺と園城寺(三井寺)がよく登場します。日曜日には道長と明子の子の藤原顕信が比叡山に出家してしまいましたし、紫式部の父である為信は園城寺で出家します。

そこで、少し拙著「紫式部と武将たちの京都」(知恵の森文庫)の一部を再編集して紹介します。

平安時代から室町時代を日本の中世といいますが、歴代の天皇や摂関をもっとも悩ました政治課題が、比叡山延暦寺(山門派)と園城寺(三井寺、寺門派)のいずれも大津市にある天台宗寺院同士の喧嘩の仲裁でした。

延暦寺の開祖は伝教大師最澄ですが、初代の天台座主は弟分の義真でした。そのあと、四代目の慈覚大師円仁、六代目の智証大師円珍はいずれも唐に留学した偉大な宗教家で、円仁は最澄の弟子でしたが、円珍は義真の弟子でした。

円珍の一派が独立して園城寺(三井寺)を本拠に延暦寺と対抗すると、比叡山から弾圧された僧侶が避難することも多く、蓮如上人もその一人です。争いは、教義上の対立ももちろんありますが、経済上の利権争いという面もありました。

皇室や摂関家の側からすると、自由奔放な恋愛の結果として山ほど子供は生まれるが、分けてやれるほどの財産はない。そこで、天台宗とか真言宗の寺院に入れて、贅沢はさせるが結婚させないことにしたのです。こうすれば、各世代の御当主が何人子供をつくっても、一代だけ面倒見ればいいので、次の世代はまた同じように子だくさんでも破綻しなくなったわけです。

いずれにせよ、有力寺院は経済的にも豊かでしたし、律令体制の常備軍や警察機能が弱体化したなかで僧兵を擁していましたから、平安京の治安と経済秩序の維持に大きな役割を担っていました。

しかし、それに対抗する勢力として摂関家が清和源氏、上皇たちが桓武平氏を育てていきます。そして、彼らにひさしを貸して母屋を取られたといった趣であるのが武士の世だ、ということができると思います。

比叡山は海抜848メートルです。京都でいちばん高い山と思っている人が多いのですが、実は、北西の嵯峨の奥にある愛宕山が924メートルで最高峰です。

京都人は京都の山と思っていますが、延暦寺は府県境にまたがってますし、根本中堂など主要部分は大津市にあります。世界文化遺産では、「古都京都の文化財」のなかに延暦寺も入っているので、やや蝙蝠的存在です。

延暦寺の寺域は山頂の南北約6キロ、東西約4キロの区域に、東塔、西塔、横川という三つの地域にわけて伽藍が並び、大津市側の山麓の坂本に僧たちの日常生活の場である里坊があり、日吉神社があります。東京の日枝神社のご本家ですが、厳密には坂本の分家が川越の日枝神社で、東京のはそのまた分家です。

また、比叡山山頂へは、ドライブウェイが普通ですが、ケーブルカーでも京都側は八瀬、大津側は坂本からいけます。

比叡山は、都の北東の鬼門にあたり平安京の鎮護を担っています。また、宣教師たちから「大学」といわれたように、まっとうな教育機関がなかった江戸時代以前は、相対的には最高の学問所でもありました。

叡山の中興の祖といわれるのが、九六六年に一三代目の天台座主となった良源(元三大師)です。藤原師輔と雅子内親王の間に生まれた尋禅を弟子にして後継者とし、摂関家の庇護のもと、荘園の拡大を図り、興福寺の末社だった祇園社を延暦寺の末社として、鴨川左岸を支配下に収めたりしました。

比叡山に貴公子たちを入れて、寄付を集め、それを大衆とか神人と呼ばれる、なかば僧侶ですが、結婚して家族をもった人々が金融業を営んで利益を上げました。室町時代には、京都の金融業者はほとんど坂本の住人でした。

僧兵が借金の取り立てをし、日吉神社の神輿を担いで、暴虐を働きました。うっかり矢でも当たろうものなら武士たちも流刑にされました。

ただ、コングロマリッドとして地域開発、貨幣経済の導入、さらには、貿易に力を発揮し、教学についての自由な雰囲気のなかから鎌倉新仏教の教祖たちも育っていきました。

元三大師の弟子に源信(恵心僧都)がおり、これが宇治十帖で活躍する名僧である横川僧都のモデルのようです。

滋賀県側の「坂本の鶴喜そば」は京都周辺で最高クラスの名門です。お店は登録有形文化財になっています。宮内庁に献上していたこともあります。

比叡ゆば」は湯葉料理を全国に普及させた功労者で、延暦寺会館の精進料理にも組み込まれています。

三井寺では「三井寺力餅」が有名です。オリジナルの青いきな粉は、青大豆と抹茶をブレンドして作っています。境内では三井寺辨慶力餅を売っています。

近所の「う嵐」は全国でも有数の人気鰻店ですが、新規客はお断りになっているようです。

三井寺とは直接関係ないのですが、すぐ近くの真宗大谷派の等正寺では、住職夫人が経営する「佐知’s Pocket」がスイーツ、総菜で大人気で、最近はレストラン、カフェとしても大人気です。