「少ない方がより豊か」が受け入れられる日本へ

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1. 失うことへの恐怖

これからの日本のイメージを語る際、多くの政治家はポジティブな印象となるように「明るい日本」や「希望に満ちた日本」という言葉を使っている。そして、政策においても新たに受益者が増える項目の方が好まれる傾向がある。

人間は、無いものを新たに得る時に幸福や喜びを、有るものを失うときに喪失感や悲しみを感じるのだろう。しかし、よくよく考えれば、カネやモノが増えるのは本当に良い事ばかりなのだろうか。

2. インフラから考える「削ぎ落すこと」

例えば、日本では日米構造協議による内需政策注1)の一環として、1990年代に地方にたくさんのハコモノが建てられた。何もない所にきれいな体育館や図書館ができることで住民の満足度は高かったのだろう。

しかし、財政力の弱い自治体にとって、それらのハコモノを管理運営し続けることは大きな負担となってしまったのだ。今では、自治体毎にフルセットの公共施設を有するのではなく、集約や再編を進めることにより近隣地域で同機能の施設を共同利用する地域が増えている注2)

「再編」や「集約」という言葉は「縮小」や「減少」というとネガティブなイメージと結びつくようだが、1990年代から現在にかけてのハコモノやインフラの現状を見る限り、自治体毎に相応量が異なっているのは明らかである。削ぎ落すより、盛り込む方が楽で簡単なのは事実だが、それは本当に将来の日本のためになるのだろうか。

産業革命以降、コンクリートや鉄を用いた建築技術の向上により、装飾を削ぎ落した機能的で合理的なデザインを重視するモダニズム建築注3)が急速に普及した。モダニズム建築の巨匠であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ注4)はLess is Moreを信念としていた。

「少ない方がより豊かである」ということは、当時の社会情勢に対して物質的な豊かさがすべてではないという一石を投じることとなった。よくよく考えるとこの思想は、いけばなの引き算の美学をはじめとする日本の伝統文化に通ずるところがある。

3. 削ぎ落すことから本質を考え、豊かになる

削ぎ落す過程では「何が本当に必要か」を考えることになる。

モダニズム思想は、機能主義や合理主義と言われているが、取捨選択の過程において、こだわりの濃縮が生じる。さらには、過剰な装飾を取り払い、シンプルとなることで周囲との調和性が高まるという利点もある。

最低限の機能や装飾であれば、人間の手が加わる余地も出てくる。人の手が加わることでさらにこだわりが詰まり、人の関与する割合が増えることは精神的な豊かさに繋がっていく。

4. おわりに

現実と乖離した未来ばかりを語る政治家。
ユートピアを期待し、裏切られたと他人のせいにする国民。

増加拡大モデルではなく、縮小減少モデルで物事を考えていくフェーズに入った日本。私は、全ての規模が小さくなって、最後に消えることは求めていない。次の成長のためのシュリンク、高密度にするためのシュリンクと前向きに受け止めて行く必要があると感じている。

目先の事だけに捉われず、良いことも、悪いことも、多種多様なマルチシナリオが共有できる日本であることを期待している。

【参考文献】

注1)山田明:1990年代の公共投資と財政,名古屋市立大学人文社会学部研究紀要,11,pp.45-60,2001.
注2)瀬田史彦:人口減少と公共施設の再編,人口問題研究,77,No.2,pp.171-184,2021.6.
注3)藤森照信:モダニズム建築とは何か,彰国社,
注4)佐野潤一:ミース・ファン・デル・ローエの建築理念としての「オーダー」,日本建築学会計画系論文集,79,No.696,pp.553-560,2014.