死者・行方不明者数を正確に知ることは不可能
10月29日から30日にかけて豪雨を伴う川と川溝(Barranco)の急激な水位の上昇によって氾濫した洪水による死者は11月13日現在で公式発表は226人となっている。
ところが、実際の死者数はそれを大きく上回っているというのが被災者らによって指摘されている。政府はその数を低く公表させているというのだ。
例えば、大型スーパーマーケットの地下駐車場には死者はいないと公式発表されたが、そこから死体が遺体袋に包まれて運ばれているのを見た目撃者がいるのだ。同様に、行方不明者についても公表されている人数と市民が捜索願いを出している人数は一致しない。このような状況では、実際の死亡者と行方不明者の数を正確に知ることはできないであろうと言われている。
5人の政治家の怠慢が大惨事を招いた
洪水の発生から既に2週間が経過している。そして、その全貌が次第に明らかにされつつある。
洪水の被害が大惨事となり多くの死者を出したのは、川と川溝を流れる水位と流量の増加による危険性を中央政府と州政府が深刻に受け止めなったのが原因だ。それに加え、中央政府と州政府の政権政党間の違いによる確執もその理由としてあった。
事態を大惨事にさせた責任者をここに5人挙げる。サンチェス首相、マソンバレンシア州知事、テレサ・リベラ環境・エコロジー相、マルガリタ・ロブレス国防相それにマルラスカ内務相の5人だ。彼らが事態の深刻さを理解して即座に対応しておれば、これほどの惨状に至っていなかったのは確かだ。
要するに、気象庁が先月29日の午前7時半過ぎに豪雨による洪水警報を出した時点で、中央政府が陣頭指揮を執り「非常事態体制」を発動してバレンシア地方に軍隊の緊急部隊を派遣しておくべきであった。
即時に12000人から成る部隊を派遣し、同時にバレンシアとその近郊都市の自治体が住民に洪水警報を出しておれば、住民は車を安全な場所に移動させたり、家屋などに水の侵入を防ぐ工夫もできた。それをしなかったことから、少なくとも10万台の車がスクラップになっているという。また、家屋、商店、倉庫、地下駐車場、工場などで最高3〜4メートルまで水が浸入した。死者については上述した通りだ。
85万人が被災者となった
ところが、早朝の洪水警報が出されてからもサンチェス首相は何もしなかった。唯一彼が行ったのは、バレンシア州政府に対し「支援が必要であれば、中央政府に依頼すればよい」と伝えだけであった。これはあたかも、海で溺れそうな人に対して「救命が必要であれば、要求してくれ」と言っているようなものだ。
そもそも一国の首相が陣頭指揮も執らず、このような発言をするということ自体、彼には国家リーダーとして資格はない。
サンチェス氏の脳裏にはバレンシア州政府は野党第1党の政権だということで、一定の距離を置いて見ていたようだ。州政府がサンチェス氏と同じ政党であれば、恐らく彼が陣頭指揮を執ったであろう。彼は国家リーダーとして料簡の狭い人間であるというのは以前から良く知られていることだ。
バレンシア県には266の自治体があり、今回75の自治体が被災して、およそ85万人がその影響を受けたのだ。だから、仮に緊急体制下にある12000人の軍隊を送ったとしても、各自治体で活動できる軍人の数はそれほど多くない。それでも軍隊は被災地で色々な活動ができる。
ところが、サンチェス首相は最初に僅か1200人の軍隊を送り、それでは足らないとして500人を追加。そのあと5000人を追加し、それに加え警察と治安警察も同等の人数を派遣したということで小出しの対応しかやっていない。すでに2週間が経過した今も自治体によっては彼ら軍隊の存在が不足しているというのだ。
サンチェス首相の指示に抵抗することもなく従ったマルガリタ・ロブレス国防相とマルラスカ内務相の罪は重い。皮肉なことに、この二人国防相と内務相はもととも出身が判事だ。事を裁く人間にしては正義感に欠けた。
同様に、マソン州知事も29日に緊急部隊の出動を中央政府に要請すべきであったが、それをやっていない。要するに、この5人の政治家が事態の深刻さが全く分かっておらず、また被災者を思う気持ちがなかったということだ。彼らは別世界に住んでいるということだ。これは多くの国の政治リーダーによくあることだ。
以下の事態の発生と時刻は11月10日付「エル・コンフィデンシアル」から引用した。
12時07分:フッカル川水園連盟はポーヨ水溝が1秒当たり264M3を記録し、流量が増加する可能性ありとした。ポーヨ水溝はバレンシア市郊外の複数の近郊都市を流れているので、この水溝が氾濫すればバレンシア市郊外の複数の都市が瞬時にして洪水に見舞われる可能性が高くなっていた。
ところが気象庁は、午後から雨量は次第に減少して6時頃には雨量は鎮まると州政府に報告していた。
12時23分:バレンシアの中央政府代理人は中央政府傘下のフッカル川水園連盟の報告に従って州政府の内務長官サロメー・プラダ氏に事態が深刻な様相を呈するようになっていると伝達。それは気象庁の午後には雨量は鎮まるという予報と矛盾していた。
13時30分:フッカル川水園連盟はバレンシア県を流れる3つの川と川溝の水位の急激な上昇をバレンシア州政府に警告した。
14時:各自治体は州政府からの警告を住民に伝え外出を避けるように警告した。ところが、この警報が一般の住民には十分に伝わっていなかったようだ。この時点で各自治体が厳重にそれを住民に通達していれば住民は車を安全な場所に移動していたであろうし、家屋、商店、倉庫などに水の侵入を防ぐべく工夫をしていたはず。ところが、住民はこの時点ではまだ日常の生活を続けていた。この時点が今回の大惨事を招く前の最後の分岐点であった。
15時:バレンシア州政府は「対策連携会議」を開いた。各関係組織の代表が出席した。この会議の議長にはサロメー・プラダ内務長官が就いた。マソン州知事はこの会議に欠席した。州知事は官邸から歩いて30分くらいのところにあるレストランで一人の女性ジャーナリストと食事に出かけた。彼女を州テレビのディレクターとして雇用するのが目的であった。
一般常識として理解できないのは、バレンシア県の多くの自治体が洪水になる危険性があるという中で、危機の指揮を執るべき州知事が対策連携会議を欠席して洪水とは全く関係のないことのために会食をしたという行動には誰も理解できないでいる。
15時30分:バレンシア県のワインの産地ウティエル市とレケナ市では洪水が始まった。この時点から洪水の被害を最小限に食い止めるには時はもう既に遅しであった。即ち、早朝7時半過ぎの洪水警報が出た時点から8時間後に最初の洪水が始まったのである。
17時:州政府は「連携作戦センター」を開設して軍の緊急部隊、水園連盟などのそれぞれ代表が出席した。マソン州知事はまだ会食から戻っていない。
18時43分:フッカル川水園連盟はポーヨ水溝の流量が1秒当たり1686m3まで上昇と州政府に伝えた。その10分後には2282m3まで上昇。もうこの時点ではポーヨ水溝が流れる水は完全に氾濫して近郊都市は全て洪水に見舞われた。
マソン州知事が会食から戻って来たのは18時30分だった。即ち、3時間以上も会食をしていたことになる。その間、彼の電話は受信拒否となっていた。だから、「連携作戦センター」を指揮していたサロメー・プラダ内務長官が何度も彼の携帯を呼び出したが繋がらなかったという。
ここでも二つの怠慢を観察できる。彼が会食しているレストラン名は分かっている。ではなぜそのレストランに電話をしなかったのか。事態は緊急を要する状況であるのに携帯を受信拒否の状態にし、しかも3時間以上もかけて会食をするという州知事の行動は人道を逸脱している。
20時:気象庁とフッカル川水園連盟が属している中央政府の環境・エコロジー省のNo.2ウーゴ・モラン氏が州政府に電話を入れて流量が少なくなることはないと伝えた。今頃になって、中央政府が州政府に接触して来るという怠慢さ。
彼はバレンシア地方で洪水になる可能性があるというのが分かっているにもかかわらず南米のコロンビアへ出張していた。生態系多様性の展示会に出席して講演するためだった。だから彼が州政府に電話を入れたのはコロンビアからであった。バレンシアで洪水になる可能性があるのと分かっているにもかかわらず出張する必要があったのであろうか。
更に環境・エコロジー省の怠慢は、そのトップである大臣テレサ・リベラ氏も洪水になる可能性があるのを知っていたにもかかわらずスペインを不在にしてブルッセルに出張していたのである。EU委員会の副委員長になるための自己アピールをするためであった。
フッカル川水園連盟も気象庁も州政府に提供していた予測が正確さを欠いていた。この二つの組織の最高責任者は環境・エコロジー省のテレサ・リベラ相である。しかも、今回の被害を受けた近郊都市を流れているポーヨ水溝の清掃をして水の流れる容量を拡げる工事をせねばならなかったのに、それを彼女は3年前から延期していた。それも今回の氾濫の要因になっている。
そしてサンチェス首相も洪水の始まった当日インドを訪問すべくスペインを出発した。
このように、今回の大惨事をもたらしたのはこの5人の政治家の職責への怠慢以上なにものでもない。だから、この5人は責任をとって辞任すべきである。それでも被害と死者が減るわけではない。しかし、少なくとも任務の遂行を怠り多大の被害を及ぼしたことに責任を負うべきである。ところが、彼らは辞任するなど全くその意向はない。スペインで政治家が辞任するというのは殆どない。