「日本の薬学教育―医療の質を高める薬剤師を」という本がある。
著者は林一、共立薬科大学(現慶応大学薬学部)において、物理学を教えていた教員だ。
曰く、
「薬剤師の仕事はおろか、薬の研究すらしたこともない教員が、薬の学を教えている」
「アリバイ的に抗腫瘍活性とか抗菌作用とかいう言葉をちりばめているが、よく読むと、薬とは何の関係もない論文が量産されている」
「薬学部とは、いわば、空気力学を教えて、操縦法を教えないパイロット養成所である。教官は飛行機に乗ったこともない」
薬学部は、実験科学の研究教育機関としてなら、それなりに見るべきものがあるのだが、職業教育機関としては論外である。薬剤師の仕事とは、何の関係もないことを、平然と講義し、実習させている。
かつて、私(井上)は、薬学部教員や薬剤師に、
「薬学部での教育って、薬とは無関係なことが多いけれど、仕事に役立っているか?たとえば、膨大な時間をかけて実験技術を教え込んでいるけれど、薬剤師が薬局や病院で実験をすることなんてありえないじゃないか」
と聞いたところ、
「実験技術は、無菌調剤や秤や分包機の操作に役立っている」
という、まことに無理のある答えしかできなかった。そんなものは、せいぜい3日もあれば習得可能だ。
また、次のような言い訳もある。
「薬学部は薬剤師を養成するだけでなく、研究者も養成しているから、薬とは関係がなくても、実験科学教育は有用だ」
しかし、この言い訳も、薬学部が、6年制(薬剤師コース)と4年制(創薬コース)とに分離されてしまったために、無意味となった。
医薬品のハンドリングに専門技術が必要とされたのは、19世紀までである。かつて、医薬品は、草根木皮から抽出される、家内制手工業製品だった。真贋を見分けたり、品質を管理するには、それなりの技術が必要だった。
現在の医薬品は、巨大化学プラントで生産される工業製品である。家電製品や加工食品の取り扱いに専門職が不要であるように、医薬品の取り扱いには、何ら技術は必要ない。
われわれは、ピッキングマシーンを養成するのに、6年もの教育年限を義務付けるべきだろうか。
「薬剤師は医薬品を袋詰めしているだけではない。処方箋の監査や情報提供や病棟活動もしているから、薬学教育は必要だ」
という言い訳も考えられるが、これも間違っている。若干の薬理学や製剤学の知識は必要だが、それらはすべて本に書いてある。学校教育で教えるとしても、6年どころか1年もあれば十分である。
果たして、薬学教育は、薬剤師のためにあるのか、薬学部教員の雇用のためにあるのか、どちらなのだろうか。
コメント
実際、市販の薬局付きの薬剤師は実験する機会などほとんどないでしょうし、いわば”多少高級な登録販売者”をつくるのに6年間も教育する意味がわかりません。
まあ、薬学部がなくなったら、化学系・生物系の研究者の職が減ってしまうでしょうから、薬学部はため池のようなものかもしれませんが。
薬学部の教員です。
おっしゃる通りです。すでに薬学部での薬剤師教育は崩壊しています。アメリカのように処方権を医師から薬剤師に移すなど職域の拡大に関する改革が行われなければ薬剤師自体の職の存在意義に未来はないでしょう。
処方権を移し、薬局でも長期投与薬や軽度な症状に対する投薬が可能となれば、医療費の削減にも一躍買うのではないでしょうか?
現状の医療費拡大を食い止める最もいい方法は、開業医に対する診療報酬を大幅に削減することです。ただ単に技術料を下げては勤務医に影響を及ぼしますので、技術的に簡便な医療行為に競争原理を導入すべきです。
相変わらず大胆かつ適切なご意見で感銘しております。
ただ、医学部も薬学部も有ったって良いんではないでしょうか。
医師や薬剤師の受験資格にさえしなければ…
なお新司法試験は平成23年度から予備試験が行われますので、全てがロースクール卒というわけでは無さそうです。
ただし、どの程度の難易度なのか興味津々ではあります。本番の司法試験より何倍も難しかったりして。(笑)
自動車の免許が未だに一発試験があるのですから、全ての資格試験も同様にすべきかと私も思います。
kbk7478 様
>アメリカのように処方権を医師から薬剤師に移すなど
アメリカでは処法権は薬剤師にではなく、医師にあります。
>職域の拡大に関する改革が行われなければ薬剤師自体の職の存在意義に未来はないでしょう。
薬剤師の職域の拡大には大賛成です。アメリカでは薬剤師には薬の適応・投与量から、副作用、医薬品の交差反応、薬の特異反応 (idiosyncratic reaction)に至るまで、実に詳細な知識があります。クリニックと薬局は分離していて、薬剤師さんは個々の患者さんが何の病気で何の薬をどれだけ、どのぐらいの期間処方されているか、何のアレルギーがあるか、実によく把握しています。医者が現在の薬と交差反応を起こす可能性があったり、投与量を間違ったり、とにかく何かリスクのある処方を出すと、すぐさまダイレクトに連絡をよこします。
病院では医者のほうがその病院には何の薬が置いてあり、どのような投与量でどのような経路が可能か等のコンサルト的なことをしています。
また大きな大学病院のような所では、新薬や治験も行うので、PhD の薬剤師が薬局で働いていることもあります。このレベルの専門かであれば、6年間の教育は生かされると思います。そして、医師の負担は減り、処方のダブル・チェックにより、患者さんの安全性は高まります。
また実験系の分子生物学の知識や技術、薬物エンジニアその他の専門家は、もちろん新薬の研究・開発に、日夜励んでいます。
新産業の育成、新しい雇用の創出を目指すなら、日本の薬剤師も教育レベルを上げるのことは、日本経済に対するポジティブな長期戦略にも貢献して行くでしょう。
すみません、訂正です。
病院では薬剤師の方が、その病院には何の薬が置いてあり、どのような投与量でどのような経路で投与するか等について、医者のコンサルタント的な役割を果たしています。
kbk7478 様
>技術的に簡便な医療行為に競争原理を導入すべきです。
これはどういう意味なのでしょうか?
患者さんに必要なのは、最適な治療を、無駄なく適正な価格で提供することだと思うのですが。
‘簡単な医療技術に競争原理を導入’というのは、薄利多売、量をこなしてかどをはしょり、低品質低価格で儲ける者が勝つ、いわば「悪貨が良貨を駆逐する」ということなんでしょうか?まさか違いますよね。
そんなことしたら、本当にアメリカのように、貧乏人は発展途上最貧国より質の悪い医療 - アメリカのメトロポリタンの貧困地域では世界最貧国で不衛生な国より平均寿命が短いんですよ。
一方金持ちは世界最先端最高峰の医療を享受、金持ちで長生きする社会になっちゃいますよ。
井上様
記事を楽しく読ませていただいております。やや極論かもしれませんがいつも本質を突いたご提言だと思います。
以下コメント欄の記述に対して少しコメントさせてください。
ap_09様
>日本の薬剤師も教育レベルを上げる
おっしゃりたいことは感覚的にはわかりますが、これは順番が逆だと思います。
まず薬学部卒業者以外にも薬剤師の資格取得の門戸を開いたり、薬剤師の職域拡大といった規制緩和が行われることにより競争が起こります。これだけでも薬剤師の質は高まるでしょうが、さらに他者との差別化要因を求めてPh.D.の取得が重視されるようになるかもしれません。その段階ではじめて大学院教育拡充を考慮すればよいと思います。
>患者さんに必要なのは、最適な治療を、無駄なく適正な価格で提供すること
ap_09さんの正義感が伝わってくる一文ですが、まさにこの目的を達成するためにフェアな競争原理の導入が必要なのだと思います。それにより低品質な医療の提供者は淘汰され、高品質な医療が低価格で提供されるようになるのですから。
arcsine様
>これは順番が逆だと思います。
まず薬学部卒業者以外にも薬剤師の資格取得の門戸を開いたり、薬剤師の職域拡大といった規制緩和が行われる。
そうですね。井上先生のおっしゃる通りそれも良いかもしれませんね。薬学部以外の候補者というのは、理学、化学系の学生でしょうか。臨床薬剤師資格取得には臨床研修を義務付けることになりますでしょうか。いつも同じ国を引き合いに出しますが、アメリカの薬学部学生には、たとえば病院実習があり、朝たびたび、病棟回診(毎日)を医師チームと一緒にします。回診では実際病室を訪れる前に、医学生や研修医が前日からの患者の経過を報告し、その日の検査や治療のプランを立てるために、ティームで短いディスカッションをします。薬学部学生は、現に投与されている薬や、他に何か新しい薬のオプションについて自分の意見を述べたり、指導医から質問されたりします。実習ローテーション中、現場で実際にどのように薬が使われ、担当の患者さんが治療にどう反応するか経過を追います。また回診が解散すると、医学生や研修医と医師の病棟オーダーを一緒に考えてアドバイスをしたり、一緒に文献検索をしたりして、教科書の範囲を超える専門知識やスキルを、実地で身に付けて行きます。
こうなると、臨床実習エントリーレベルで、基礎知識を確認する資格試験が必要となり、それはCBTやペーパー試験で十分でしょうね。しかし個々の薬剤について臨床全科ですから、よほど動機があって自力でそのレベルになるより、ストレートで薬学部に行くほうが、はるかに楽そうです。
>まさにこの目的を達成するためにフェアな競争原理の導入が必要なのだと思います。それにより低品質な医療の提供者は淘汰され、高品質な医療が低価格で提供されるようになるのですから。
日本は国民皆保険制なので、どの疾患や外傷でも診療請求の仕方が一律であり、請求の増加->数をこなす、しか思いつかなかったのですが、ご指摘の競争というのはどのようなものなのか、何か具体例をお教えいただけませんか?
>arcsineさん
>まず薬学部卒業者以外にも薬剤師の資格取得の門戸を開いたり、薬剤師の職域拡大といった規制緩和が行われることにより競争が起こります。これだけでも薬剤師の質は高まるでしょう
まず、この文章自体が論拠不明です。なぜ競争が起こることにより薬剤師の質が高まるのか?そこを指摘する必要があるでしょう。
競争、すなわち市場原理により質が高まるためには、最低限必要なことがあります。それはユーザーが商品の質を「的確に」把握出来ると言うことです。
実際臨床現場に立って見ていますと、医療に関しては「質」を的確に把握出来る患者さんは残念なことにごく希です。ほとんどの患者さんはさして根拠のない「噂」や病院の「箱の大きさ、外見のきれいさ」、「思い込み」で医療機関を選びます。
我々から見れば「おぃおぃ、勘弁してくれよ」とか「どこをどう見てもヤブだな、こいつ」レベルの開業医院が案外流行っていたりするものなのですよ。で、医療に関しては他のエントリーでも書きましたが、9割はルーチンワークであるため案外そう言うところでも大きな失敗をせずに運営出来てしまったりします。ですが、長期的に見た場合、患者さんの状態は極めて悪いものにされていると言うことは良くあるのです。
上で私が書いたことに関して、井上氏の「医師増員のため、医学部を廃止せよ 」エントリーに対する、極めて的確なトラックバックが存在しますので改めてこちらにもご紹介しておきます。
http://rionaoki.net/2009/11/1546
大変納得のいく論旨だと思いますよ。
なお、井上氏の議論で最も欠けているのは、「専門家の仕事に対する敬意」です。彼自身の経歴からすると薬剤師としての実務に就いた経験はほぼ皆無のはずで、臨床医として経験は5年未満です。一般的に医師が臨床医として1人前「弱」と言われるまでには卒後10年はかかります。現在の彼は「周囲の一人前の医師達に支えられてやっと臨床を行っている」レベルのはずです。
その彼が「現状でも、どうしようもない医師はいくらでもいるではありませんか。」だの言っているのをみると、「(どうしようもない医者とは)それはブーメランか?」という感想しか出てこないです。彼は自分のことをよほどの天才だとでも思っているのでしょうか?
卒後5年目ぐらいというのは、割と医師として「自分は何でも出来る」と思い上がりがちな時期ではありますが、本当の臨床の怖さを知るのはこの先です。
localsgさん、
>井上氏の議論で最も欠けているのは、「専門家の仕事に対する敬意」です...臨床医として経験は5年未満です。
ある業界の改革を考える時、その職業で年季を積む事は必ずしも必要であるとはいえません。むしろ、その業界で長く従事する事で、その業界の古い価値観に染まり、改革の抵抗勢力になっている可能性も考えられます。
医療業界の問題を議論する資格として、医者である必要すらありません。時間を割き、行政から医療現場までの問題に関する情報を広く収集し、正しく認識する能力があれば良いという事です。
また、内部から現れる改革者というものは、えてして、若い世代であり、新しい考え方をもっているものです。
>bobby2009さん
>ある業界の改革を考える時、その職業で年季を積む事は必ずしも必要であるとはいえません。むしろ、その業界で長く従事する事で、その業界の古い価値観に染まり、改革の抵抗勢力になっている可能性も考えられます。
ご指摘のとおりです。ですが、それはあくまでその人が業界水準で一人前になっているという前提での話でしょう。長く業界にいればいいと言うものではないですが、どの世界でも半人前が口を出すレベルの話ではありません。
小学生が「学校に行くのなんか意味がないよ」などと言ったところでお母さんにお尻を叩かれて終わりです。この話はそう言うレベルのお話しです。
>医療に関しては「質」を的確に把握出来る患者さんは残念なことにごく希です。
情報の非対称性というヤツですね。
もっと医療に関する情報を、独占しないで、広く提供したらどうでしょう?
> aoi700aoi さん
別に医師の誰も情報を独占したがっているというわけではないのですよ。
根拠のない治療、例えば風邪における点滴等ですが、「あそこの先生にかかれば風邪でいつでも点滴をしてくれる」という下らない理由でどうにもならないヤブ開業医にかかる患者さんはものすごく多いです。
いくら情報を与えても受け手の側にその気がなければどうにもならない部分があるのです。
>aoi700aoiさん
>情報の非対称性というヤツですね。
ちょっと言葉に関して誤解があるようです。
情報の非対称性というのは下のようなお話しです。
医学の情報というのは別にどこかに秘匿されているわけではありません。医学文献は最新のものであっても一般の方が手に入れることは十分可能です。教科書レベルの話であればちょっと大きな本屋に行けば誰でも購入出来ます(馬鹿高いですが)。
でも問題はそれらを購入したところで、読んでも意味が分からないということです。読むためにはベースの知識が必要だからです。家庭の医学のような本は出ていますが、これは一般向けに内容をものすごくはしょって書かれています。深いところを書いても理解出来ないからです。専門分野の深いところになると、医師でもそれを理解出来ないことが多々あります。
こう言うのを医学における情報の非対称性と言います。
aoi700aoi様
>もっと医療に関する情報を、独占しないで、広く提供したらどうでしょう?
大賛成です。どうやらこれが鍵のような気がします。
1.ネットで医学一般の知識の普及。
2.医師会、学会による登録医の教育、研修、勤務、専門・認定医保持等、医師個人の情報公開
3.病院に患者ー医師双方のための調停サービスを置く。 -たとえば、患者さんが医師に聞きたいけれど、聞きづらいので、代わりに間に立ってもらう。
こんなところでしょうか。
ところであなたが病院に行ったとき、「ご自分の病状について詳細に知りたいですか、それとも医療側に一任して‘おまかせサービス’を受けたいですか」と聞かれたら、なんと答えますか?
ap_09様
フェアな競争原理というのは最適な医療を適正価格で提供する者が生き残り、そうでないものが淘汰されるという理想的な状況を指す言葉として用いました。
今後の方向性としてそういった状況が達成されるようにみなで知恵を絞って制度設計その他を考えていかなければならない段階にきていると思うのです。コメント18で提案されていることはそのための大変良い方策だと思います。特に3のように、医療機関と患者との間をつなぐ第3者機関の設置は双方にとって非常に大きなメリットがあると感じます。
もちろん課題は山ほどあって簡単に答えの出る問題ではないのですが、できない理由をいくら並べていても何も変えられないのです。
>ところであなたが病院に行ったとき、「ご自分の病状について詳細に知りたいですか、それとも医療側に一任して‘おまかせサービス’を受けたいですか」と聞かれたら、なんと答えますか?
私に対する質問ですか?それとも広く一般に対して?
とりあえず、私は悪いことであっても、知りたいです。
薬に関しても、実験のデータやお金の流れまで詳細に知りたいです。
>arcsineさん
>フェアな競争原理というのは最適な医療を適正価格で提供する者が生き残り、そうでないものが淘汰されるという理想的な状況を指す言葉として用いました。
一般的な市場経済原理が通用する世界においてはおっしゃっていることはもっともだと思います。ところが、医療においては、特に現在の日本の医療においてはまるっきり非現実的です。
まず、「適正な医療を適正価格で提供するものが生き残り」というこの言葉が成立するためには医療から公定価格を取り払う必要があります。公定価格が存在しているのに上の言葉は成立しないでしょう。ap_09先生がおっしゃっている「どの疾患や外傷でも診療請求の仕方が一律」というのはこのことです。
したがって医療に競争原理を持ち込むためには最低限国民皆保険制の放棄、もしくは最低でも混合診療の導入が前提条件として必要になります。
混合診療の導入については現在の医療経済学・医療社会学においては「デメリットの方がはるかに大きい」というのがスタンダードな考え方です。
市場経済医療が主体となっている典型的な国がアメリカですが、その実情はまさに金持ちは高度医療を安く受けることが出来、貧乏人は最低品質の医療を高い値段で受けるという状況です。いや、医療自体を受けれないこと、医療を受けることによって破産することも希ではありません。アメリカの破産原因の最も多い理由が医療なのですよ。だからこそ、オバマ政権では何とかして国民皆保険制度を導入しようとしているのです。
一度でも良いですから李啓充先生の「市場原理が医療を亡ぼす」および「市場原理に揺れるアメリカ医療」を読んでみてください。只で読めますよ。ちょっと面倒ですが「週間医学界新聞」のバックナンバー(http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/nwsppr_backnumber_old.html)1996年2202号から連載が始まり、現在も続いているものです。
書籍化もされていますのでご購入になってまとめて読んでも良いと思います。
なお、医師に関して言えば、医療に市場原理が導入されて困ることはほとんどありません。むしろ、一部の医師からは既に「もう国民皆保険は諦めて、さっさと混合診療に移行した方が楽だろう」という意見も上がっています。
それでも、混合診療に反対する意見がいまだに強いのは、アメリカ医療の悲惨さを良く知っているものが多いからです。
>できない理由をいくら並べていても何も変えられないのです。
出来ない理由を並べたくて並べているのではなく、そうしない方が「患者さんにとってメリットが大きい」と信じるからなのです。
localsgさん、
>ご指摘のとおりです。ですが、それはあくまでその人が業界水準で一人前になっているという前提での話でしょう。
繰り返しになりますが、もう一度述べます。
十分な情報を収集できる能力があり、問題を識別して考える能力があれば、学生であろうが、素人であろうが、だれであっても議論する資格を備えています。更にいえば、全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案できる能力があればなお良いと言えます。
arcsine様
>できない理由をいくら並べていても何も変えられないのです。
おっしゃるとおりです。改善すべきはどしどしやるべきです。
>フェアな競争原理というのは最適な医療を適正価格で提供する者が生き残り、そうでないものが淘汰されるという理想的な状況を指す言葉として用いました。
ある地域にトンデモ藪医者がいて、他に医者がいないので、でたらめ診療でやり放題な所には、マトモな医者に来てもらってトンデモ藪医者には廃業願う、と言う競争は是非してもらいたいです。そのためには医療サービスの質を見抜くリテラシーが、患者の側にも必要ではないでしょうか。それには患者が自己決定権を持ち、患者への医療情報開示の法的義務付けがあるべきです。すると患者の側には、「おまかせ診療」ではなく、情報を受け止めて、自分が主体になって医療サービスを受けるという義務が生じます。
このエントリーにトラックバックを送りたいのですができないので、よろしかったら拙ブログにもお目をお通し下さい。http://blog.livedoor.jp/ap_09/archives/1449523.html
-つづき -
私は制度の大枠としては、日本は優れていると思っています。医療技術は世界的にも最高レベルなので、医療教育そのものは原則的に良く機能しています。また、ドクターショッピングもしほうだいです。
アメリカもイギリスも、好きに医師や病院を選べる自由はないです。イギリスでは医療費を抑えるために、国の方針で誰がどの程度の検査や治療法を受けられるか制限されています。もっとも、アメリカではお金さえ出せば納得行くまで、文字通り世界最先端・最高峰が可能ですが。
aoi700aoi様
>とりあえず、私は悪いことであっても、知りたいです。
薬に関しても、実験のデータやお金の流れまで詳細に知りたいです。
これが日本国民大多数の思いになることが重要だと考えます。
>市場経済医療が主体となっている典型的な国がアメリカですが、その実情はまさに金持ちは高度医療を安く受けることが出来、貧乏人は最低品質の医療を高い値段で受けるという状況です。いや、医療自体を受けれないこと、医療を受けることによって破産することも希ではありません。アメリカの破産原因の最も多い理由が医療なのですよ。
localsg さんのおっしゃるとおりです。
アメリカでは80過ぎて心臓のバイパス手術を受けた後、100歳を越えてもカクシャクとして社会生活を営む人がある一方、都市部の貧困層では世界最貧国より平均寿命が短かかったりするほど格差があります。そして、今までまともな暮らしをしていた中流層にも医療破産が広がっています。
よろしかったら11月25日付けのニューヨークタイムズの記事ですが、機械翻訳でもかけてみて下さい。http://www.nytimes.com/2009/11/25/health/policy/25bankruptcy.html?th&emc=th
>bobby2009さん
結局のところ、業界レベルで半人前の人間が「問題を識別して考える能力があれば、学生であろうが、素人であろうが、だれであっても議論する資格を備えています。」というところに行き着けるかどうかと言うことじゃないでしょうか。
一般的にそれは不可能と考えて良いと思います。問題の識別レベルで論外と考えられるケースが圧倒的に多いからです。
ちなみに井上氏に関して言えば論外以前のレベルと考えて何ら差し支えないと思います。
localsgさん、
>一般的にそれは不可能と考えて良いと思います。
そこまで言うからには、あなたはあなたの設定した条件における一人前の医者なのでしょう。
それを前提として言わせて頂ければ、あなたのこの言動に代表される態度が、まさに私が日本で感じている「押し付けがましさ」に通じるものであり、ap_09さんが別トピで述べられた、「医者と患者の距離を遠ざけている」原因かもしれませんね。
>>ap_09さん。私は日本の医療従事者の熱意と善意は感じますが、「治してやっている」という押し付けがましさが前面に現れていて、好きではありません。
>>始めて意見が一致しました。その点は私も100%同意です。そういう態度で患者さんに臨む医療従事者かが日本では人によりけりなんでしょうね。
私がここのブログで発見して驚いたのは、日本では、患者と医者の間に大きなコミュニケーションギャップが生じていることですね。患者さんの側には鬱積した怨念に近い抑圧された不快があるようです。それを感知しない医師が、「KY」とか「常識が無い」といわれるのもしょうがないんでしょうね。理由は別ですが、私自身もアメリカに渡った当初は、こういう抑圧されたネガティブな感情から解放されて、本当にすっきりとしたものです。
こうなると患者側は何でもいいから全部チャラにしてすっきりしたいと言う気持ちになるのもよくわかります。井上先生はこうした患者側の気持ちを非常にうまく捉えてご意見を構築された、と言う意味では、大変鋭い論客であり、患者の気持ちのわかる医師なのではないでしょうか。匿名ではなく、名前も出しておられるわけだし。
日本の医師・患者関係は未だに、岡田克敏氏の「仕分け人の態度と監獄実験」のような関係なのではないかと推察します。こんなの止めたほうがいいですよ。
患者さんだけでなく、医師の側も非現実的な期待によるプレッシャーから開放されて、まともな人間らしい感性を取り戻せます。
>bobby2009
十分な情報を収集できる能力があり、問題を識別して考える能力があれば、学生であろうが、素人であろうが、だれであっても議論する資格を備えています。更にいえば、全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案できる能力があればなお良いと言えます。
>localsg
一般的にそれは不可能と考えて良いと思います。問題の識別レベルで論外と考えられるケースが圧倒的に多いからです。
問題はそれ(医学文献など)らを購入したところで、読んでも意味が分からないということです。読むためにはベースの知識が必要だからです。家庭の医学のような本は出ていますが、これは一般向けに内容をものすごくはしょって書かれています。深いところを書いても理解出来ないからです。専門分野の深いところになると、医師でもそれを理解出来ないことが多々あります。
localsg氏は医療従事者でさえも医療問題を識別して考える能力がないのに、ましてや専門外の者が「全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案できる能力」を以ってしても、問題解決の糸口を提供できないと言う。
これは中世のカトリック教会が「聖書」を人々から秘匿し、ラテン語を読めない一般人は聖書とキリスト教信仰を理解できないと断じたことを想起させます、が如何なものでしょうか?
satahiro1様
日本はいまだ中世なみかもしれませんが、
ありましたよ。
その localsg さんおすすめの李啓充氏は、患者の知る権利推進派です。
今年の3月の記事ですね。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02822_01
やっぱり情報開示の方向ですよ。
医療側の努力目標として患者の知る権利があるようですが、
徹底させるには、医療法規の改正が必要なようです。
政治家に法改正の請願書を出すのも手でしょうね。
>読むためにはベースの知識が必要だからです。
そこで教育なのですが、私はこれも含めて開放したら良いと思うのです。
椅子のコストが高く物理的に増やし難い環境においては、
学ばせる人を選別することに合理性はあっかと思いますが、
今はインターネットがあります。
ネット配信を使えば、パソコンの数だけ椅子の数になります。
学びたいという人を入り口で蹴る必要が無いのです。
satahiro1さん、
>localsg氏は医療従事者でさえも医療問題を識別して考える能力がないのに、ましてや専門外の者が
我々は、素人が医者になる為の知識について議論しているのでしょうか。いいえ、違います。ここでの議論は、医療制度についての議論であり、患者の医療知識についての議論ですね。
良い医療制度をつくる為には、良い医者である必要があるのでしょうか。いいえ。良い現場プレーヤーである資質と、良い管理者・制度設計者になる資質は異なっています。そして、医療問題の情報は、ネットの中にすら溢れています。
病気と治療に関する情報は、大学や研究機関が発信する情報、医療側の発信する情報、患者側の発信する情報が、ネットに溢れています。
どちらの場合でも、相応のリテラシーがあれば、素人でも専門的な情報のかなりを読み砕き、理解する事ができます。
これは私の個人的な経験からも確かです。
>localsg氏は医療従事者でさえも医療問題を識別して考える能力がないのに、ましてや専門外の者が「全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案できる能力」を以ってしても、問題解決の糸口を提供できないと言う。
どうも、議論が拡散しているようですが、そもそも私が言っているのは医療全般についての話ではありません。医学教育を受ける初学者が「これは医師になるために必要、これは医師になるために不要」と言うことの是非を問うているのです。不要だと言い切るためには少なくともその分野で十分独り立ちして仕事が出来る人でなければならないでしょう。そもそも「全体を俯瞰する視野と全体最適な解決策を提案する能力」を持っているならば、半人前であるはずがないのです。
そして、ごく一般的な話をするならば、医療において一人前の能力を持つとされるには最低卒後10年かかるというのは定説です。井上氏がよほどの医学の天才でもない限り、卒後5年程度でそれが得られると考える方がおかしいでしょう。
なお、むしろ医学知識や医療制度に関しては私も公開すべきという立場ですし、一般の方が積極的に参加すべきだと思います。
>bobby2009さん
>我々は、素人が医者になる為の知識について議論しているのでしょうか。いいえ、違います。
もしbobby2009さんがこうお考えだとするのなら、最初から論点が全くかみ合っていません。
私が最初から今までずっと主張していることは「医師になるのには医学部が不要だ、とか解剖が不要だとか、こういうことを言うには最低でも一人前の医師である必要がある」と言うことのみです。その点で井上氏の議論が決定的に間違っており、こう言うためには少なくとも彼が一人前の医師である必要がある、と言っています。
医療制度全体論に関して言うならば、必ずしも制度論を語るのに医師である必要はありません。むしろ医師以外の方がまともな意見を持っている場合は多々あります。
localsgさん、
>そもそも私が言っているのは医療全般についての話ではありません。
井上氏の2つの提案(医大廃止と、薬剤師に薬学は不要)は、医療崩壊問題に対するソリューションとしてのトピだと認識しています。つまり現在の議論は、その中で行われるべきものです。
病院の勤務医もドラッグチェーンストアの薬剤師も十分に足りている状況であれば、そもそも、このような議論など無意味ではないでしょうか。
そこのところを踏まえて、もう一度、ご自身の36、37のコメントについてご再考頂けましたら幸いです。
>bobby2009さん
>病院の勤務医もドラッグチェーンストアの薬剤師も十分に足りている状況であれば、そもそも、このような議論など無意味ではないでしょうか。
ご指摘のとおり、問題点は「数をどう増やすか?」ですが(これ自体、私はむしろ需要の抑制によって解決すべきと考えています)、その前提条件として「質を維持したまま数を増やせるのか?」という話があります。
その論点において「医学部不要や解剖実習不要を訴えるのであれば、少なくとも一人前の医師になっていなければこれを言うことは出来ないだろう」という話をしています。一人前になっていない医師が他の一人前の医師の質を云々するのは傲岸不遜というものでしょう。
なお、薬剤師に関してはその業務内容について完全に知悉しているわけではありませんのでコメントを控えます。これまでもコメントしてきていませんしね。
ある分野で長年勤め、長老から「一人前」の太鼓判を押されるまでは、その分野に対して批判をする資格が無いと言う事であれば、何事も根本的な改革は不可能ですね。
何十年も同じ職場・同じ業界・同じ流儀でやっていれば、当初持っていたニュートラルな感性は消え、逆に外部や若輩から批判されると、自分のキャリアにケチを付けられたような気になって反発する。そうなって初めて「一人前」であると。
それこそ、コンピュータ歴何十年の西さんに向かって、素人が「スパコンは不要」とは何事か!専門家に対する敬意が足りん!という話になります。
こうした構造は池田さんの過去のエントリーで分析されていて、白紙の新卒に企業特殊的なスキルを叩き込み、何十年か経った頃にはすっかり潰しの効かない会社人間が出来あがるという話と同じです。こうした囲い込み型組織統治が今、あらゆる分野で制度疲労を起こしている、という問題意識があるかどうかで、井上さんのエントリーに対する理解度は変わってくるでしょう。
>edogawadamoさん
私が言っているのは制度批判の問題ではなく、能力批判の問題です。ちゃんと読んでから言ってください。
スパコン作るのに「スパコンのコンピューター技術は教科書読めば分かる、試作実験は不要だ」などと素人が言い出したら、「どこの馬鹿だこいつ」と言われるのが落ちでしょう。
> localsgさん
本件では、能力批判と制度批判は密接に関わっています。ちゃんと大筋をつかんでから書いてください。
どうも議論を矮小化する傾向がありますね。しかも、所々議論がかみ合っていなかったり、自己矛盾している箇所も散見されます。
知識を詰め込みすぎると全体が把握できなくなると言う事でしょうか。
>edogawadamo
何十年も同じ職場・同じ業界・同じ流儀でやっていれば、当初持っていたニュートラルな感性は消え、逆に外部や若輩から批判されると、自分のキャリアにケチを付けられたような気になって反発する。
こうした構造は池田さんの過去のエントリーで分析されていて、白紙の新卒に企業特殊的なスキルを叩き込み、何十年か経った頃にはすっかり潰しの効かない会社人間が出来あがるという話と同じです。
10年は泥のように働け
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294734.html
>若いときは「雑巾がけ」で会社にご奉公し、年をとってから楽なマネジメントで取り返すという徒弟修業型のキャリアパスは、組織が永遠に不変で、自分がそこに定年まで終身雇用で勤務するという前提でのみ成り立つインセンティブ・システムである。
日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。新入社員は会社というムラに「贈与」するので、それを取り返すまではやめられない。ところが、取り返せる40代になると、もうつぶしがきかないので、しかたなく会社に一生ぶら下がる・・・というタコ部屋になっているわけだ。
>localsg
医学教育を受ける初学者が「これは医師になるために必要、これは医師になるために不要」と言うことの是非を問うているのです。不要だと言い切るためには少なくともその分野で十分独り立ちして仕事が出来る人でなければならないでしょう。
私が言っているのは制度批判の問題ではなく、能力批判の問題です。ちゃんと読んでから言ってください。
「専門性を備える」と言うことはムラやその掟を熟知することだけでなく、世間(外部)から自分がどのように見られているのか?と言うことをも忘れさせるもの、なのだろうか…
どうも、edogawadamoさんにしてもsatahiro1さんにしても制度批判と能力批判の違いがよく分かっていないようです。また、specialistとgeneralist、generalistとamatureの違いも分かっていないように思えます。
specialistの技能評価をするのはこれは残念ながらspecialistにしか出来ません。いっさい情報を与えられずにゴッドハンド級の外科医の手術とごく普通の一人前の外科医の手術を見せられたところでamatureがその違いを見分けること、その違いのポイントを見分けることは不可能です。generalistはゴッドハンド級の術者とごく普通の一人前の術者の技量の違いを感じ取ることは可能です。これはamatureに比べspecialistの仕事を間近に見ることが多いためですが、その技量の奥深いところの違いがどこにあるのか、どうして生じるのかは分かりません。
こういうことがあるために上で私が説明した
>実際臨床現場に立って見ていますと、医療に関しては「質」を的確に把握出来る患者さんは残念なことにごく希です。ほとんどの患者さんはさして根拠のない「噂」や病院の「箱の大きさ、外見のきれいさ」、「思い込み」で医療機関を選びます。
と言う現象が生じます。
では、ゴッドハンド級の術者と普通の一人前の外科医とで「患者の質を均等にならした」場合の長期成績はどうなるかというと、これは明白な違いが出てきます。しかし、現実的には患者の質が均等にならされることはない、むしろごく普通の一人前の外科医は自分の技量に余るものはより高度な専門家に任せるという選択をしますので、外から見た治療成績はそれほど変わらないと言う現象を生じます。
この辺についてはap_09先生がご自身のブログに書かれた
http://blog.livedoor.jp/ap_09/archives/1449523.html
で極めて的確な表現をされていますので一度ご覧になってください。
この能力批判の問題をクリアして初めて教育論の話に移行出来るのです。
さて、specialistの技能を磨くのに何が必要かと言うことは技量が高度になればなるほど、その道の最高のspecialistにしか分からないものです。磨くのに必要なことがすべての人に分かっていれば誰でもゴッドハンドになれそうなものですが、現実は違うと言うことがそれを証明しています。
従ってspecialistの教育に何が必要かと言うことはspecialistにしか本来は分からないものなのです。
さて、制度批判と能力批判の問題です。specialistの能力が社会的に必要かどうか、あるいはspecialistの能力がそれほど高度なものである必要があるかどうか、これは制度批判の問題です。社会においてspecialistの能力がそれほど高いものである必要がないという選択をする場合において、これはspecialistの意見は不要です。場合においては有害かも知れません。もちろん、この場合の意見についてはamatureの選択の方が正しい場合が多いでしょう。つまり、スパコンが必要か不要かというのは能力批判ではなく制度批判の問題だということです。
さて、医師の技量というものを考えた時に、その能力を磨くのに何が必要かと言う教育論においては、最低限必要なことが能力批判です。能力が上がったのか下がったのか分からない人間が「能力を上げるのに何が必要か」と言うことは不可能でしょう。
半人前では能力批判、教育論は不可能というのはそう言う意味です。
さて、ここで医療の質という問題を考えてみます。
specialistの能力が高い方が良いのか、低くても良いのか?
これは制度批判の問題です。また、質は低くても数が多い方が良いのか?これも制度批判の問題です。
ですから、井上氏の医学部不要論に関しても、解剖実習不要論にしてもspecialistの質を下げて良い、それよりも数を増やせという前提においてならば、皆さんの意見はまっとうです。
ただ、specialistのはしくれとして言いますが、現在世界最高水準を達成している医療の質は確実に下がります。その選択をするかどうかということです。
私はspecialistとして、あるいは場合によっては自分も医療を受ける側として、井上氏の医学部不要論にも解剖実習不要論にも賛成出来ません。
localsgさんにお聞きしたいのですが、スペシャリストレベルの技術・知識を必要としない業務を行っている医師にも医学部を卒業することが必要だと考えられていますか?
少なくても井上さんはご自身の業務については医学部をでてなくともできると考えているようですから、スペシャリスト養成のためとした医学部は残して、医師不足解消のための国家試験に受かりさえすれば、医学部卒でなくても医者になれる道を用意することにlocalsgさんは反対でしょうか?
薬剤師です。
ピッキングマシンとしてしか働いていない日本の薬剤師制度は何が原因で、他国の薬剤師は何故不要と判断されていないのか、井上氏はどのように考えているのでしょうか。
本来機能すべきものが日本で機能していないのであれば、何らかの不利益が生じていると考えますが、その不利益はそもそも捕捉できているでしょうか。
薬剤師がスポイルされた国の教員に実務家がいないのは当然ですが、現状の歪んだ分業制度を追認して単純化したとしても、問題は改善されません。氏の指摘は、薬剤師の仕事は簡単そうだから誰でもできるんじゃないかという一般の方の感情論とあまり変わらないように思えます。
タクシーの規制緩和といい、短絡的なポピュリズムは私は好きではありません。
localsgさん。私もドラマは見ましたが、ゴッドハンド(のような優秀な医師というの)は持って生まれた資質と本人の努力が大部分であり、医大(あるいは独習)で勉強する内容や質とは関係ないように思います。
また医者も他の仕事も同じで(学校を卒業し)、仕事を開始してから、どれだけ多くの努力して、勉強し、経験を積むかが、優秀な専門家になる為に最も重要な要素ではないかと考えますが如何でしょうか。
コメント失礼します。
>>aobatyouzaiさん
井上さんが考える原因は、おそらく、記事の末尾にあるように、
http://agora-web.jp/archives/805354.html 学歴インフレへの処方箋
「学歴社会 新しい文明病」
ドーアは「学歴インフレ」という病が世界中で蔓延していると書く。
最初は初等学校卒だけで十分に威信の高い職業に就けたのに、教育が整備されるにしたがって、初等学校卒だけでは差別化できなくなる。このため、社会上層部への移動を目指す人々は、中等学校に進学するようになる。同じことが、高等学校、大学でも繰り返される。
http://agora-web.jp/archives/806082.html 教師に6年制は必要だろうか?
教職免許状の取得に大学院修士卒を義務づける方針だという。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200911210182.html
同時に、現在は2週間でしかない教育実習期間を延長することも検討されている。
この改革は、薬学部6年制の出来の悪いパロディである。
資格制度の運用にあたっては、養成学校や業界団体の利害が主に考慮され、消費者のニーズは考慮されない。彼らにとっては、資格取得は難しく、ハードルは高い方が望ましい。消費者の利益代表を、何らかの形で制度改革論議に参加させる必要があると思われる。
http://agora-web.jp/archives/807191.html 薬剤師に薬学はいらない
薬学部は、実験科学の研究教育機関としてなら、それなりに見るべきものがあるのだが、職業教育機関としては論外である。薬剤師の仕事とは、何の関係もないことを、平然と講義し、実習させている。
若干の薬理学や製剤学の知識は必要だが、それらはすべて本に書いてある。学校教育で教えるとしても、6年どころか1年もあれば十分である。
果たして、薬学教育は、薬剤師のためにあるのか、薬学部教員の雇用のためにあるのか、どちらなのだろうか。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b84d8ee84cbdc77136a112f7eaba9c82 不可能な経済政策 2009-03-04 / Economics
「100年に1度」の大不況には、それにふさわしい大胆な政策が必要だが、人為的インフレや政府紙幣などは(たとえ可能だとしても)短期的な対症療法にすぎない。それより経済の効率を高める抜本的な政策をあげてみよう:
職業免許の廃止:医師不足を解消する早道は、手術などコアの業務以外の医療行為の規制を緩和することだ。弁護士や教師などは、資格試験で十分。
これ(ら)はすべて『資本主義と自由』で半世紀前に提案された政策だ。いずれも経済学者の80%以上が賛成するだろうが、政治的には実現しない。官僚機構を不要にするからである。
>localsg
specialistの技能評価をするのはこれは残念ながらspecialistにしか出来ません。いっさい情報を与えられずにゴッドハンド級の外科医の手術とごく普通の一人前の外科医の手術を見せられたところでamatureがその違いを見分けること、その違いのポイントを見分けることは不可能です。
specialistの能力が社会的に必要かどうか、あるいはspecialistの能力がそれほど高度なものである必要があるかどうか、これは制度批判の問題です。社会においてspecialistの能力がそれほど高いものである必要がないという選択をする場合において、これはspecialistの意見は不要です。場合においては有害かも知れません。
specialistの質を下げて良い、それよりも数を増やせという前提においてならば、皆さんの意見はまっとうです。
ただ、specialistのはしくれとして言いますが、現在世界最高水準を達成している医療の質は確実に下がります。その選択をするかどうかということです。
localsg氏のスペシャリスト論はこれまでよく訊かされたし、最近もノーベル賞受賞者たちが述べていたことと同質のものである。
さて、井上氏や池田氏の職業免許(医療資格・法曹資格・教員資格など)の”デフレーション”を促す提案に対して、どれ程の説得力を持ち得るものであろうか?
localsg先生の述べられていることは事実ではあると思います。
おおよその論理はトラックバックにある
http://rionaoki.net/2009/12/1923
が妥当でしょう。
私自身も医師ですがlocalsg先生と違うのは、現状レベルが維持可能であると思っていないことです。維持に必要なコストは極めて大きく、それを費やすコンセンサスが得られるとは考えにくい。それどころか、国家の経済力が医療の維持が不可能なレベルまで低下することも想定されます。したがって近い将来、医療レベルが低下するのは現実的に回避不能と考えています。
その場合、localsg先生自身が述べられている”specialistの質を下げて良い、それよりも数を増やせ”という各種資格の規制緩和は現在と比較すればそれなりに医療レベルを下げますが、その他の選択を選んだ場合の未来よりましである可能性はあるでしょう。
(レベルを低下させたくないとしたら、順番を逆転させ、試験前に教育するのではなく、国家試験合格後に、6年間程度の教育を義務化するのも一つの方法かもしれませんがこれはあまりコストを下げないかもしれません。)
思考実験してみましょう。現行制度による有資格者とペーパー試験だけの有資格者を,並存させてみるのです。医者であれば,現行制度で医者になった者とペーパー試験で医者になった者ということになります。条件は両者の区別をまったくつけないという一点です。すなわち「私はペーパー試験で医者になったのでこの疾患は診れませんとか,もし何かあったら“本物”の医者に診てもらってくださいね」という逃げ道を許さないのです。
さて,医者の現状は,応召義務が課せられ,診療要請されたら基本的にどんな患者も診なければならず,ほとんど結果責任に近い責任追及がなされ,最悪刑事訴追され,理不尽な怨みを買って土下座させられたりするのです。この精神的プレッシャーに,はたしてペーパー医者が堪えられるとは,私にはとても思えませんが,やりたければどうぞという気分です。
この思考実験は,他にもいろいろ応用が利きます。例えば,4年制卒の教師と6年制卒の教師の並列実験。4年制卒の薬剤師と6年制卒の薬剤師の並列実験。きっと6年制卒の方が良い教師,良い薬剤師なのでしょう。私にとっては検証不能ですが,明確な根拠が提示されなければ“事業仕分け”では無駄としてカットされるでしょう。
jit19850726131431さん、
>現行制度による有資格者とペーパー試験だけの有資格者を,
上記の表現は、下記のような意味でしょうか。
現行制度による有資格者=医大を卒業して国家試験に合格したばかりの者
ペーパー試験だけの有資格者=独習だけで国家試験に合格したばかりの者
もしこれで間違いないのであれば、国家試験に合格したばかりの医者は、実際の診療経験が無いという意味では、どちらも同じくペーパー医者ではないでしょうか。
逆にお聞き致しますが、法大卒業して弁護士試験に合格した弁護士と、独習で弁護士試験に合格した弁護士を比較した場合、知識の点で独習による弁護士が劣る事を明白にした統計資料はあるのでしょうか。
localsgさんは医大卒に知識の点でアドバンテージをあげておられるようですが、もしそうであれば、弁護士においても明白な類似点が見られると思われます。
如何でしょうか。
localsgさんのいう医療の「質」が患者にとっての実質的なメリットがあるかどうかが問題です。
井上さんは前回の記事も含め、些末な知識を問うばかりの医学部教育は不要(つまり医療行為の巧拙には関係ない)と書かれました。それに対して反論するなら、そのことが実際の医療行為に役立つ理由を論理的に説明すべきです。
しかしあなたは、「それはゆとり教育だ、日教組だ」といった意味不明な反発に始まり、長々と「ゴッドハンド」の偉大さを語り、挙句の果てには「スペシャリスト教育に何が必要かはスペシャリストにしか判る筈が無い」と引き篭もるだけ。
そういう話なら、「参入障壁を低くして法曹人口を増やすべきだ」という世間の声に対して、「弁護士・裁判官の質が低くなっても構わないならそれで良いが、嫌なら素人や新米が口を挿むべきではない」で終わってしまいます。まあ、実際そのように言ってる人間もいますが。
医学教育に限っては、省略する所など殆ど無い(程優れている)とお考えのようですが、あなたの発言を見るにつれ、益々懐疑的にならざるを得ません。職人は若干アスペルガーの傾向はあるものですが、自慢話ばかりでまともな説明が出来ない医師に、かかりたいとは思わないので。
医療に限らず、規制改革の話となると、その業界の「専門家」は皆同じような理由をつけて反対しますね。
〇この分野は安全性や国民生活の根幹に関わる。
〇素人である利用者は商品やサービスの善し悪しを予め判断できない。
〇よって、この分野は市場原理には馴染まない。現に米国は悲惨な状況に・・・
そういう理屈なら、例えば自動車産業は次のような事が言えます。
自動車は国民生活や産業構造に深く関わり、尚且つ安全性が極めて重要である。もし市場原理を導入すれば、民間企業は利益率の高い高級車ばかりに力を入れ、一般人が車を手に入れるのは極めて難しくなるだろう。
あるいは、安全性を犠牲にした粗悪品を売り出す事になるが、消費者は事前にそれを見分ける事が出来ない。よって自動車産業を民営化すべきではない。
しかし実際には高級車専業メーカーの方がむしろ少数派で、そういう企業は大衆車メーカの傘下に入っていたりします。そして様々な企業努力により、価格を下げ(あるいは据置)ながら安全性や快適性を向上してきました。
食品スーパー、コンビニ、運送業なども全て同様ですが、家のような理屈なら、民間企業がやって良い業種など殆ど残りませんね。
公的な資格は一旦取得するとそれに関わる犯罪行為を犯さない限り、剥奪されることはない。
今年4月より教員免許更新制が実施されている。これは公的免許保持者である教員が能力と資格を保持しているかを、10年毎にサーベイランスすると言う考え方であるが、画期的なものであると思う。
彼らは、18歳時や22歳時の成績に基づいて教員になったわけで、その後年を経るにつれて適格性が向上していったかも知れないし、中には著しく毀損した者もいるだろう。教員免許更新制は「S,A.B.C.F」と5段階評価が行われ、「F」は教壇に立てないと言うものだ。
教師らによる公的サービスを受ける私たちは、彼らの質が常に吟味され、一定以上のレベルにあることを求められ、教職に不適格な者が退出を求められる制度を歓迎するであろう。
これと同様に公的な医師資格(や法曹資格なども)に対しても適用すべきで、学校の教員と同様に10年毎に医師資格のサーベイランスを行うことを義務付け、適格者には更なる高度医療に従事したり報酬の増加を、そして不適格者は免許の剥奪と、医療現場からの退出を求められるようにすべきだ。
さらに参入と参出をしやすくする事で、医師資格を持つ人々の増加と能力の向上へのインセンティブを見込める。
そうすれば私達国民が質の高い医療サービスに廉価にアクセスできるだろう。
それで公的な職業免許(医療資格・法曹資格・教員資格など)取得のための門戸を広げて参入の機会を拡大し、取得後は「10年ごとにサーベランスを受けて適格・不適格を判断されて、その後に職務を続ける資格を保持しているかを判断されるべき」であると考える。
医学医療というものは,人間が創り出してきた複雑で精緻な文化の結晶の1つであり,文化の1つ1つが他とは区別される様式があり,偏りがあり,エントロピーの無限小の突端があり,そこはホモジーニアスな平均人(差別的意味を排除した造語)が興味本位で踏み込むことも畏れ多い聖域というものがあるのです。それは,ちゃんとした複雑な手順をひとつひとつ踏み,容易でない数々の関門をくぐり抜けた者だけが立ち入ることを許される領域です。たとえば心臓外科医が心臓を切り開く時,そこはほとんど“神”に近い存在が一瞬だけ指を入れることが許される聖域なのです。バベルの塔の先端で背伸びしてその指先が一瞬だけ,神の領域に届くのです。そこに至るまでの心臓外科医がたどった道のりの長さと乗り越えた計りしれない試練の厳しさだけが,その手から滑り落ちた数々の命の重さに,かろうじてバランスするのです。安直なペーパー試験の免許のお守り札で,耐えきれるほど,人間の精神は強くないのです。ま,テキストでめいっぱい大袈裟に表現すれば,そーゆーことです。
職業の免許制度には3種の形態があります。
1) 免許制=免許がなければ仕事を行えない。
2) 認定制=政府が能力を認定する。認定がなくても仕事を行える。
3) 登録制=登録だけで良い。
質を保証する目的だけであれば、認定制で十分にその目的は達成されます。消費者には、政府に認定されたプロとされていないプロからサービスを選ぶ選択肢を持ちます。
しかし免許制というのはそれ以上の目的を持ちます。審査を行う主体に供給をコントロールさせる権力を持たせるため、意図的に供給を絞り賃金を高止まりさせておくインセンティブが生まれます。これは通常の産業ではカルテルと呼ばれる違法な行為です。供給を減らされたことで、消費者はサービスを受ける機会を失う損失を被ります。競争が阻害されるのと、権利を持った権威に逆らう異分子が生まれにくくなるため、イノベーションは阻害されることも予想されます。
edogawadamoさんの言うように、質の保証は市場経済で行われます。医者のサービスだけ例外だ、などと考える特権階級丸出しの発想こそ既得権益だということです。
医師会には社会的常識が欠落している人が多い – 池田信夫 blog(旧館)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f65bacae249f66488dc8bfc3e9fbe384
>>jit19850726131431 さん
「凡人の門外漢は,医学に口を出すな」ではなくて「平均人が手を出すと,精神が耐えられない」と述べたつもりです。心臓外科医も天才だからではなく,平均人から大学→国試→専門医という厳しい経歴を経て,ようやく心臓を切り開くという神をも畏れぬ所業に耐えられる人間になるです。それに全ての医療行為は侵襲的です。あなたのおっしゃる糖尿病だって,その薬はランゲルハンス島(インスリンを出す膵臓の細胞)を枯渇させる“毒”であり,それを処方する平凡な開業医だって,人に“毒”を盛るという,おぞましい行為を生業にしているのです。「もし間違えたら…」という不安に耐えられるのは医者になるまでの厳しい関門と試練を乗り越えた確信しかありません。見方を変えると,あなたが薬という名の“毒”を安心して飲めるのは,医者を信じるに足る何かがあるからです。その安心感は,医者の厳しい関門や試練の大きさに比例して担保されているのです。紙っぺら一枚の国試という関門では(老婆心かもしれませんが)いかにも心もとないというのが率直な感想です。
それでも,一般人がその程度の安心感でも医療費が安い方を望むなら,いっそのこと医療行為を完全にライセンスフリーにして,各自が自分の病気は自分で治すようにしてはどうですか。それが最も安価です。何しろ診察料はタダですから。そして,独学で自分の病気のことを納得するまで調べ上げて,この薬が効くはずだと自分で確信して飲むのなら,それで死んでも,誰の心も傷つきません。しかし,もしあなたの子供が病気になって,処方した薬で死んだら,あなたの精神は耐えられますか?
jit19850726131431さん、
>しかし,もしあなたの子供が病気になって,処方した薬で死んだら,あなたの精神は耐えられますか?
私は、医者は選択枝を提供してアドバイスするべき立場であり、自分(親)が最終決断を下すべきだと考えています。そうであれば当然、結果責任も自分(親)が負うべきですね。私はその覚悟がありますよ。
isseishimizさん
コメント有難うございます。
薬剤師が保険医療において事実上「高給な袋詰め」として働いており、受益者である患者側にメリットを提供するに至っていない現状について、当事者である各々の薬剤師や薬剤師会、制度を決定している国は本来説明をすべきだと私は思っています。
現状では、分業となって病院外に薬局がある場合においても薬剤師は処方医の部下のように振る舞うことを要請されます。これは残念ながら
○院外処方を行なうかどうかは医師の任意
○同一成分でも別銘柄医薬品として販売される等、事実上処方医とのマンツーマンでしか対応できない
○薬局の開設は薬剤師でなくとも可能
などの制度設計から必然であり、多くのマトモな薬剤師は自らの意見を表明することすら出来ないことに関し、忸怩たる思いを持つに至っています。
例えば薬剤師は、服薬して実際に問題が発生する前に薬物治療の失敗を発見することが出来ます。これは基本的な職能の一つでしかありませんが、独立性が担保されない現在の医療制度ではそれは機能しているとはいえません。
医療についてのリテラシーが向上することでしか、現状を打破することは出来ないのかなと考えているところです。
edogawadamoさん
>医療に限らず、規制改革の話となると、その業界の「専門家」は皆同じような理由をつけて反対しますね
私もそう思います。提示された例に倣えば
ここ数年のメタボブームで、「ナイシトール」という医薬品が爆発的ヒット商品となっていますが、この医薬品のネーミングは「内臓脂肪を取る」からきているものと想像されます。TVCMでも、中年男性が自らの体を見て「減ってきた」とつぶやいていますが、小林製薬は朝日新聞の取材に対して、
「内臓脂肪が取れると受け取るのは完全な間違いで、そのようなアナウンスをしたことはない」
と説明しています。
医薬品には、説明書のとおりに服用しても稀に重篤な副作用が発言することがあります。市販薬で死亡したり、失明した人のドキュメント等を見た人も多いかと思います。このような被害に関して、公的な副作用被害救済制度がある訳ですが、通販禁止への反撃ともとれる今回のケンコーコムの個人輸入は、この救済の対象外です。
の2例がすぐに思いつきます。
利益重視とはいえ、ひどいことをすると個人的には思いますが、これは日本の選択です。他国と比べると、消費者軽視・企業重視の傾向に思えます。
どの程度許容するか、実践的な議論が必要なのでしょう。
http://news.livedoor.com/article/detail/4488375/
この国は“無駄”で食っている
格差”を絵で表すと下記のようになる。左側の水色さんは、丸々太って若干メタボ気味だし、コートも来ているし、両手に貯金も持っている。
しかし右側の黄緑さんは、皮下脂肪の蓄えもないし、コートもなければ貯金もない。
3割の黄緑の人達を助けるためには、自分達に回ってくるべきお金の一部を差し出す必要があるのだと、水色の人達は気がつく。
資金を捻出するには、「事業仕分け」という方法で「不要不急の予算」を削るべきだという方法論しか残っていない。
しかし、ここがポイントなのだが、水色の人達はそれらの「不急不要の事業」のおかげで、まさに収入を得ている。
水色さんらは、自分達の半数近くは「仕分けされるべき対象である」ということに気がついていない。
善意に溢れる水色さんに足りないのは“リアリティ”だ。
もう一度繰り返しておこう
この国は「膨大な無駄で生きている」ということを。
本当に無駄を省いて底辺の人を救いたいと思うなら、覚悟が必要なのは水色の人達だ。
「仕分けられる」のは、私であり、あなたなのだ。
http://agora-web.jp/archives/807191.html#comments
薬剤師に薬学はいらない 井上晃宏(医師)
若干の薬理学や製剤学の知識は必要だが、それらはすべて本に書いてある。
学校教育で教えるとしても、6年どころか1年もあれば十分である。
果たして、薬学教育は、薬剤師のためにあるのか、薬学部教員の雇用のためにあるのか、どちらなのだろうか。
>localsg
specialistの技能評価をするのはこれは残念ながらspecialistにしか出来ません。
amatureがその違いを見分けること、その違いのポイントを見分けることは不可能です。
specialistの能力が社会的に必要かどうか、あるいはspecialistの能力がそれほど高度なものである必要があるかどうか、これは制度批判の問題です。
社会においてspecialistの能力がそれほど高いものである必要がないという選択をする場合において、これはspecialistの意見は不要です。場合においては有害かも知れません。
ただ、specialistのはしくれとして言いますが、現在世界最高水準を達成している医療の質は確実に下がります。その選択をするかどうかということです。
localsg氏のスペシャリスト論はamatureが彼らの領域に踏み込み規制改革を起こそうとすると、医療界のみならず、その業界の「専門家」は皆同じような話をして反対する。
日本のどこででも訊かされる弁解だ。
“スパコン予算”の際、ノーベル賞受賞者たちが集まったのも”amature(部外者)に彼らの”聖域”が土足で踏み荒らされる”と恐れたからだ。
(彼らの多くは低予算でメインストリームに外れた所での研究により受賞したにも関わらず)
井上氏や池田氏の提起する職業免許(医療資格・法曹資格・教員資格など)の”デフレーション”は、それら業界の仕分けを促し、「この国は“無駄”で食っている」ことを露わにするだろう。
”仕分け”は私たち日本人の生き方そのものをも変化させる基となるのだ。
>>jit19850726131431さん
コメントありがとうございます。わたしに勘違いがあったようです。「平均人」というのは、あくまでも医師の話であるということですね。申し訳ありません。
ただ、わたしは、コメント66番のような、
各業界が事業仕分けの対象で無駄の削減を迫られています。大学も当然仕分けの対象から逃れることはできません。昔からレジャーランドと揶揄される大学では,多くの大学生は一部を除いて学問をおろそかにして就活などに奔走しています。ゆるい審査の卒論で卒業した頭の軽い学士様に,企業も大学の教育成果などハナから期待しておらず,新入社員をゼロから教育しなおさねばならない有様です。また日本の国益からも18歳~22歳の若者がGDPに何の貢献もせずに遊んでいるのは全くの無駄としか言いようがありません。そんな若者を“遊ばせておく”ために税金から多額の補助金を注ぎ込み,さらにその親には特別扶養控除で税金をまけてあげるほど国家財政に余裕があるはずはありません。また人生の最も大切な時期に遊び癖のついてしまう大学生自身にも良くありません。そんな無駄な大学生の教育のために高額の年収を得ている大学教授も当然仕分けの対象でしょう。
大学教授の仕分け風景を想像してみました。たとえば医学部教授は,診療して自分の給料を稼ぎ,さらに教育して,研究して,その上,最近では独立行政法人化で“経営”まで行なって1人4役をこなしていると述べて「現行どおり」とか,某学部教授は…(言えません)…ので「廃止」などと仕分けするのです。仕分けで存在意義とその根拠を示せない学部は廃止です。ちなみに法科大学院で卒業生に1人の司法試験合格者も出していない大学の存在意義って?
さらにこのエントリーで資格のデフレとやらが議論されていますが,逆に全ての学部を定員数十名程度に絞り,少数精鋭で徹底的に学問させて,医学部みたいに厳格な試験による卒業認定を行い,企業は厳しい入社試験を課すようにするというのはどうでしょう。他学部の学士資格のインフレの方が無駄が省けます。大学に蹴られた人も高卒の資格で18歳から稼いでもらってGDPに貢献してもらう方が国益にも本人のためにもなると思います。
ま,以上は全くのジョークですが,よもや自分が仕分けの対象になるとは思ってもいない方々が,いざ仕分けされる立場になると,どんな顔するか見てみたい気はします。
>>aobatyouzaiさん
返答ありがとうございます。
aobatyouzaiさんのおっしゃることで、わたしが最も重要だと考えるのは、「独立性の担保」ということだ、と考えます。
ただし、独立性といっても、aobatyouzaiさんがおっしゃるような、
あまり突っ込むとまたおかしな方向に話が進みそうなので、特に反応は不要です。ただ、改行くらいはされてはどうかと思います。
さて、神の手を持つ心臓外科医も、その境地に達するまでには何人もの生身の人間で練習を積んできたはずです。つまり、未熟者が神の領域に入ってしまっている訳ですから本来なら火炙りの刑です。しかしそれだと、いつまで経っても神の手は育ちません。
また、神の手に一旦なったら一生そのまま、ではなく、日進月歩の技術についていけなければ脱落するでしょう。老化によって目や手先が衰えるかもしれません。そもそも、神の手って何なのか?単なる手前味噌じゃないの?って話は当然あります。
要はどんな制度や関門を設けようと、完全な技術や情報を持つ人間などいないと言う事です。もしいたら、社会主義はちゃんと機能するはずです。よく言われるように、個々が不完全な情報しか持たないのに、全体としてはそれなりに機能するのが市場メカニズムです。言い方を変えると、分散処理システムです。
ふぐ調理師免許というものがあります。ふぐを独占的に調理することのできる資格です。この資格があるから人々はふぐ料理を安心して食べることができるのです。ふぐ料理が高価なのは,その安心の対価です。それを,資格に守られた既得権益者が独占して甘い汁を吸っているのは許せないということで,資格のデフレを行なえば,ふぐの食文化は壊滅するでしょう。たとえばスーパーのバイト程度の調理経験しか持たない者が,簡単な筆記試験程度でふぐをさばけるようになれば,確かにふぐ料理は安価になるでしょが,それと引き換えに,現在はほとんどゼロに近い死者が激増することは容易に想像できます。人々は,ちょっとくらいフグが安価になることと,死ぬかもしれないという不安を引き換えることはできないので,ふぐ料理を食べなくなり,ふぐの食文化は壊滅するというシナリオです。結局のところ,(資格基準)規制を緩和して,市場原理に任せる割合を高くすると,市場そのものが消滅しかねない分野もあるということです。医療はその代表だと思います。
>>jit19850726131431さん
以下のようにおっしゃっているので、どう考えたらよいか、と思ってしまいますが、
別に私は本気で「大学の各学部の定員を数十名にして,少数精鋭でガチガチに勉強させるべきだ」という論陣を張るつもりはなく,それで“ジョーク”と申し上げただけです。むしろ本心では,人生において全く無駄な時間を過ごすということも大切だと思っています。その上で,自分が働かなくても他の若者達が働いてくれることで,自分の好きなことが自由にできるという意味を深く考えて,社会に出た時に倍返しするくらいの気概で働いてもらいたいと思います。その意味で,税金から補助金と親の扶養控除を受けている大学生が本業をおろそかにして,バイトで小遣い稼ぎするのは,アマチュアが安価に労働力をコンビニや外食産業に提供することになり,結果として,そのような仕事を本業としている高卒の若者達をワーキングプアにおとしめているのであり,厳に慎むべきでしょう。それはマジでそう思います。
応用の効かない人に何度も同じような事を言うのもしんどいですが・・・
ふぐ調理師の資格は都道府県によって要件や難易度にかなり開きがあります(これ自体かなりいい加減ですが)。例えば東京は厳しく、大阪はあまい。でも、ふぐ料理が身近なのは「てっちり」で親しまれている大阪の方でしょう。しかし中毒事故の話は殆ど聞きません。
ふぐ料理店は、事故が起きたら商売に深刻なダメージがある事くらい当然知っていますから、安全性を確保しようとします(例えば、養殖のとらふぐの肉に限るとか)。ようは儲ける為には品質の担保が必要なのです。国家資格の有無とは関係ありません。
当ると死ぬと言う意味ではキノコも同様ですが、素人が確実に判別する方法はありません。よって、国家資格を持った者しかキノコの販売・調理してはならないという理屈になります。しかし、そんな制度が無くても別段問題にはなっていないのは何故か、考えてみてください。
「企業や消費者に任しておいたら、安物ばかり出回って安全性が犠牲になる」なんて発想は、民間人を見下した役人や社会主義者の欺瞞というもです。あるいは、臆病なくせにお上のお墨付きがあるとすぐ信用してしまう権威主義者の妄想です。
応用が利かない?というのは,何のことを指しているのか今ひとつ不明ですが,私の改行しないスタイルのことであれば,私は「改行して1つのコメントがすっきりして読みやすくなるメリット」と「改行しないで前後のコメントとの境界がはっきりして,さらに全体が縦に圧縮されてスクロール量を減らせるメリット」を天秤にかけ,後者を選択しているだけですので悪しからず。ふぐ調理師資格の件であれば,あなたのキノコの理屈の方が変だと思います。なぜなら日本には毒キノコを食べる文化は無いので,そんなものを販売・調理する業界は無いからです。ふぐ調理師免許は,毒魚であるフグを食べるために,その危険部位を除去する資格です。鯛やヒラメを販売・調理するのに免許は要りません。
市場経済はlowrisk-lowreturnとhighrisk-highreturnが原則ですが,統制経済の医療ではlowrisk-lowreturnとhighrisk-Lowreturnです。どういうことか手術を例に説明すると,同じ手術でも,でんぐり返り程度の技術できる美味しい症例(lowriskで合併症もほとんど無いもの)と月面宙返りくらいの技術を要する地雷症例(highriskで下手すると逮捕されるもの)があるのに,同一手術同一点数の原則で,両者の報酬はまったく一緒です。これは金融で考えるとlowriskもhighriskも同一金利というおよそ信じ難いことが医療ではまかり通っているのです。もちろんlowriskの症例の方が多く,ふだん医者はでんぐり返りを数こなして黒字を確保し,時にぶち当たるhighriskの症例による赤字(赤字にならなければ御の字,訴訟になれば大幅な損失)をカバーしているのです。ここに資格のデフレによって,でんぐり返り程度しかできない医者が量産されて,lowriskの美味しい症例だけを診療しだすとどういうことになるでしょうか。経済学者さんに考えてもらいたいです。
>ここに資格のデフレによって,でんぐり返り程度しかできない医者が量産されて,lowriskの美味しい症例だけを診療しだすとどういうことになるでしょうか。経済学者さんに考えてもらいたいです。
なぜ資格のデフレで、でんぐり返り程度しかできない医者が量産されるのですか?
医大を卒業しないと、月面宙返りくらいの技術を持った医師にはなれないのですか?
また、美味しい症例だけを診療しだすことは、資格のデフレに関係なく現在でも起こっていることです。資格だけを規制しても何の意味もなく、そのことを止めるには資格とは別に規制等を考えるべきでしょう。
資格に関しては、 bobby2009さんが述べられている
現行制度による有資格者=医大を卒業して国家試験に合格したばかりの者
ペーパー試験だけの有資格者=独習だけで国家試験に合格したばかりの者
ここを比較すべきで、その後は比較対象ではないと思います。
個人的には、過去医者を減らす方向性は医師会が出していて、今になり「医師不足で医師は大変なんだ!」と言っているのを聞くと、何を言っているんだろう?と思います。まぁ、医師会=医師 という訳ではないんでしょうけどね。
出世を諦めたサラリーマンほど厄介なものはないと言われます。現状に安住して変化しようとしない。成功も失敗も無い無難な行動。定年まで可も不可もなく適当に仕事していれば後は安穏な年金暮らしと趣味の世界が待っている。成長力=0。リスクを取ろうとしない。そんな人が医者をやっているとhighriskなど絶対に取らないでしょう。その対極が18歳の若者です。成長力=∞。失敗を恐れずどんなリスクでも取ろうとするでしょう。良い医者とは,そんな18歳の心で積極的にhighriskに挑み,そして平然とクリアする医者です。稀有な存在かもしれませんが。
さて,医学生にとって大学での医学の勉強は国試に受かるためではなく,医者として働くためであるのが普通です。一部の大学は“国試予備校化”しているとの噂はありますが,それは置いておきます。仮に一方で,旧司法試験のような,受かることが至上目的みたいな試験をパスして医者になった人がいたとしましょう。その人は試験に受かるまで貴重な人生の一時期を試験勉強に費やすという膨大な“投資”を行なったことになります。ちなみに医学生にとって医師資格は“所与”のものとして認識されており“投資”した意識は全くありません。そして“投資”したら“回収”しようとするのが当たり前で,誰もそれを止めることはできません。この二者には大きな違いがあることは,近年,多重債務という社会病理の“治療”に当たった多くの弁護士さん達が,積極的に“回収”に勤しんだことからも自明だと思います。それを医療でやられたら,命がいくつあっても足らないと思うのは私だけでしょうか。
>ふぐ料理が高価なのは,その安心の対価です。
本筋と関係ないところのツッコミで恐縮ですが、ふぐ料理が高価なのは毒があるからではなく、消費者が市場価値を認めているからです。
また、ふぐ調理の免許はさばく為にあるのであって、料理それ自体ではありません。さばいた後のふぐの生身は、家庭で鍋や唐揚げ用として通販でも販売されています。
高等教育機関での学科授業が実務とあまりにもかけ離れた内容ならば、その期間を短縮・簡素化して、現場の時勢(臨床)に合わせた実地研修にした方が良いということでしょう。
大学が学者さんの実験室(「ニート子供部屋」)なのか、職業訓練施設か、どっちつかずだから、齟齬がおきる。
スーパーのパートのおばさんでも河豚調理免許はとれる。
「学徒動員」の社会にする ということ。
>87. jit19850726131431 2009年12月11日 11:01
さて,医学生にとって大学での医学の勉強は国試に受かるためではなく,医者として働くためであるのが『普通』です
「普通」ではなくて、「理想」(思いこみ)です。
外科医が職人技を磨くのに(身に付けるのに)、数をこなす必要があるわけですが、その間の「犠牲」には感謝するしかなく、事故無く淘汰で残った人が名医なのでしょう。
>その人は試験に受かるまで貴重な人生の一時期を試験勉強に費やすという膨大な“投資”・・・
リンゼイさん遺棄容疑者、市橋のことですな。という冗句は通じないでしょうが、うちの近所でも、薬屋さんの娘さんで今、耳鼻科開業してる方います。親御さんは薬屋を処方箋薬局に改装しました。近所に大手ドラックストアできましたし、市場経済とはそういうものです。
ここで医療の市場化を主張されている方は、
Sicko という映画を見るとよいかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%B3
先進国で医療の市場化などという馬鹿なことをしてるのは、アメリカだけだと思うのですが、他にあったらどなたか教えてください。
ホリエモンか、誰か、名古屋市の重粒子線ガン治療施設計画に
「寄付」してちょーよw 公費と健康保険でそんなもんたてられたら、
かなわんでかんわって、河村シチョーさん、いっとりゃぁすがね。
議会との駆け引きできまってまぁったら、どえりゃー目あわなかんの納税者だがね、「医療」を錦の御旗にすりゃーええってもんでもないがね。どう,思う?
>ここで医療の市場化を主張されている方は、
逆に医療の社会主義=計画経済(医療)の維持を望まれている方は、医療崩壊阻止を総論で賛成しながら、各論においては(実は)反対の行動を取られているという事を認識するべきだと思います。
税金による医療保険だけ前提条件にする限り、実際の患者のニーズがどうであろうと、行政は、年間予算の枠外に出る事はできません。