富山駅北の環水公園から船に乗って富岩運河をゆっくりと登って1時間。富山湾の玄関口である岩瀬に着きました。今でこそここは富山市の一部になっていますがかつては別の町。岩瀬は江戸時代、日本海で買積み船として繁栄した「北前船(西廻り航路)」の寄港地として繁栄しました。岩瀬で降ろされた荷物が神通川を経て富山に入っており、岩瀬は富山の海の玄関口として大きな役割を果たしたのです。
岩瀬には江戸時代に繫栄した町の面影が今もそのまま残されています。
この町並みの中には江戸時代後期から北前船の問屋を営み富を築いてきた旧馬場家住宅や、
同じく岩瀬五大問屋として繁栄した森家などの住宅がそのまま残されています。両家とも先の能登地震の影響があり森家については修復のため今も中を見ることはできません。この建物の裏手は今は道路になっていますがかつてはそこまで海が迫っており、ここで荷物の陸揚げが行われていました。
富が集まるところには銀行ができます。現在は北陸銀行岩瀬支店となっていますが、かつては岩瀬銀行としてこの地域きっての金融機関としてその役割を果たしてきました。この建物は周囲の景観との調和を意識して近年建てられたものですが、独自の銀行があったことを示すものであり、かつてこの地域が大いに繁栄していたことが偲ばれます。
さて、そんな岩瀬には地酒の醸造所もあります。桝田酒造店が醸造する満寿泉(ますいずみ)は岩瀬を代表する地酒。古い街並みの中にある「沙石」では満寿泉やこの地域で生まれた地酒を存分に堪能することができます。
ここでは15分1000円で冷蔵庫にある日本酒各種をすべて唎酒することができます。このほかにも30分2000円コースや1杯200円から500円で飲めるコースもあります。時間制のコースなら杯数に制限はなく、時間内なら何杯でも、何種類でも飲むことができます。その種類何と100種類以上!これはうれしい!まずは大吟醸満寿泉からいただきます。
続けていきましょう、つづいて純米吟醸。癖がなくすっきり飲みやすいのでどんどんいけてしまいます。ある意味危険です。
だんだん自分が何杯呑んだのかわからなくなってきました。実はわたしは基本はビールやハイボール派で、旅に出たときにしか日本酒のまないんですよね。。。それらに比べるとアルコール度数が高いので酔いが早く回ります。結局6杯ほど吞んでかなーりいい気分になってお店を出ました。
岩瀬の街並みの一番南に満寿泉を醸造する桝田酒造店があります。醸造所は明治以降にこの地で酒造りを始めていますが佇まいが江戸期からの古い街並みとよく調和していますね。
今回はいけませんでしたが岩瀬には近年地ビールの製造をする店なども出店しており食通の町としても知名度が上がっているそうです。次に来るときは長期で富山に滞在してお酒を飲みに岩瀬まで何回も往復しないといけないですね!
さて、岩瀬の旅を終えて富山駅に戻ることにします。富山地方鉄道富山港線の東岩瀬駅に来ました。ポートラムとよばれるこの路線は2006年に開業しました。それにしてはこの駅の駅舎はちょっと古い感じがします。
実はこの路線、もとは国鉄・JR西日本の富山港線でした。富山駅が新幹線開通に合わせて高架化する際にJRはこの路線を廃止し、路面電車化したうえで富山ライトレールに経営移管したのです。この駅舎は国鉄・JR西日本時代から使われてきたもの。路面電車化して18年が経ち、JR色はほとんどなくなった同線ですが、この駅舎だけが当時の様子を残してくれています。現在、この建物は電車の待合室として使われています。
右手がJR時代のホーム。高さが合わずここから乗車することはできません。乗車する際は左に新しくできたホームから乗車します。
富山方面の列車がやってきました。この列車で富山駅に戻ることにします。
江戸時代から北前船で栄えた町、岩瀬。その街並みは今もその面影を残しつつ、この地でお酒を造り続けた醸造所が唎酒を楽しめる観光スポットを生み出すなどさらに魅力あるまちづくりに努めています。
魅力がどんどん増していく岩瀬の町を歩きに、そしてお酒を楽しみに。ぜひこの町を訪ね歩いてみてください。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年11月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。