「義務感」教育:やらされ感満載の高校生や大学生

「何のために学校に行くのですか?」という問いに対し、小学生なら「親に行けと言われた」という答えでもまぁ笑ってそうだね、と流せますが、中学高校になれば自分の頭で少し考えてもらわないといけません。ましてや大学生に「なぜ大学に行くのですか?」に対して本音は「就職のため」で大学は社会人になるための通過点の一部だと思っている人もいるでしょう。

文科省が10年ほど前に調査したデータでは大学進学理由は「大学で過ごすこと自体が人生経験として重要だと思ったから」が74%となったと報告されていますが、たぶん、この設問がいくつかから選択する方式だったと思われ、高校生や大学生が理念的にこう答えておくのが正しいという回答をしたのだろうと察しています。

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私だってそれぐらいの年の頃は同様のアンケートなどでは本音などあまりちゃんと答えなかったと思います。自分の行動や考えとは別にこのアンケートに対する模範解答をするという姿勢です。よって私はこの手のアンケートの信憑性は一定程度疑っています。

「義務感」教育とは私が思った言葉ですが、生徒や学生側から見た教育はやらされ感満載なのだろうと想像しています。なんでこのテストをしなくてはいけないか⇒それは成績に直結するから⇒成績が悪ければ上級校進学や就職に響くから、という発想は基本的に受動的姿勢です。

大学生が勉強をどれぐらいしているか、国立教育政策研究所が2016年に調査したデータを見ると授業が週20時間に対して予習復習で費やすのは5時間しかありません。大学教育は基本が授業時間に対して予習と復習を同じ時間だけかけるというのがもともとの文科省にあった前提です。つまり週20時間のクラスなら更に20時間の予習と20時間の復習の合計60時間が前提でした。

特に大学は専門的な分野を学んでいくので先生の講義を予習なく突然聞いて試験直前に誰かに講義ノートを借りるという勉強の仕方では大学生としての本質的な知識や学びはほぼ出来ません。

ただ、教育には二面性があるのも事実です。小学校から大学まで共通するのは知識の詰め込みという実務的教育と組織の中に於いて自分を育てたり情操教育を受けるといった社会順応性と適応性を磨く部分です。上述のアンケートで大学生が「人生経験として重要だと思ったから」というのはまさにこのことでしょう。

また高校大学あたりの体育会系の厳しいクラブ活動により精神力が磨かれるというのもあります。昔は体育会系は就職に有利と言われたことがありました。学業は劣っても規律や努力、試練に対する耐性などを評価したわけです。ところがそういう方が企業である程度の役職になると命令調になりブラック企業とかパワハラ問題が生じやすくなることもあるでしょう。

採用面接で晴れて採用となってもしばらくしてから「あれ?」ということはしばしばあります。レジメにエクセル得意だと書いてあったよね?だけどエクセルの表には生データだけで計算式がどこにも入っていないじゃない?とか。料理できるといったよね?だけど炊飯するのに米に洗剤入れて洗うのはお願いだからやめてくれない?とか。君はもう無理。残念ながらもう来なくていいと言ったら両親が日本から駆けつけてきて「お願いですから再考を」と。親ばかにもほどがあるといった具合です。

「義務感教育」でなければ「体裁教育」とでも表現できるかもしれません。レジメには最終卒業学校は書きますが、その時の学業成績は一般には書きません。ですので面接する方は努力した人なのか、要領よく生きてきた人なのか破断できません。

面接で私が重きを置くのはその人がどんな生き方をしてきたかを自分の口で喋ってもらうことです。惰性の人生なのか、自分で開拓してきた人生なのか、面接官から見ればそんなのは3分で見抜きます。「体裁教育」とやらされ感の中で受動的教育の人は私の面接では落ちます。

今後、AIが教育の分野にも当然浸透していきいます。勉強したい人には非常に高い効率で勉強できる一方、ずるをしようと思えばいくらでもできる、そんな教育の二分化が今後もっと明白になってくるかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月12日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。