・2023年は水面下でものすごく大きな変化が既に起きてしまったが、まだ人々が気づいていないという年だった
・2024年は、その「水面下で既に起きてしまった大きな変化」が、表に現れてきて驚愕する年になるかも?
という話をしました。
で、実際には結構そうなっていた2024年という感じだったのではないでしょうか。
この延長で2025年は、
・2023年に「水面下ではぶっ壊れた旧秩序」が
・2024年に「誰もがわかる混乱状態」として表面化した先で、
・2025年は、その混乱の先で「今後10年〜20年」ぐらいの方向性がどうなるのかが徐々に見えてくる年
になるのではないか、と考えています。
今回は、2024年に書いた記事をいくつか振り返って行きながら、この「2023→2024年→2025年」に本質的にどういうことが起きているのか?を考察する記事を書きます。
1. 円安!がすべての流れを規定している
2023年に「これはヤバい変化起きてるな・・・大丈夫かな」と思っていたのは、色々あるけど一番象徴的なものは円安だったんですよね。
コロナ前後までの一ドル=110円前後から、今は「とりあえず150円ぐらいで計算しよう」みたいになってますよね。
こういう記事↑で「中国の汚職の規模の大きさ」について書いてる時も、昔は「ドル=100円」ぐらいでざっくり数字を書いてたんですが、最近は「ドル=150円」で書くようになって「数字の変化」はすごい大きいなと実感してます。
この円安傾向について、その理由やそれがもたらす変化について書いたのがこの記事なんですが・・・
なんにせよ、実は一番この円安傾向が大きな影響を持っているのは、「アベノミクス時代」的なガチの金融緩和路線とかにはもう戻れないよね、という「上限」が国民の中の本能的に形成されて、それが新しい政治志向を生み出しているところがあると思います。
結果として、「ガチ保守派」ゾーンに強く自分たちの権力を握りしめて何かを行うような政権が今後成立する見通しはどんどん薄くなってきている。
さらには衆院選の「絶妙な議席配分」の結果もあって、以下の2つの記事で書いたように、石破個人がどうあれ「新しい中道派」の位置で知恵を持ち寄って日本はやっていくしかないのだ、という流れが確立しつつあります。
それと関連して言えば、アベ的な「右」の終焉と同時に、「20世紀型の左」も終わりに近づいてるんですよね。
2024年は7月7日の都知事選関連の記事(やYouTube)がすごい読まれまして、以下記事から各候補者特集記事へのリンクが飛んでいますが・・・
これで「蓮舫さんが負けた(だけでなく三位になった)」ことが、かなり「ガチ左翼」の人たちからも「今までのままではいけないのでは?」という流れを生み出したところがあります。
結果的に、以下記事で書いたように衆議院選挙の日にxスペースで「色んな人に投票先とその理由を聞く」というイベントをやりましたが、
ある投票者いわく「ガチ右派」も「ガチ左派」も「意見を抑圧して押し通そうとしているのは同じ”パワハラする側”」だと思われているのだ、という話はなかなか勉強になりました。
このxスペース(こちらから録音が聞けます。聞き所タイムスタンプメモもあるのでよろしければどうぞ)
上記スペースには政治学者の木下ちがや氏が話しに来てくれて、
・蓮舫さんの敗北が立憲民主が共産を距離をおく野田路線に繋がり、それで中道票が入りやすくなってこの選挙結果に繋がった。
・石丸氏の躍進を既存政党はだいたいバカにしていたが、玉木さんはその手法を愚直に取り入れて国民民主党が躍進した
…という形での「都知事選→衆院選挙」の変化について語ってくれました。
さらにその結果は、「経済・経営」分野にも影響を与えてきています。
それと関連して、上記スペースにはある半導体アナリストとして有名な方も参加してくれたんですが、「なんでも国家が握りしめる経済の限界」が来ているという話をしていて、それが以下の話に繋がってくるんですね。
2. 円安による政治の変化がもたらす「新しい経済の変化」
上記の「円安による政治環境の変化」と同時に、以下の2つの記事のように「強烈な国家主導の経済」の限界が徐々に明らかになり、むしろ「適切な市場主義」でどんどん形を変えていく経済の可能性が見えてきている変化もありますね。
ちょっと話は違いますが、告知してないのにどんどん「いいね」が積み重なっていった以下記事のような新しい流れも確実に生まれていると思います。
あとは数日前にアップしたこの記事↓とかで、「落合陽一氏の会社」とかが苦境に陥る一方で、なんだかんだトヨタはちゃんと経営されてきた、というそういう原点への回帰という流れもあるかも。
上記の記事群をまとめると、
・人口減少によってアベノミクス期間のように「無理をしてでも皆に仕事を配る」事が必要な時代じゃなくなってくることで、新しい局面が生まれている。
・それと同時に、「平成時代のオシャレっぽいイケてる感」みたいなものが剥げ落ちてきて、「斬新ではあるが地道にちゃんとやってる」層がクローズアップされるようにもなってきている。
・・・という感じの変化があるわけですね。
あと、全く関係ない話題を話してるようですが、以下記事なんかも「これまで」と「これから」について象徴的な意味を持っていると思います。
この記事、単純に面白くてすごいアクセス数だったんで未読の方はぜひ。
3. 「M字から凸字へ」がついに実現してきた。
そうそう、ノーベル経済学賞の研究結果から「今の日本の混乱の先」の希望を探すという以下の記事もかなり読まれましたね。
上記記事でも書きましたが、全体として、僕が10年ぐらい前から言ってきた「M字から凸字へ」という変化が起きているのだ・・・という説明について、衆院選の前後で凄く「なるほど」と思ってもらえた人が多かったように思います。
今の議席配分とか単に見てると「本当にわけわからん」って感じになりますが、全体として以下のように分離していたものが・・・
真ん中の集まってきた!という変化があるんですよ。
こういう「右の凸」でも「左の凸」でも決して握りしめてクローズドに何かをやることはできない「真ん中の凸」が成立してきてるんですね。
だからこそ、もう「アベノミクス期間」みたいに保守派側が強く何かを握りしめてやる政治も経済も無理だし、一方で「左翼側」も「蓮舫さんに対する選挙運動」みたいな「20世紀型の焼き直し」じゃダメだよね・・・という流れも生み出されてきている。
今の日本はすごい混乱しているように見えるけど、「中道の新しい日本」をゼロから作っていこうという強い共有磁場が成立してきているのだと思いましょう。
それは、果てしなく政治的分断化が問題になっている欧米や韓国のような例と比べた日本の「顕著な違い」であり、そういう国だからこそできることをこれから2025年にいかに「形」にしていけるか、が課題ということになるでしょう。
4. 「日本における女性」の新しいモード
ところで、そういう「新しい分厚い中道の共有」が見えてきた結果として、日本における「女性」の問題もまた新しい着地が見えてきているようにも思います。
僕はコンサル業の傍ら「個人と文通して人生を考える仕事」もしてるんですが(ご興味があればこちらから)、それで繋がってる人(特に女性)には見ている人が多かったドラマとして、「虎に翼」っていうNHK朝ドラがあって・・・
これは「かなりフェミニズム寄り」の作品なんですが、放映中は見る時間なかったけど一昨日「総集編前後編90分×2」を一気見する時間ができて、見た感想としてはなかなか良かったです。
僕は「ガチフェミニズム」寄りの、「この世界の悪はすべて家父長制から来ているのです!アレも!コレも!それも!全部家父長制があるからなんです!だからそれをぶっ壊せば世界の問題は全て解決するのです!」みたいな展開は苦手というか積極的に「嫌い」ですが(笑)
とはいえ、例えば主人公がお互い戦争で伴侶を失った者同士で「事実婚」をするって聞きつけて、ストーリーの前半で出てきていた戦前の「ごく少数しかいない女子法学科の学生」のみなさんが密かに集まってくれて、二人が私的に取り交わした契約書を裁判官みたいに改まって「受理します!」っていうシーンとかなんか妙に泣けました。
そういう「リベラルな善意」自体は僕はかなり好きというか本質的に共鳴する部分はあるんですが、あとはそういう「本質的にアナーキーな善意」と、「とはいえ、国という単位で集まっていることの”実質的な利益”を皆が受けているのであり、それも”助け合い”の深い本質のうちにあるものなのだという現実」との間を、どちらも否定しない形で落とし所を見つけていくことがこれからの課題となっていくわけですよね。
なんにせよ、総集編合計3時間を一気見した感想としては、「虎に翼」は実際見てみるとなんというのか、主人公の寅子さんは想像以上に、
法律面における男女平等運動に真剣になってる点以外はガチに伝統的な「朝ドラヒロイン」
で、そこがなんか意外というか、「新しい情景」を生み出しているように思いました。
実際そこにある「論争」で実際に実現していく法律的な争いといえば、
・そもそも女性に投票権ないっておかしくない?
・女性は裁判官になれないとかおかしくない?
とか、
・実父にレイプされ続けてきた女が父親を殺した時に「尊属殺人」として量刑が重くなるのは違憲
とか、なんかこう、現代人的には「相当にウヨクの人でも当たり前じゃんと思うようなこと」なんで・・・
ものすごく意地悪いことをいうと、こういう「当然のこと」を「ウーマンパワー!」として勝ち取る話をしつつ、とはいえ主人公の女性は「朝ドラ伝統のスーパーポジティブヒロイン」であるというのは、「ガチのガチ左派」の人たちからは苦々しい思いもあったんじゃないか、というように思いました。
これ、↑言ってる事が「ガチ左派のロジック過ぎて意味わからない」かもしれませんが(笑)、要するに「フェミニズムというのはあらゆる家父長制とか国家とかいったものに対して中指立てる」ムーブメントとして蓄積してきたのに、その「ほんの上澄み」だけを「ガチ伝統の朝ドラヒロインキャラ」が演じてお茶の間全体に広がることで、『簒奪された』というように考えるのが、ある種の20世紀型左翼のロジックだったりするんですよ(笑)
とはいえ、我々日本社会の「ガチ左派以外」からすれば、こういうムーブメントが起きることは↑、「新しい中道の共有」という意味ではすごい重要なことであるように思いますよね。
ここから戦略的に「奪い取って」いって、「本当に左翼的良心を追求するということは、この多極化時代にはローカル社会側の具体的な課題に一緒に立ち向かう意志を示すことなのだ」ということが徹底的に明らかになる情勢に持っていってやりましょう。
「ガチ左派」の方々は、さっきの「M字から凸字」の図の「シグナルとしての異端者」の位置で延々と20世紀のやり方をやり続けていただければと思います。
なんにせよ、そういう「変化」が深い部分で起きているので、例えば「性加害に対する言説」みたいなものが、徐々に「違う形の受容のされかた」をしているように思います。
元SMAP中居さん関連の話、堀江貴文さんとかNHK党のタチバナさんとか、田端信太郎さんとかが、「フジテレビ叩き」の方で「これはありえんでしょう!」みたいなことを言っていて、既に「男vs女」ではなくなっているという感じなのが面白かったです。
あと、NHK紅白で『地獄でなぜ悪い』っていう楽曲を星野源さんが歌えなかったのは(これすごい名曲だしご本人にとっても本当に大病で死にかけた経験からの重要な意味を持っていただろう歌なんで、変更させたのはちょっとかわいそうでしたが)・・・
これは園子温っていう映画監督の性加害に関連する話なんですが、園子温は「ガチ左派」で、「左派運動家に仲間が多い」感じだったので、「左派の性加害には甘いんじゃないの?」みたいな状況がこないだまでは続いていた印象だったんですが、「ダメなものはダメですよね」という感じになってきている。
基本的に「声をあげてる女性」が「叩かれる情勢」になるのは、そういうムーブメントがある種の「現実社会の運営に責任感のないアナキズム志向」みたいなものと一体化して、適切な社会の運営が滞るのでは?っていう恐怖心が生まれるからなんですよね。
なので、「教条的な右も、教条的な左もどっちもダメですよね」という構造が盤石に成立するようになってくれば、徐々に「声を上げる女性」を抑圧する必要自体が減少してくるというのが適切な着地としてあるはずです。
さっきも貼ったこの記事で書きましたが、
「左派政党以外も普通に女性候補がいる」状態が常態化してきているし、「伝統的左派政党の男性中心主義」も「右に対するのと同じレベルの圧力で等しく批判される」ようになってくれば、女性の意志を「排除」する理由が根底的に消滅していく流れが徐々に進行していく。
あとは、日本社会で「普通に出世」して、「日本社会が持っているローカルのリアルな課題」に対して”具体的で地に足ついた問題意識”を持っている女性の意見を、もっと取り入れていきながら「具体的な解決策」の方につなげていけるかどうか、が「次のチャレンジ」ということですね。
そういう意味では、気づいたら最近、僕の寄稿依頼をしてくれるメディア側の担当者の人はそういう「ミドル世代の女性」が多いな、というように感じてます。
この記事で紹介した梶原麻衣子さんもそうですが、来年2月7日に出る新刊を企画してくれたのも、中央公論新社のベテラン編集者の女性だし、来年からダウ・ジョーンズと読売新聞が提携してスタートする以下のメディアに寄稿依頼されてるんですが、このメディア全体の統括をされている部長さんも女性です(組織人経験が少なすぎて僕はいまいちピンと来ないんですが、ガチ日本の伝統会社で、ブチョウさんって相当エライんですよね。そういう層にちゃんと普通に女性が出世するようになってきて、情勢はまた変わるだろうってことですね)。
これ↑すべての日本語記事が英語翻訳されて世界でも配信されるという野心的なチャレンジなので、凄く楽しみにしています。
そういう感じで、ただ「欧米目線で日本は遅れているよねえ!」と一般論を投げつけて「左翼の内輪」でだけ褒めあってるのではなくて、「日本社会という非欧米のローカル社会の実情」とキチンと向き合った上で、その上で何かを変えていこうとする粘り強い意志が、「ちゃんと出世した女性」の中から出てくる流れにちゃんと”応えていく”ことで、幸薄い「男vs女」で喧嘩する意味の根っこの部分から消滅させていきましょう。
それが、選挙のたびに「ガチの男女対立」が表面化して、余計に反動的な政策が通ってしまったりしている、欧米や韓国などとは違う「日本型」の決着の仕方ということですね。
そういう「新しい中道」がガッチリと共有できるようになっていけば、家事の負担がどうこうとか、「ファミレスでたまたま見かけた子連れカップルで母親の方ばかり子どもの世話してた!」みたいなSNS論争も、「まあなんか事情あったかもしれないけど、ちゃんと二人で子育てしないとだよね」というような決着は「普通に保守派の男側からも賛同を得て決着する」ようになっていくでしょう。
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というわけで、めちゃくちゃ「混乱」しまくってるけど、10年前からずっと言ってきたような「日本が進むべき方向」が徐々に形になってきているとは言えるのではないか?と個人的には思っています。
その他、2024年の人気記事は以下のようなものがありました。
どっちもすごいアクセス数があったんですが、「どんなローカル課題にも紋切り型の20世紀左翼で思考停止に批判する」のではなく「クリエイティブな解決策の持ち寄り」にこそエネルギーを注げる社会にしていかねば、という風潮が高まっているのを感じて、そこは大変心強く思っています。
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あとは、以下の「日本製コンテンツ」についての批評みたいなのも、地味に結構読まれているので、未読のものがある方はぜひ。
日本発の超絶ヒットゲームになってイーロン・マスクも絶賛していたエルデンリングについて、イーロン・マスクの「ビルド」から日米経営論まで話すという異色記事です↓w
あと日系コンテンツじゃないですが、以下の記事もかなり読まれました。
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長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。
2022年末はTwitter(x)のフォロワーが一万人いなかったように記憶してるんですが、2023年末には2万人、2024年末は3万人超えていて、それだけの「新しい出会い」があったというのは大変嬉しいことだと思っています。
来年2月には新刊が出ます。既にアマゾンで予約できるので、ご興味ある方はぜひよろしくお願いします!(予約いただくと少し販促上良い効果があるようなので)
2024年はコレを書くのにすごいエネルギーを投入していて、xを一ヶ月全然更新しないってこともしょっちゅうあったんですが・・・
それでも、昔は「Twitter更新しないとフォロワーどんどん減っていく」って感じだったんですが、最近は1ヶ月ぐらい何も更新しなくても、どこかで誰かが倉本圭造に出会って新しいフォロワーになってくれる流れが起きていて、「何もしなくても減らないか微増」ぐらいにはなってきてるのが大きな変化として感じます。
既に自分という人格が「コンテンツ」として日本社会に共有される流れがはじまってるのを感じるというか・・・
ここ以後は、色々なパーソナルな近況や読者へのメッセージみたいな話をしつつ、「SNSのフォロワーが育っていく」という現象について色々と深堀りして考察する記事を書きたいと思っています。
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つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2024年12月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。