やけに増殖した説教ジャーナリストたちと芸能レポーターの切ない関係

はじめに

王道を行くジャーナリズムから眉を顰められていた芸能レポーターの手法が、望月衣塑子氏やフリージャーナリストに継承されて久しい。もはやワイドショーと報道を分つ垣根はない。

ジャーナリストは、なぜマイクパフォーマンスで説教をするのか。芸能レポーターとジャーナリストは、なぜ似たもの同士になったのか。理由を報道の現実とワイドショーの歴史から考える。

マイクパフォーマンスの人々

株式会社リクルートが大学・短期大学・専門学校への進学について情報を発信しているサイトでは、ジャーナリストの仕事を、

取材やインタビュー、表現手段としての原稿執筆や映像作成、テレビやラジオ、インターネット放送への出演などが具体的な仕事になります。

スタディサプリ 進路(大学・専門学校)仕事・資格を調べる広告・新聞・雑誌・本ジャーナリスト

と紹介している。
ジャーナリストの本分は「取材やインタビュー、表現手段としての原稿執筆や映像作成」ではないかと思うが、今どきは放送メディアへの出演が中心になっている人も多い。

フジテレビの10時間超会見では東京新聞の望月衣塑子氏はじめジャーナリストたちが正義の名の下、長々と要領を得ないだけでなく陶酔したり逆上したりの聞くに堪えない説教をする様子が放送された。中継を意識したジャーナリストたちのマイクパフォーマンスが日常化しているとはいえ、そうそう見られない壮観とも壮絶とも言えそうな暴れっぷりだった。

さて、会見が10時間を超えるものになった原因を作った週刊文春の記事が、ひっそり書き換えられていたという。これでは図に乗って説教をしたジャーナリストたちが、週刊誌を読んだりSNSで記事の内容をまた聞きして興奮していた一般人と変わらないどころか、居丈高だっただけに間抜けに見えてしまう。

彼らはジャーナリストなのだから疑問点と、回答と、問題点を原稿に書いて社会に問えばよいだけなのに、説教をするから世間から呆れられ、笑われる。こんなことも分からないのかと心配になる人も多いはずだ。

書く機会を与えられない人々

原稿を書いて社会に問えばよいだけなのに、なぜ一部のジャーナリストがマイクパフォーマンスに並々ならない情熱を傾けているのか。原稿を書く機会がないからマイクパフォーマンスをやっているなら、それはそれで彼らなりの理にかなっているのかもしれない。

望月衣塑子氏のように新聞社の社員であっても、常に紙面を飾る記事を書けるとは限らない。望月氏は官房長官の会見などでマイクパフォーマンスと説教を組み合わせて名を売ったパイオニアだが、社会部記者なので政治記事を書く担当ではない。では社会部の記者として、フジテレビの会見でパフォーマンスに費やした時間と熱意に相応しい分量の特集記事を書いたかといえば、いつも通り掲載される兆候さえない。

さらにフリージャーナリストに至っては、記事を発表できる機会があるのかさえわからない。しかし会見場で目立てば存在確認になり、もしかしたら会見後に報道機関から取材されるかもしれない。いずれも期待に過ぎないが、やらないよりやったほうがマシなのだろう。

また会見場に出かけるのが、取材をするより遥かに簡単なのも、説教ジャーナリストが増殖した一因ではないか。

いつ記事がものになるかわからない状態では、時間だけでなく経費がかかる取材はなかなかできない。たとえば東京都在住のフリージャーナリストが150キロメートル離れた静岡市で取材するなら交通費だけで往復1万数千円かかり、宿泊するならホテル代、さらに足を伸ばすなら交通費がかさむ。東京都から神奈川県を跨いだだけで、この程度の出費になるのだ。

いまどきはビデオチャットでの取材も可能だが、仕事部屋から出ないまま完結できるケースはないと言ってよい。移動を都内に限り永田町と霞が関で取材をするとしても、それなりに投資しなければ独自の情報は手に入らない。

とてもみみっちい話になってしまったが、取材費ほど塵も積もれば山となるものはなく、記事化や書籍化で回収する目処が立たないなら赤字が積み重なるばかりになる。

私はジャーナリストを名乗っていないが、宗教問題や共産党員家庭の子弟問題で数多くの人を取材して、思い出したくないほどの経費を使った。無茶なことを、やったものである。いっぽうマイクパフォーマンスと説教なら、会見場に入ってしまえばただでできるのだ。

説教ジャーナリストと芸能レポーター

説教ジャーナリストは報道の第一義である事実をありのままに伝えることに重きを置かず、独自の正義に基づく善悪の価値観で取材対象を裁いて糾弾している。こうした彼らの説教マイクパフォーマンスとそっくりなのが、往年の芸能レポーターが行っていた突撃取材だ。

芸能レポートとレポーターは、事実より喜怒哀楽を重視するワイドショーが生んだタスクでありキャラクターだ。そして芸能レポーターのタスクとキャラクターの雛形を完成させたのが、元祖芸能レポーターの梨元勝氏と言ってよいだろう。

1976年、NETテレビ(現テレビ朝日)が放送していたアフタヌーンショーに、講談社の女性誌『ヤングレディ』の契約記者だった梨元氏が出演して一世を風靡し、彼は立花隆氏の助言もあってレポーターとして独立した。

梨元氏が手法を開拓して他のレポーターたちが追随した突撃取材は、タレントを不意打ちしてテレビカメラとマイクを向けスキャンダルを問いただした。疑問点と、回答と、問題点を原稿に書いて社会に問うのが週刊誌のやり方だったのを、糾弾までのすべてを数秒から数分の映像に収めたのがワイドショーと芸能レポーターだったのである。

梨元氏は立ち去ろうとするタレントを「恐縮です。梨元です」と強引に呼び止めた。いきなり「謝罪しないんですか」「泣いている人がいるんですよ」「反省しろよ」などと声を張り上げるレポーターもいた。会見場だけでなく、不特定多数がいる場でもおかまいなしだった。

王道を行くジャーナリズムから眉を顰められていた芸能レポーターの手法が、望月衣塑子氏やフリージャーナリストに継承されたと思うと切なさが胸に込み上げてくる。とはいえ、芸能レポーターにも説教ジャーナリストにも、こうしなければならない共通する理由があったのだ。

以降、続きはnoteにて。


編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年1月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。