石破政権の中心的政策として、繰り返し繰り返し地方創生を痴呆のように言い続けているのが石破茂本人だ。曰く、若い女性に選ばれる地方の魅力を再考し、付加価値を高める努力が必要で政府が後押しをすると言う。これも繰り返し言う理由はただ一つ、これまで地方巡業を行って地方の高齢者に夢物語を語ってきたからだ。
地方創生が悪いと言っているのではない。地方創生は政府の後押しなくして実現はしないだろう。しかし、官主導のビジネスモデルで成功した事例が、かつてあっただろうか?経済の主は民間企業であり、民間企業の活力を下支えするのが官、つまり政府であるべきだ。その意味で、かつての第三セクターのような失敗例を積み上げることは、もう、日本は出来ない。
石破茂は、地方への活力を入れる意味で、企業と連携した取り組みに政府として後押しをすると具体例を取り上げているが、今の日本にはもっとそれ以前の問題への視点が欠けている。と言うか、石破茂は政府が旗を振れば、打ち出の小槌のように何か新しいイノベーションが地方から生まれると考えているのだろうか?地方の中小零細企業にそんな体力は無い。
確かに中小企業が独自技術の醸成により、新たなテクノロジーの開発と普及に貢献している事例もたくさん、ある。しかし、民間企業である以上、設備投資も求人も企業の体力と市場経済に大きく左右される。これに政府が前のめりになることは、繰り返すがかつての第三セクターの二の舞になりかねない。
その意味で、政府が出来ることは規制緩和以上のことはない。
また、現在のインフレ基調の中、政府は集めて再配分ばかりを考えている。新型コロナのような有事の際には必要だろうが、平時に戻った現在、再配分するより先に、経済活動の活性化を行うことの方がはるかに重要だ。つまり、順序が違うのだ。
石破茂は、これまで地方創生を柱に政府の政策の是非についてあれこれ言ってきたと自負しているだろう。しかし、文句や重箱の隅を突くことは、無責任な立場であれば誰でも出来る。政府の長になった以上、これまでのやり方や、これまで自分が取り込んできた有権者の溜飲を下げるだけの言葉は、国民には通用しない。
その意味で、地方創生の本質について、もっと丁寧な説明が必要となるだろう。
政府が地方創生を謳ったところで、地方がそれに準じるわけではない。石破茂はしきりに「楽しい日本」を取り上げ、地方が楽しくなければ地方の活性化は進まないと言うが、そもそも経済の底辺を支える個人消費が進まないのは、働いて賃金を得る素地が出来ていないからだ。少なくともその手取りを上げることを妨げているのが、時代遅れの「103万の壁」「130万の崖」であることは明白だ。
自民党は、予算を通す為に「103万の壁」に対して新たなカードを準備しているとする見方もあるが、それは国民生活を政争の具に仕立ててしまっているとも言える。また、地方創生を言いながら、ガソリンのトリガー条項の問題にも踏み込もうとはしない。つまり、即効性が無いのだ。
政治にビジョンを持つことは確かに大事だが、政治はイメージが大きく先行する。旧民主党が政権交代を果たしたのも、閉塞感のある日本経済と日本社会を変えてくれるかとの期待感であり、旧民主党が増税をバーターに自民党に負けたのも、国民の期待への裏切りの表れだ。同時に、旧民主党の場合、あまりに杜撰な政権運営が仇となって、反対に安倍政権への期待によって、経済に関わる数字も大きく向上した。
加えて、安倍晋三元総理への期待もあった。結果、7年以上にわたる長期政権を実現できたのであって、そこには、国民の期待を「裏切らない」総理大臣だと国民が思ったからこその長期政権だった。では、今の石破茂にそれがあるだろうか?
国民は言葉だけの「楽しい日本」などどうでもいいと思っている。本当にそういう日本であるかどうか?或いは総理が本当にそのような明るい未来を見通せる政権運営が可能か?を見ているのだ。
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以後、
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。