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metamorworks/iStock
「自分史上最高の~」や「私史上最高の~」という表現を最近見かけるようになりました。これらの表現に違和感を覚える理由と、日本語としての正確さについて解説します。
言語学的な観点から考えると、この表現は「史上最高の~」から派生したものです。「史上」は「歴史上」を意味し、本来は広く歴史全体を指す言葉です。「自分史上」のような表現が増えた背景には以下の2つの要因が考えられます。
- SNSなどで自分の体験を共有する機会の増加
- 「自己ベスト」という概念の一般化
文法的には、「史上」に「自分」をつけることで個人の経験に限定する造語的な用法です。
この表現はインターネットやSNSの普及によって広まった新しい言葉です。従来の日本語表現ではあまり使われなかったため、新しいものに対する抵抗感があるのでしょう。
また、「史上」という言葉は、歴史や過去の出来事に対して使われることが多いはずです。そのため、「自分史上」や「私史上」といった個人の歴史に対する使い方に違和感を覚えるのかもしれません。
この表現は自己評価を含むため、自慢や誇張と感じることもあります。日本文化では謙遜が美徳とされるため、自己評価を大げさに表現することに抵抗感がある人もいるでしょう。また、主観的な表現で他者にとっての価値がわかりにくいという点も違和感の一因です。
次に、日本語として間違っているかどうかについてですが、この表現は日本語として間違っていないと考えられます。意味としては「これまでの自分の人生の中で最も~」を表しており、文法的にも特に問題はありません。
ただし、相手や状況によって適切な表現を選ぶことが大切です。例えば、ビジネスやフォーマルな場では、このようなカジュアルな表現は避けるべきでしょう。一方で、友人やSNSでのコミュニケーションでは、こうした表現が親しみやすさを増すこともあります。
言語は常に変化し、新しい表現が生まれるものです。「自分史上」という表現は、現代の日本語使用者のニーズに応える形で自然に生まれたものです。違和感を覚えることもありますが、時代とともに変化する日本語の一部として受け入れることができます。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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