我々は便利さに負けていないか?:「外付け」型になる人間の能力

AIの発展で仕事がかなり捗るようになったとされます。大企業を中心にAIを何らかの形で導入しているところは相当増えてきていると思います。導入の定義が不明瞭なので報道でも様々な数字が並んでいますが、感覚的には3割以上が部分的にしろ使っているのでしょう。

先日、私もたまたま簡単な契約書を作らねばならなかったのですが、AI君に「このような条件で作ってよ」とお願いしたら数秒で3枚ほどの契約書のテンプレートができました。契約書は国ごと、あるいは北米なら州ごとにその法律が違うので私の場合はCanada BC州で、と入れるのがポイント。内容は確かによくできていて自分が手で作ってきた内容とほぼ差異はなく、思わず「これは凄い」と感動しました。

b-bee/iStock

一方で、これに頼ると自分が養ってきたリーガル文章作成能力は衰えるだろうな、と思ったのです。リーガル文章は英文でも日本語でも独特の言い回しがあり、その言い回しをいかに使いこなすかによって「本物らしく」見せることができます。もちろん「らしく見せるだけ」ではなく、独特の言い回しに法的な意味合いを持たせていると言ったほうがよく、餅は餅屋の世界なのであります。

かつて東京都の猪瀬元都知事が徳洲会から5000万円を借りた問題でご本人が記者会見で示した「借用書」を覚えていらっしゃる方も多いでしょう。「借用書」とあり、 宛先、日付、金額、そして猪瀬氏の署名があるだけです。これほど雑な借用書にもかかわらず5000万円も貸す奇特な人もいるものだと驚いた方も多いと思います。これが借用書として有効か、といえば借りた事実は示せるのですが、返済をする義務がいつどこにあるのか明示されていないので極端な話、死ぬまで返済しなくても貸主は文句を言えないということになります。金利なんてもちろんゼロなのでしょう。

私が手間はかかるけれどリーガル文章を自分で作っているのは時代背景の変化や諸条件の変化により内容を遂次アップデートすることで実用に十分耐えうるテンプレートがいつでも実務上利用できるようにすると共に相手と議論となった時、「ほら、ここにこう書いてあるでしょ」とすぐさま指摘することができるからなのです。猪瀬さんはそういう意味で法的な知識をほとんど持ち合わせておらず、「僕は小説家、法律は弁護士がやるもの」と決めていらっしゃったのでしょう。なので都知事としては「今更聞けないあれやこれ」という点で稚拙で低い知見を世間に知らしめてしまったのです。

私が33年前、当地に来た時、Do It Yourselfという発想が広範囲に浸透していることにびっくりしました。それこそ、家やクルマの修理から旅行プランまで全部自分で行うことに全く不慣れだったのです。家や車は専門家にお任せ、出張は総務部にお任せ、旅費精算は女子社員にお任せ…でした。

お任せできないカナダの社会にズッポリ浸かっているといつの間にか、なんでも自分でやるようになります。どんなに忙しくても料理は当たり前に作るし、クリーニング屋がそばにないので洗濯してアイロンも自分でかけます。私は最近は時間がなくて2週間に一度ぐらいしか買い物に行けないのでその時に買い忘れることが許されません。(買い物はハイウェイを飛ばして30分近くかけて何でもそろう大型スーパーまで行く不便さもあります。)しかし、自分で日々料理を作っているから冷蔵庫や冷凍庫の中のものがどれだけ残っているか、調味料がどれぐらい残っているか把握しているので失敗しないのです。つまり不便ゆえにやりくり出来ているとも言えます。

英語なんて必要ない、と思っていたのは私の経営するシェアハウスに入居されているある日本女子。そこにアメリカ人がシェアメートで来たのですが、このアメリカ人が良くしゃべる上に文化ギャップを含め、わからないことをその日本女子に徹底して聞きだそうとしているのです。日本女子は初めは無料で英会話ができるぐらいだったようですが、コミュニケーションがうまくいかず、ついに双方から悲鳴。「誤解が生じてトラブルになった」と。

翻訳機は使っていなかったようですが、いらないと思っていた英語力がまさかこんなところで必要になるなんて、ということでしょう。仮に翻訳機を使ってもこのアメリカ人とはうまくやり取りできないと思います。理由はペンシルベニアの一面農地が広がるようなところの方が東京のど真ん中にくれば生活環境や文化的背景があまりにも違い、言語的な解釈以前の問題が生じるのです。事実、私とのやり取りでも「そこはアメリカじゃない。日本だからモノの基準や価値観が違う」と教え込んだのです。

便利な世の中を一言で表現すると「外付け」なんです。昔のパソコンは本体にアプリもデータも取り込んで基本的に独立独歩でした。ところがクラウドが進み、リンクができ、無線で飛ばすようになると外付け化が進みました。パソコン本体はとても軽微な稼働装置化になるわけです。こうなれば別に20万円のパソコンではなくても39800円のパソコンでもある程度の実用には耐えるわけです。その代わり様々なものを外付けして強化するわけです。

我々の生活も外付け型になってきています。オンラインで注文すれば家具から食材まで全部注文配達してもらえます。英語は翻訳機がなくてもAI翻訳で済みます。将来、自動運転の車が走れば車の運転免許はいるのでしょうかね?要するに全部お任せできるのです。だけど、そうなると上記のパソコンの例じゃないですが、「俺、昔、20万円のパソコンの能力あったのに今は全部お任せだから39800円の価値」ということになりかねないのです。

事実、私は日本語でペンを使って書くことが困難になりました。文章はパソコンで打つ、あるいはスマホに音声入力するからです。ペンはもちろん使いますが、数字しか書いていない気がします。時々自分の名前をペンで書くのですが、へたくそになりました。当地に来た時、カナダ人の字が下手で「お前の字は読めん!」と言って笑ったものですが、今じゃ私が爆笑されるのです。

人間の能力は非常に奥深いものがあります。20万円どころではなく、1億円の価値があるはずです。それがどんどんさび付くのは実に寂しいものであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年4月25日の記事より転載させていただきました。

アバター画像
会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。