東大生がなぜ優秀だとされるのか、この答えは簡単であります。日本で最も優秀な人材が集まる大規模大学であり、万人が東大を日本のトップと考えているからです。

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東大生のIQは120程度ではないかとされます。嘘か本当かどこまで客観的データがあるのかは知りませんが、驚きはありません。IQは90-110程度が標準、110-120が賢い、120以上が優秀で130を超えると非常に優秀でギフテッドも含まれます。仮に東大生のIQが120であるなら賢いと優秀の水準であり、多くの生徒には将来東大に入れる素地はあるとも言えます。
IQとは何か、これがまた抽象的なのです。計算式は簡単で、精神年齢÷実年齢x100です。実年齢は誰でもわかるので精神年齢の計算が全てということになります。これは多くの人が一度ぐらいは経験したことあるであろう知能指数試験で様々な種類の設問をどれだけ早くこたえられるかという結果です。私は確か田中ビネー方式だったと記憶していますが、その結果は知らされていません。では何のためにあの試験をしたのか、単に学校が当時のビッグデータを集めていただけなのか、今もってわかりません。
さて、IQでモノを語りたくないですが、東大入学において仮に一定レベルのIQが入学レベルに求められるとしても、大事なのはギフテッドも含め、青天井の才能の賢い学生が集まりやすい、それがポイントだと思うのです。もしも日本に東大を凌ぐ大学が出来れば東大の学生はレベル分散するとも言えます。
ただ、私は人生で成功するかどうかは東大に入るかどうかの問題ではないと考えています。結果として東大に入っただけで東大に入学するまでのプロセスがその人の才能開花と努力の癖をつけさせたのだと思います。
東大入試に合格するまでに多くの受験生は数々の模試や進学塾での激しい競争で揉まれています。私も高校受験の際、いわゆるスパルタ系進学塾で国立早慶向けである「KSKコース」に「塾内進級」して受講させて頂きました。生徒数は私が通った塾では10名ぐらいで日々、試験に次ぐ試験を通じて負けない試練を積ませます。その塾は都内10か所ぐらいあったのですが、中3の12月から2月の受験日まで全てのKSKクラスの生徒、約100名を渋谷の本校に集め、朝から晩まで学校に行かせず、正月も通しで猛特訓が行われたのです。つまり井の中の蛙にさせず、常に刺激を与え、集団をより大きくしながら試練を与えたわけです。
この経験は人生の中でメンタル的に非常に強くさせたと思います。残念ながら私はKSKの範疇の高校に行かなかったのでそこから受験競争がなくなったことで一種のハンディを背負います。結構堕落した高校生活から大学に入った時、目覚めたのです。「努力しなくちゃいけないんだ」と。ここから激しくストイックな人生を歩みます。他人との競争ではなく、自分の鍛錬という観点で搾り上げたと思います。
今の私が成功者か脱落者か、凡人か、はたまた単なる「山師」か、それは他人目の評価であって私はそれを意識することは全くありません。人生の目標をしっかり定めて次の10年、またその次の10年を登る、それを他人との比較とか誰かに影響を受けるのではなく、自意識でコントロールしてきました。これは社会人になってからほぼブレたことはないと思います。
この点を踏まえてお題の「東大生はなぜ優秀とされるのか」と「彼らは人生で成功するのか」を別々に捉えてみると面白いと思います。10代の目標を東大に入ると設定すれば先ほどの受験戦争さえ勝ち抜けばほぼ誰でもそのチャンスはあるはずです。
その中で地頭が良いかどうかが時折話題になります。一日3時間しか勉強しなくて東大に入ったという話もありますが、私はその3時間の集中度が他の人の2倍あればそれは驚く話ではないと思うのです。
人の頭は使えば使うほど冴えわたるものです。ところが苦労して東大に入った途端、競争社会での努力を忘れるとたちまち最下位グループに落ちます。同様に東大生が就職した際、賢そうな連中がうようよする企業や官庁で再度競争社会で揉まれるか、「東大卒」でちやほやされるかでその方の人生の花開き方はまるで変わるとも言えます。
ポイントは天才ではない限り、努力しないと誰でもダメだということです。では天才なら絶対に偉くなれるか、と言えばこれは単純な話ではありません。天才とかギフテッドはIQが高いものの多面的な人間生活でバランス感覚が欠落していることが往々にしてあるのです。社会人になり、普通の方と同じ組織に入るとたちまちトラブることも大いにあり得るのです。
本を読むのにどれだけ真剣に読めるか、というのがあります。その理解度を維持したまま2-3か月後にその本の話が出来るか、という課題に挑戦されたら良いと思います。案外出来ないものです。なぜなら書籍を一気読みすることはあまりなく、1週間とか場合によっては1か月もかけて読むと情報が断片的になり記憶と情報の整理が難しくなるのです。私は年間50冊程度読みますが、しっかりした印象や記憶に残るのは3割程度しかないと思います。これは私の集中力が足りないとも言えるし、読んだ本がくだらなかったのかもしれません。
ただ、東大生は「お前、あの本、どう思う?」という議論をするチャンスは多いとも言えます。読後に議論をするとその記憶はすさまじく強く植え付けられ、後々記憶を引っ張り出しやすくなります。つまり東大がポイントではなく与えれらた機会をいかにうまく活用するかで人生はいかようにも花開くのです。その際、固定概念を一旦捨てることも重要だと思います。その点、日本人は世界の中でも優秀な人種のひとつであり、東大卒と同じように高いレベルの探求心を持ち、議論をすることで切磋琢磨出来るともいえそうです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年5月5日の記事より転載させていただきました。






