ウィーンで旧暦の「和風月名」を発見

和風月名と呼ばれる旧暦の月の呼び方は季節感に溢れている。1月を睦月(むつき)と呼び、3月は草木が生い茂るという意味で弥生(やよい)といった具合だ。

灼熱の太陽と一輪の花 ウィーンで撮影

当方の部屋には旧暦のカレンダーが掛かってる。6月は「水無月」(みなづき)と呼ばれる。この時期は、梅雨が明け、田んぼに水を入れる時期であることから「水の月」という意味で「水無月」と呼ばれるようになったという。古語の「無」は、「の」を意味する表音文字だったという。

欧州では最近、6月は真夏日が続く一方、地方によって旱魃シーズンで雨が降らない。トウモロコシ畑で一人の農家の人が溜息をつきながら天を仰いでいるところがテレビのニュース番組で放映されていた。カトリック教会の神父が日曜礼拝で信者たちと共に、「水が降りますように」と特別のお祈りをすることもある。だから、6月は文字通り雨が降らない、水がない月という意味の「水無月」のほうが現実には当たっているように感じる(和風月名の由来については様々な諸説がある)。

7月は「文月」(ふづき、ふみづき)だ。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があるからというのが定説だ。別のところでは、稲の穂が実る頃という意味の「穂含月(ほふみづき)」が転じて「文月」になったという説がある。

面白いところでは、旧暦では10月は「神無月」(かんなづき)と呼ばれる。全国の神々が出雲大社に集まって縁結びの相談する月だ。だから、出雲大社以外の地域では神が不在となることから、10月を「神無月」と呼ぶというのだ。一方、神々が集まる出雲大社では「神在月」と呼ぶ。非常に論理的だ。

旧暦10月10日の夜に、出雲大社では稲佐の浜で神々を迎える神迎祭が行われる。そして神が会議の進行役となって話し合いを始める。月の最終日には、神々を各地へ送り出す「神等去出祭」が挙行される。ただし、別の解釈では、収穫を祝い神様に感謝することから、10月は「神の月=神無月」となったという。

ところで、理論物理学者のアインシュタインは日本を訪問して1か月以上滞在したが、彼は日本人の宗教観にいたく感動したという話が伝わっている。キリスト教会の人格神を否定するアインシュタインは至る所で様々な神々を祭る日本人の宗教観に心を惹かれている。ひょっとしたら、日本でオランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザ(1632から1677年)の汎神論を見出したのかもしれない。

ちなみに、キリスト教や仏教といった宗教の壁を越えて、人類の救済のために毎年、世界各地から多数の神が集まって「神会議」が招集される。それだけではない。自称メシア(救世主)が結集して「メシア会議」も開かれているというのだ。出雲大社の「神々の集会」という呼称は世界各地で見いだせるのだ。

民族、国家を超え、人類は神々を拝み、神々と対話してきたわけだ。その意味で、唯一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教はちょっと異質の宗教ともいえるわけだ。

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注・・「和風月名」の由来に関連した諸説は人工知能(AI)やグーグールの情報に基づいて引用した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。