イメージ操作された「宗教2世」が独り歩き

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)解散問題は安倍晋三元首相の暗殺事件を契機に、共産党系弁護士、左派メディアが実行犯の供述をもとに持ち出してきたテーマだ。メディアの圧力を受けた当時の岸田文雄首相は法の解釈を変えて旧統一教会の解散請求を持ち出した経緯がある。これは明らかに「信教の自由」を蹂躙している。旧統一教会信者の拉致監禁問題についても政府関係当局はこれまで沈黙してきた。

12歳の時洗礼を受けた作家・遠藤周作、ウィキぺディアから

朝日新聞など左派系メディアをみていると、旧統一教会問題が話題を呼ぶようになって以来、恣意的か「宗教2世」という表現が頻繁に登場してきた。多くはネガティブなイメージを絡ませて使用されている。元信者がメディアに登場して、「両親が旧統一教会信者でそのもとで自分は生まれた」と語り、旧統一教会がいかに2世たちの人権と自由を束縛しているかをテレビのワイドショーで証する。そこでは「宗教2世」のアイデンティティへの葛藤も飛び出してくる。

信仰者は時には、自身の宗教に対し葛藤するだろうし、疑念も生まれてくる。それは「宗教1世」も「2世」も基本的には同じだ。そして最悪の場合、教会から脱退し、元信者となる。その元信者が脱退した宗教の悪口を言い,時には罵倒するのはごく自然のことだ。「自分は出ましたが、あの教会は素晴らしかった」と語る元信者はほとんどいないだろう。

朝日新聞など左派系メディアは好んで「元信者」で、「宗教2世」に旧統一教会への批判のコメントを取材する。特に、「宗教2世」から旧統一教会への批判を聞き出そうとする。それに誘われ、元信者の「宗教2世」がメディアに登場する。その結果、「宗教2世」と言えば、親から強制的に信仰を強いられた人間といったイメージが定着していくわけだ。

ところで、「宗教2世」という表現は欧米キリスト教圏ではほとんど聞かない。多くのキリスト者の家庭は代々信者だから、とりわけて「宗教2世」といった表現は使わない。

参考までに、ローマ・カトリック教会の信者,麻生太郎氏は幼児洗礼を受けている。また「沈黙」を書いた小説家遠藤周作も幼児洗礼を受けているから、両者は、「宗教2世」と呼んでもいいわけだ。だだ、日本のメディアが過去、麻生太郎元首相を「宗教2世」と呼んだとは聞かない。

キリスト教の歴史ではアナバステスト運動といわれ、幼児洗礼を否定し、再洗礼派と呼ばれる宗教運動がある。16世紀に起きた宗教改革の文脈から生まれた同運動は、スイス、チロル、南ドイツに始まり、モラビアなど中欧全域に広まっていった。教会への入会のためには、洗礼を受ける人の意識的な信仰と意志の行為が必要であると理解していた。そのため、幼児洗礼を拒否した。ちなみに、バンス米副大統領は19歳の時、カトリック教会で洗礼を受けている。また、プロテスタント派のキリスト者の石破茂首相は18歳で洗礼を受けたと聞く。両者は「宗教2世」ではないわけだ。

通常、人は自身の家庭、氏族が代々継承してきた信仰を自然に引き継ぐ。その意味で、多くの人々は「宗教2世」であり、3世、4世・・だ。旧統一教会の場合も「宗教2世」が生まれ、3代、4代と継承していく。極、自然なことであり、特異な現象ではない。ただ、日本の場合、事情は少し異なる。「宗教2世」という表現は旧統一教会に反社会的な団体というイメージを与えるために左派メディアが恣意的に頻繁に使用し、それが奇異な状況と思わせるために、元信者の「宗教2世」を動員して、イメージ操作しているわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。