「信仰の祖」アブラハムから派生した唯一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗派には共通点が多くある一方、相違点もある。イスラム教専門家でバチカンのグレゴリア大学で教鞭をとるフェリックス・ケルナー神父は神への祈りでも3宗派の間で相違があるという。同神父によると、「イスラム教徒が神に委ねるのは神が全能だからだ。キリスト教徒の場合、神がキリスト(救世主)を送って下さったからだ。そしてユダヤ教徒の場合、神がユダヤ人を選民に選ばれたからだ」という。

イスラエル南部のネゲヴ砂漠がある町ミツぺ・ラモンを訪問したネタニヤフ首相(左)、イスラエル首相府公式サイトから、2025年7月27日
パレスチナのガザ地区でイスラム軍とイスラム過激派テロ組織「ハマス」の紛争をフォローしていると、ユダヤ民族の動向から「神から選ばれた民族」(選民思想)といった印(しるし)を感じることがある。それはユダヤ教正統派だけに言えることではなく、リベラル派の人々でもユダヤ民族の血統を継承する人には程度の差こそあれ当てはまるのではないか。
例えば、イスラエルのネタニヤフ首相はユダヤ人だが、決して頑迷なユダヤ教徒ではなく、米国流の生活スタイルを愛するリベラルなユダヤ人だ。その首相も危機に瀕すると、これまで見られなかった「選民思想」が疼きだす。このコラム欄でも紹介したが、、同首相はイラン攻撃の前日(6月12日)、ユダヤ教の最も神聖な礼拝所、エルサレムの旧市街にある聖地「嘆きの壁」を巡礼し、一片の紙を壁の隙間に差し込んでいる。現地のメディアによると、ネタニヤフ首相は手書きでヘブライ語聖書「民数記」23章24節の聖句「見よ、民は若い獅子のように立ち上がり、獅子のように高ぶる」を書き写している。そしてイスラエル軍は「ライジング・ライオン作戦」(立ち上がる獅子)と呼ばれるイラン攻撃を始めた。
それに先立ち、ネタニヤフ首相は2023年10月28日、イスラム過激派テロ組織「ハマス」のイスラエル奇襲テロ事件直後、旧約聖書「申命記」や「サムエル記上」に記述されている聖句「アマレクが私たちに何をしたかを覚えなさい」との箇所を演説の中で引用している。モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に向かって歩みだした時、アマレク人は弱り果てていたイスラエルの民を襲撃した。ネタニヤフ首相は当時、「ハマスの奇襲テロ」を「アマレク人の蛮行」と重ね合わせて語ったことは明らかだった。すなわち、1,200人以上の国民を殺害し、250人以上を人質にしたハマスの蛮行を忘れてはならないという意味だ。ネタニヤフ首相はその後、「ハマス撲滅」を宣言し、ガザのハマスの拠点に激しい報復攻撃を展開させている。ネタニヤフ首相は自身の決定を常に神のみ言葉で定義し、位置づけているのだ。
ところで、当方は米TVシリーズ「選民」(The Chosen)を観てきた。イエスと12弟子たちの交流が描かれている。イエスは自身の語る意味を理解できない弟子たちにたとえ話で忍耐強く諭し続ける。多くの奇跡を行うが、弟子たちはイエスの本当の願いを理解できない。誰が一番偉いかなどと言い争う弟子たちに、イエスは絶望するような思いで怒りを発し、一人寂しいところに行く場面は心を突く。
救い主イエスと、イエスによって選ばれた弟子たちの間にはパーセプション・ギャップがあった。イエスと両親(ヨセフとマリア)との間にもパーセプション・ギャップがあった。弟子の中には、イエスを政治的指導者と考え、民族の解放者と受け取っていた弟子たちもいた。イエスと弟子たちの間には世界観、人間観で大きなギャップがあった。
その結果、神の中心的な摂理はユダヤ民族から、民族、国家の壁を越えて広がっていったキリスト教に移動していくことになった。ただ、ユダヤ民族を神は忘れることがなかった。なぜならば、ユダヤ民族を選民にしたのは神自身だったからだ。イスラエルは1948年、建国し、世界中のユダヤ人が神の約束の地カナンに移住してきた。
ユダヤ民族の歴史を単なる一民族の神話と受け取るか、それとも人類で先駆けて選民となった民族の歴史と受け取るかで、現在のイスラエルの動向への評価は変わるだろう。明確な点は、選民だとしても、神が発信するメッセージとずれが生じることがあることだ。だから常に自省しながら他民族との共存の道をいかなければならない。選民は他の民族に対して責任がある。それは神の祝福を受けた選民の義務であり、同時に誇りでもある。ネタニヤフ首相には、ユダヤ民族と同じように苦難の道を歩むパレスチナ民族に温かい手を差し伸ばしてほしい。
参考までに、トランプ米大統領の「米国ファースト」、オルバン首相の「ハンガリー・ファースト」、日本では参政党の「日本人ファースト」といったように、「ファースト」を政治信条に掲げる政治家、政党が世界的な広がりを見せているが、「ファースト」にはナショナリズムや優越意識がみられる一方、一種の「選民思想」がその根底に潜んでいるのを感じる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年7月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






