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お盆が重なることもあって、毎年夏になると多くの日本人が大東亜戦争で命を落とした戦没者に想いを寄せる。戦後80年を迎えた今年は、例年にもまして特別な夏である。
去る3月29日、東京から南へ1250キロ離れた硫黄島で、その記念の年に日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式が執り行われた。首相の石破茂は現職の内閣総理大臣としては初めて出席し、米国からはヘグセス国防長官がアメリカ合衆国を代表して列席した。著者も現地取材を兼ねて本式典に出席しており、今夏の刊行に向けて高ぶる気持ちを現地から発信していた。
日米戦争で最大の激戦地と言われる硫黄島の戦いにおいて、多くの日本人には知られていない軍人たち。
その中には、時のアメリカ大統領であるルーズベルトに対してアメリカの非道と日本の立場を直言した司令官がいた。ハワイ生まれの日系人兵士で、司令官が残した言葉の意図を正しくアメリカ人に伝えるために心に刺さる言葉を必死で捻り出した翻訳者がいた。そして戦死した日本兵は身ぐるみ剥がされ持ち物を細かく検査されることを知った上で、司令官と翻訳者が書いた文書を腹に巻き付けて最後の突撃を果たした参謀がいた。
本書は、日本において殆ど知られることなく歴史の片隅に留め置かれた超一級の歴史資料を、80年が経過した現代日本に蘇らせる試みである。
「ルーズベルトに与ふる書」として知られた手紙を書き残した市丸利之助少将、英文への翻訳者である三上弘文兵曹、そして命と引き換えにアメリカ軍に手紙を送り届けた村上治重参謀。
著者は市丸の故郷である佐賀、村上の故郷である熊本を訪ね、年老いた遺族から話を聞く。また多くの関係者からの協力を得て、三上の魂が眠るハワイの墓を探し当てた。そして丹念な取材を経て、日本史の陰に長年隠れていた誇り高き日本軍人たちの最後の瞬間に光を当てると共に、残された家族たちの戦後を描き出す。
米軍をここ硫黄島に一日でも長く留め置けば、自分たちの家族はその分長く生き永らえるはず。主人公を始め硫黄島で玉砕した日本兵たちは、短い人生の最後の瞬間に自らが死ぬ意味をそこに見出し、瘦せ衰えた体を強い気持ちで奮い立たせ戦ったに違いない。
3月に参列した日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式において、自衛隊と海兵隊の日米両国音楽隊による鎮魂歌が演奏された。著者はこの時、日本側が演奏した童謡唱歌「故郷」が演奏された時の遺族の様子を眺めながら、ついぞ家族の元に帰ることが出来なかった父親を慰霊する白髪婦人の胸中に想いを巡らす。
こころざしを
果たして
いつの日にか
帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
忘れがたき ふるさと
自衛隊音楽隊による「ふるさと」が奏でられた時、80年の時を経て参列していた遺族を、果たして英霊たちはどんな想いで天国から見守っていたのだろうか。
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