黒坂岳央です。
校長先生、大学教授、部長や役員といった立場にある人の話は概して「つまらない」と感じる人は多いのではないだろうか。
大学にいくと、学生が寝ているのは学生側に責任はあるが、教師側も「楽しませよう」という気概を感じない責任も半分あるように思える。また、〇〇の専門家と呼ばれる人たちも、話は主観的すぎ、共感しづらく、聞いている側は「早く終わらないかな」と考える人も少なくないだろう。
本稿は誰かを名指しで批判するためではなく、本現象を言語化し啓蒙の意図を持って書かれた。立場がそれなりにある「えらい人、先生」ほど話がつまらない理由を取り上げたい。

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変化に取り残される
ある程度、立場がある人ほど保守的になり、また加齢が原因で挑戦しなくなる。新しいことを学ばず、失敗を避け、結果として「昔から同じ話」を繰り返すようになる。部下や学生から見れば「またその話?」「もう昭和じゃないぞ」と既視感や時代錯誤な内容に辟易する。
一方で変化に敏感な人は常にアップデートを怠らない。昨日仕入れた情報を今日に活かすことができる。話が面白い人とそうでない人の差は、結局「学びを止めているかどうか」「行動し続けているか」に直結する。
承認欲求が第一優先
ある程度立場が高いと、相手も気を使って興味があるふりをして傾聴してくれるので、油断するとあっという間に裸の王様化する。
こうなると、話を気持ちよくするために相手に与えることよりも「自分が承認されること」を優先しがちだ。会食や会議で延々と自分語りを続け、質問されても結局は話を自分に戻す。
できるだけ自分のターンを多く、長くし、相手の傾聴フェーズタイムを引き伸ばす話し方をするので、聞いている側は疲れてしまう。
こうした態度は「この人と話しても得るものがない」「会話するたびに時間が取られる」と感じさせ、相手から避けられる原因となる。承認欲求の処理道具にされたい人など、この世にいないのだ。
主観的すぎる
「自分の話には価値がある」「自分に興味を持ってもらえる」と盲信するのも典型的パターンで、特に年を取るとこの傾向を強めやすい。「聞きたいより伝えたい」が多くなると老化のサインだ。
現実的な話をすると、30代半ばを過ぎれば「自分自身に興味を持ってくれるのは家族だけ」くらいに考えた方がいい。
筆者は技術やノウハウを伝える文脈の中で、自身の主張を裏付けるエピソードとしては自分の話をするが、相手から求められない限り、基本は自分から自分語りは絶対にしない。
「役に立つor面白い」以外の「中年の話に市場ニーズはゼロ」くらいに考え、相手の役に立つ話を意識するか、もしくは相手の話を聞く意識をしたほうが良いだろう。
◇
中途半端に立場が高いと、誰もフィードバックをくれず、話が化石化し、承認欲求の処理場に周囲を巻き込む。これが「裸の王様化」の正体だ。繰り返しになるが「聞きたい、より伝えたい」は老化のサインと考え、なるべく自分のことより、相手の反応を意識して見るように心がけたいものである。
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