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正直に言う。この話、他人事じゃない。
というか、みんな薄々感じてるでしょ?「障害がある子の親って大変だな」って。でも実際に当事者になった時の絶望感なんて、想像もつかない。医師から告知を受けた瞬間の、あの世界がひっくり返る感覚。
「難病の子のために親ができること」(大澤裕子 著)青春出版社
1972年の判決が今も重い
アメリカのペンシルバニア州で1972年、「障害のいかんを問わず、すべての子どもはその能力に応じて教育を受ける権利を有する」って判決が出た。PARC判決。50年以上前の話。
これが日本の特別支援教育の基盤になってる。当たり前のことだと思うでしょ? でも実現するまでにどれだけ時間がかかったか。そしてまだ道半ば。
就学先の選択。地域の学校か、特別支援学級か、特別支援学校か。単なる教育の場選びじゃない。子どもの将来の社会参加への第一歩。責任重すぎる。
市町村の教育センターで「就学相談」ってのがある。園の先生、学校、療育機関の意見と、本人・保護者の希望を考慮して決める。理想的に聞こえるけど、現実は?
「地域の学校に入れるべきだ」「特別支援学校に入れるなんて」――こういう声に傷つく家族がいる。無責任だと思う。当事者でもないのに。
大澤さんのアドバイスがいい。「何が正解かではなく、よく考えて選択したことが正解だったと思えるようにしていく」。そして「違和感があれば環境を変えるのも一つの道」。
そういえば昨日、スタバで隣に座ってた母親同士の会話が聞こえてきた。「あの子、支援級に行くんだって。かわいそう」って。無神経すぎる。本人が聞いてたらどう思うか。
インクルーシブ教育の理想と現実
「インクルーシブ教育」って言葉、最近よく聞く。障害のある子もない子も、同じ場で共に学ぶ。理念は素晴らしい。でも現実は?
厚労省の2024年データ見ると、雇用障害者数は67万7461.5人。21年連続で過去最高更新。身体障害者36万8949.0人、知的障害者15万7795.5人、精神障害者15万717.0人。
数字だけ見ると希望的。でも裏を返せば、まだまだ課題山積ってこと。学校で適切な教育を受けても、卒業後の社会参加の場が限られてる。
要するに、教育現場だけ頑張っても意味ないのよ。社会全体が変わらないと。
物理的な壁より心の壁
バリアフリー化とか「合理的配慮」の義務化とか、制度的な改善は進んでる。でも偏見や差別っていう「心の壁」は? これが一番厄介。
「ノーマライゼーション」って概念がある。障害を持つ人が社会構成員の一員として、社会の恩恵を等しく受けること。当たり前のことなのに、なぜこんなに難しいのか。
結局、人の心が貧しい社会では無理なんだと思う。制度をいくら整えても、心が追いつかない。
特別支援教育の選択に悩む保護者たち。実は社会変革の最前線にいる。どんな選択をしても葛藤はある。でも、よく考えて選択したことが正解だったと思えるようにしていく――その積み重ねが社会を変える。
一人一人の選択と努力が、より良い共生社会につながる。信じたい。でも正直、時間かかりすぎじゃない? 50年経ってもこの程度。次の50年で何が変わるのか。
まあでも、諦めるわけにはいかない。子どもたちの未来がかかってるから。
(あ、そういえば、スタバの件。今度そんな会話聞いたら、ちゃんと注意しようと思う。見て見ぬふりはもうやめよう)
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
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22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)








