現代人は本を読まないのではなく「読めない」

黒坂岳央です。

近年、「読書はコスパが悪い」「本よりYouTubeや要約動画で十分」という声を耳にすることが多い。

確かに、耳から学ぶ学習スタイルは効率的であり、筆者自身も移動中や作業中に耳から情報を得たり学ぶ事がよくある。

その一方、筆者は「効率を考えて読書を選択しない」のではなく、「能力が落ちて読書ができない」という現象が起きている可能性を疑っている。

本人は「耳から学ぶのがコスパがいい」と考えることは思い込みで、実際には読書からの逃避行動になっている人もいると思うのだ。

pemco/iStock

「時間がない」は本当か?

多くの人は「忙しくて本を読む時間がない」と言う。現代人が本を読まなくなったのも「忙しさ」を理由に上げる識者も多い。

本当だろうか?筆者のような活字中毒者からすると非常に疑わしい。自分は忙しいからこそずっと本を読んできたし、毎日終電まで働いている時も毎日、通勤電車内や職場の休憩室などで読んできた。

連休も帰宅後もその気になればいくらでも時間はあるはずだ。そして現代人は読書できる時間を短文のSNS投稿を見たり、動画視聴に使っている。つまり、時間がないから読めないのではないと考える。

筆者が考える主要因は「集中力の低下」である。現代人はSNSの画像付き短文は読めても、長文の本は数ページで集中力が切れてしまう。

近年、日本人だけでなく世界的にスマホ中毒者が増えたことで、とりわけ先進諸国において集中力の低下が起きていることが知られる。カナダのマイクロソフトチームの研究によると、「現代人の集中力は7秒で金魚以下」という(学術的な裏付けは十分ではないとされるが、現代人の集中力低下を指摘する意見として傾聴に値する)。

現代人はスマホと短文文化に慣らされすぎ、長文を処理する「知的筋肉」が痩せ細っている状態になっているのだ。

「読書は時代遅れでは?」への反論

想定される反論として「いや、読書は事実としてコスパが悪いのだから、あえて本という媒体にこだわるのは前時代的だ」という意見だろう。

確かに、動画や音声で情報を得る方法は便利な点は否定しない。しかし、事実として体系的で技術的側面が強い分野においては、テキストを通じた学習が圧倒的に効率的である。

世界中どこの教育現場でも、学習の基本はテキストだ。一時期、北欧で試みられたビジュアル重視のタブレット学習は読解力低下が問題視され、結局は従来のテキスト教育に戻った事実がある。

さらに、技術書、スキルアップ教材、資格試験の参考書を動画だけで学習する人は基本的にいないだろう。体系性と正確性を担保するには、テキストという形が最適解だからである。

想像してもらいたいのだが、資格試験の過去問を動画や音声を反復することは、本当に時間や効果の面で効率的だろうか?概念の理解は動画で行い、演習はテキストベース、が効率の良いハイブリッドだと発想するのが一般的だろう。

加えて、読書には速度という利点もある。動画は1時間の内容を倍速で視聴しても30分かかるが、読書であれば熟練すれば初見の3倍、5倍のスピードで必要な箇所をかいつまんで読み進めることが現実的に可能であり、むしろ効率的である。

以上のことから「読書は効率が悪い」という意見は違うと考える。

動画や音声、読書の決定的な違い

動画や音声は何時間も消化できても、わずか10分の読書が出来ない理由はなんだろうか?答えは、能動的と受動的という姿勢の違いで説明が出来る。

耳から学ぶことは受動的であり、流れる情報をそのまま受け取る行為だ。一方で読書は能動的であり、行間を補い、論理を追い、主体的に意味を獲得する作業だ。読書はより高度な知的活動、負荷、集中力が必要なので動画に慣れすぎた人にとっては苦痛を伴う。

たとえが適切かわからないが、「今どきはゲームをプレイするより、ゲーム実況の方が楽しいからゲームを買わない」という意見がある。これも動画と読書の関係に似ている。

ゲームはルールを理解したり、集中して試行錯誤という負荷の高いプロセスが入る。そのため、加齢に伴い脳の前頭葉が意欲を失えば、その負荷の処理をストレスと感じてゲーム実況という受動的で脳が楽な方へと流れると推測する。

筆者はゲームのプレイもゲーム実況も好きだが、未プレイの対策を実況で済ませるなんて、あまりにもったいなすぎて到底そんな気になれない。やはりゲームをプレイすることとただ見ることの間には超えようがない壁がある。それは実際に旅行に行くのと旅Vlogを見るのと同じくらいまったく違うものだ。ゲーム実況で済ませる、旅Vlogで良いという人たちは、ゲームをプレイする、旅行へいく意欲や能力が落ちているのだ。

このように情報は「入り方」が異なる。耳学習は便利な補完手段ではあるが、能動的読解力を鍛える代替にはなり得ないというのが筆者の持論だ。

ここまで厳しい論調が続いたが、強調したいのは、読書が「生まれ持った才能」ではなく「磨けば光る技術」であるという点である。

ぼんやり動画や音声を受け身で聞くのと違って、読書は長時間集中する力、文脈を追う読解力、そして時間やコストを投じて得る知見を受け入れるリスクテイク能力が必要だ。しかし、これらは訓練によって伸ばすことができる。

事実、義務教育時代は誰しも教科書や参考書という長尺テキストを読まされている。社会人になって自らやめてしまっただけなのだ。今からでも取り戻すことは十分可能だ。寝る前のスマホタイムを読書タイムに変えれば、能動的に情報獲得をする習慣を取り戻すことができる。

 

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。