
昨年8月8日の日向灘地震を覚えているだろうか。宮崎県で震度6弱を記録し、久々の緊急地震速報が響き渡った。長崎の原爆忌の前日のことだ。
それ以上に社会を緊張させたのは、2019年に運用を開始した「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出されたことだ。お盆前のシーズンだったのに、旅行のキャンセルや海水浴場の閉鎖が相次いだ。”自粛” ってやつである。

当時の首相は、俺たちの “カネカネ眼鏡” こと岸田文雄氏。しかし、「あ。南海トラフさんに来ないように金渡しといて」とは行かないので、自身の外遊を取りやめて国民の危機感を煽ることにした。そして、空振りだった。
てか、2020年のコロナの時も「不安だからとりあえず店閉めろよ! 損した分は国が払えばいいだろ、うおおお自粛と補償はセットだぜ!」みたいな人たちいたけど、外れた地震に補償は出たんですかね? えっ、まさかと思うけど、丸損??
が、それはさすがに岸田氏個人の責任とも言いかねる。官邸の発表でも、
きのう発表された「巨大地震注意」について、林〔芳正・官房長官〕氏は「この情報は事前避難を求めるものではなく、特定の期間に地震が発生するということを具体的に知らせるものでもない」と指摘。
TBS(2024.8.9)
強調は引用者
と言っていた。でもさ、じゃあその情報は、そもそもなんなの?
答えは、当時すでに話題の書籍だった小沢慧一氏(東京新聞記者)の『南海トラフ地震の真実』に書いてある。刊行は、ちょうど1年前の2023年8月。ざっくりまとめると、こんな経緯になる。
1976 地震学者が「東海地震」の切迫性を提唱
1978 福田赳夫政権下で大震法が成立
地震予知時は強制力を伴う「警戒宣言」を想定
1995 阪神・淡路大震災(東海ではない)
2011 東日本大震災(東海ではない)
2015 熊本地震(東海ではない)
2016 大震法の見直し開始、廃止論も
2019 強制力のない「臨時情報」の運用開始
予想された東海地方以外での震災が続きすぎて、もう誰も地震学をベタに信じないのだが、巨大地震は「予測できる!」という社会通念が成立してしまったので、今さら引っ込みがつかない。
端的には、なんの事前情報も出さずに南海トラフが起きると、政府には損害賠償を請求されるリスクがある。なので、あくまで “ご参考” までに臨時情報は出しますね、はいこれで政府の責任は終了ですね、「ロックダウンじゃなくあくまで “お願い” ですから」みたいな話なのだ。
取材に応えて、このテーマの先輩記者が語る言葉は、痛烈である。
泊次郎氏は、「大震法を残すことで、各省庁はいつまでも予算と人員を確保できるし、国の委員となっている有力な学者は予算の配分に影響力を持てる。大震法の廃止なんて、初めからできるわけがなかった」と解説する。そのうえで、見直し後の地震防災の環境についてもこう指摘する。
「こうした仕組みが残ったことで、多くの人は南海トラフ地震が起きる前には何らかの情報が出ると勘違いを続けるのではないでしょうか。これで、各防災機関や有力な研究者が既得権益を尊重し合うムラ構造は温存されました」
206頁
小沢氏の同書はいま、南海トラフ地震の30年以内の発生確率が、政治的な事情のほか、基になる研究の不備により “水増し” されてきたことを告発したルポとして、広く読まれている。あたり前だが、学者もまちがえる。

専門家と称してメディアをジャックした一部の学者が、後でまちがいとわかる提言を濫発して世論や政策をミスリードする令和の現象を、ぼくはもうずっと “専門禍” と呼んできた。昭和の地震学は、その起源だとも言える。
だがそんな中でいま、よい兆しもある。1980年の論文で南海トラフ地震の予測モデルを提唱し、世界的に知られた島崎邦彦氏(東大名誉教授)は今年5月、小沢氏らの批判を踏まえて「誤りの可能性」を公の場で認めた。

島崎氏はこう述べたのだ。「2030年を数年過ぎても南海トラフ地震が起きなければ、時間予測モデルは間違っていると言える」
提唱者であり、地震学の権威であり続けた島崎氏自身がそう認めたのである。会場は騒然とした。研究者から何人も質問の挙手が上がり、発表後は報道陣の囲み取材が発生した。
島崎氏自身も、もともと時間予測モデルで正確に地震が予測できるとは思っていなかったようだ。取材後の報道陣への取材で、こう本音を漏らした。
「あんな単純なもの(計算モデル)がそのまま入る(当たる)とは思えない。ただこれまで(宝永、安政、昭和南海地震)のが当てはまってしまっていた」
東京新聞(2025.5.27)
段落を改変
“元祖” だからこそ、文字どおり半世紀かかったとはいえ、ようやく専門禍を終えつつある分野がある。それは、ぼくたちにとって希望だろう。
発売中の『Wedge』10月号の連載「あの熱狂の果てに」では、小沢氏の著書に基づき、研究者の誇大な発表から学問と社会の関係が狂い、専門禍が日本を振り回す事例の系譜を、こんな風に今日まで辿った。

大震法を生んだ1970年代は、誰もが「科学と不安」に熱狂した時代だった。70年の大阪万博、72年の田中角栄『日本列島改造論』が「技術の進歩でなんでもできる」との夢をうたう一方、73年には小松左京『日本沈没』と五島勉『ノストラダムスの大予言』が大ヒットして、黙示録のように破滅への幻想をかき立てた。
世界に終末が迫りつつあるが、科学者の英知を結集すれば、それを蹴散らせる――。数値を誇張して世論の不安を煽りつつ、鎮められるのは自分たちだけだと専門家がしゃしゃり出る。小沢氏が批判する「地震ムラ」のあり方は、2020年代に入るや、「感染症ムラ」「安全保障ムラ」へ広がってもいる。
10頁
専門禍を、①近代科学が万能だと思われ、②戦後日本が豊かだった時代の “置き土産” と捉えることで、ぼくらの課題は明白になる。地震学では50年かかったその清算を、いかに短縮するかだ。
空疎に過ぎつつある戦後80年、ノーモア・ヒロシマ、ナガサキと聞いても「もういいよ」としか感じない世代も増えた。が、実はそれがいまの世界を規定しているように、当人が思うほどには誰も歴史から自由ではない。

地震学の後をドヤ顔で吶喊した、理論疫学や国際政治学の現場には、いま悲惨な “戦死者” の遺体がゴロゴロだ。だから私たちが、今年誓いを新たにする言葉はただひとつ、
No More SENMONKA
(過ちは繰返しませぬから)
の他にない。
参考記事:1つめは、完璧な予言となった神記事

(ヘッダーは、日向灘地震後のMBSより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







