「SOS子どもの村」の虐待疑惑問題について報告する。「SOS子どもの村」は1949年、ヘルマン・グマイナー(1919-1986)がチロル州イムストに最初の「SOS子どもの村」を建設し、献身的な女性たちと男性たちと共に、世界的な人道支援の理念の礎を築いた。第2次世界大戦後の困難と貧困下で全てを失った子供たちを守り、彼らが安全で安心な環境で成長できるようにすることを目標としてきた。

第2次世界大戦終了直後、チロル州で最初の「SOS子どもの村」が設立された、「SOS子どもの村」公式サイトから
「SOS子どもの村」の公式サイトによると、「子どもたちに尊厳と温かさに満ちた愛情あふれる家庭を提供し、困難な状況にある子どもたちとその家族を支え、危機からの脱出の道を探る。これらがSOS子どもの村の中心的な使命だ」と記述されている。同村では男性スタッフが父親役となり、女性スタッフは母親役となって家を失った子供たちをケアする。
ちなみに、「SOS子どもの村」は今日、世界135の国と地域で活動する国際NGOに発展している。その活動範囲は非常に広範で、「SOS子どもの村」は世界中に450箇所以上あり、全体では約170万人の子どもと家族を支援している。オーストリアに「SOS子どもの村インターナショナル」の本部がある。日本でも支部が運営されている。
その「SOS子どもの村」で数年前まで、子どもたちが虐待されていたというのだ。同事件を最初に報道したのはオーストリア週刊紙「ファルター」だ。同週刊誌は9月16日号でケルンテン州の「SOS子どもの村」で数年前に発生したとされる深刻な虐待疑惑を報じた。報道によると、「SOS子どもの村」の関係者は不祥事を知りながら、すべての証拠と手がかりを隠蔽していたという。
「ファルター」誌は「殴打、屈辱、虐待」という見出しの記事の中で、「写真には幼い男の子が写っている。彼は校庭に立っており、Tシャツだけで下は何も着けていなく、性器を露出している。写真を撮影した教師は、個人用ノートパソコンを開くたびにこの写真を見ることができた。この画像は彼のデスクトップの背景画像になっていた。男はハードドライブに、浴槽に立つ少年のクローズアップなど、幼い子供たちのヌード写真を複数保存していた。仕事が終わると、教師は子供たちを自分のアパートに連れて行った。ある教師は3年間、毎晩、少女を部屋に閉じ込めていた」と報じている。
同誌は9月23日号で続報している。新たな告発として2005年までケルンテン州モースブルクにある「SOS子どもの村」に住んでいた女性の話を紹介している。「私たちは手当たり次第に殴られ、よく鼻血が出た。私たちは冷たいシャワーを浴び、氷点下のバルコニーで裸で立たされ、何日も地下室に閉じ込められた。イースターにチョコレートを食べ過ぎて嘔吐した時、母親役のスタッフは吐いたものを食べるように強要した」と証言する。女性は現在成人し、2人の子供の母親となった。彼女は自身の幼少期の出来事に、今も苦しめられているという。女性は摂食障害を患い、セラピーを受けている。
「SOS子どもの村」における虐待疑惑が明るみに出た後、外部専門家から成る調査委員会が設立された。同村の広報担当者によると、調査委員会には、経済学の専門家、医療・セラピーのバックグラウンドを持つ専門家なども参加する。元最高裁判所長官イルムガルト・グリス氏、児童保護の専門家ヘドヴィヒ・ヴェルフル氏、社会学者ヴェロニカ・ライディンガー氏らの名前が挙がっている。ただ、被害者代表が委員会に入っていないことで批判の声が出ている。
グリス氏が率いる委員会は今後、「SOS子どもの村」組織内で改革案を実施する責任を負う。調査結果は、被害者の保護を尊重しつつ公表されるという。グリス氏は1日、「委員会の拡大と完全な独立性は包括的な見直しと持続可能な変革に向けた提言の提示にとって最重要条件だ」と述べている。
ちなみに、「SOS子どもの村」での虐待疑惑は過去、内部で調査され、処理されたことがあったが、その調査結果や関連情報は公表されなかった。今回チロル州イムストとザルツブルク州ゼーキルヒェンの「SOS子どもの村」に対する疑惑が明らかになったわけだ。現在、クラーゲンフルト、インスブルック、ザルツブルクの検察当局が「SOS子どもの村」の虐待疑惑について捜査を行っている。
当方は長い間、ローマ・カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待問題をフォローしてきた。カトリック教会は閉鎖的な組織であり、その中の指導者は下位の存在(未成年者)に対し権威的に振る舞う。そして何らかの不祥事が生じると事件を隠蔽しようと腐心する。「SOS子どもの村」の虐待疑惑事件でも同じような状況展開があったわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






