
飛行機に乗っています。福岡単身赴任時代には月1は乗っていた飛行機ですが、7月を最後にご無沙汰。久しぶりに乗った飛行機は初めてのAir Do。翼に描かれたBear Doがチョコを抱えてこちらを見つめ続けています。
Air Doに乗ったということは、やってきたのは当然北海道。着いたのは函館空港です。函館に来たのは4年ぶり。

前回函館を歩いた際の記事はコチラに書いているのですが、今回は訪ねたのだけれどここには書かなかった、函館の観光名所をご紹介します。

その観光名所は地面からではなく、高いところに登った方がよく見ることができます。展望台が五角形のタワー「五稜郭タワー」に登って、その全容を見てみることにしましょう。展望台の料金は大人ひとり1200円。結構なお値段です。それでも観光客が大行列を成しています。順番待ちのあと、エレベーターで展望台に登りいよいよ函館を代表する観光名所とご対面することとなります。

展望フロアに登ると、見えました!星形の独特の形をした城郭。これが函館を代表する観光名所「五稜郭」です。
五稜郭は幕末、箱館の開港が決まった際、街中に設置された箱館奉行が高台から丸見えだったことを嫌って移転する際にフランスの軍人の知恵を借りて建設されました。大砲が攻撃の主力だったこの時代、星の先端にあたる陵堡に大砲を配備することで死角を無くし、攻撃も防禦もしやすくすることから西洋で好まれて築城されていました。
幕府も西洋の列強に認められようという思惑もあって日本の城とは全く異質な形の城郭を有した城郭を建築します。その城郭の中に箱館奉行は1864年に移転しました。

箱館奉行の一部は2010年に復元されて五稜郭の中に残っています。ところが時代は幕末の激動期であり、この奉行所がその役割を果たしたのはわずか4年。その後五稜郭の名を後に知らしめることとなる有史に残る内戦の舞台となるのです。

リアルなミニチュアが五稜郭タワーの中で戦争の歴史を伝える。
その内戦が「戊辰戦争」。日本史上最大の内戦とされ、旧幕府軍と新政府軍が政権を争った戦いです。その最後の舞台、箱館で繰り広げられたのが箱館戦争であり、旧幕府軍が一時占拠して「蝦夷共和国」と名乗って籠城していたのが五稜郭でした。

蝦夷共和国の総裁となっていたのが榎本武揚でした。彼の像は五稜郭タワーの展望台部分にも、ここ1階フロアにもあります。今の日本で続く新政府から見れば反逆者であるはずなのですが、ヒーローのように銅像が建っています。
もっとも、榎本は箱館戦争に敗れて降伏したあと一時投獄されていましたが、1872年に黒田清隆による特赦により出獄、新政府の駐ロシア特命全権大使や逓信大臣、文部大臣、外務大臣などを歴任しました。榎本武揚のたぐいまれな政治的手腕も目を見張りますが、敵であるにもかかわらずその才能を活かそうと要職に就けた黒田の懐の深さにも驚くばかりです。

箱館戦争の経緯については、五稜郭タワーの中で詳しく解説されています。

タワーを降りて少し五稜郭の中に入ることにします。

堀を作る石垣は日本の城に多い直角ではない鈍角の形状。非常に興味深いのですが、やはり形が売り物の建物や城郭をよく知るためには高いところから眺めるのが一番よくわかります。同じことは大阪などにある大規模な古墳にも言えます。平面からだと目の前にあってもその凄さがわかりにくいです。

最後に少し、タワーから眺めた五稜郭以外の景色も。こちらも函館を代表する観光名所、函館山。かつて軍事拠点として立ち入り禁止だった山は今や日本を代表する夜景観賞スポットとなりました。

函館港の向こうに渡島半島の山々が望めます。五稜郭は函館の中心部である港から見ると結構内陸にありますが、これは江戸幕府が五稜郭を作る際に外国船からの砲撃を避けるために放射距離のぎりぎり外を狙ったことによるものです。

五島軒のカレーパン、うまい。
タワーの下には函館を代表する洋食店「五島軒」の支店がありました。小腹が空いたので五島軒のカレーパンをいただきます。あったかく、もっちりとした揚げパンの中にスパイスの効いたカレーが。辛すぎずマイルドな味わいのカレーパンをおいしくいただきました。

形の独特さだけではなく、幕末の歴史をしっかりと見届けてきた北の城郭、五稜郭。ぜひ一度タワーの頂上から眺めてその形を愛で、歴史を学びに来ていただきたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。






