ドイツで16年間も首相の座に君臨した政治家が引退した場合、その政治家の言動は引退後も機会がある度にメディアで報じられても不思議ではない。政界のトップから降りた後も名誉職や院政で後の政権に影響を行使するというケースはよくあることだ。ドイツのアンゲラ・メルケル氏(71)の場合、首相退陣後、その発言がメディアを飾ることが驚くほど少ない。それなりの理由はある。

独週刊誌「シュピーゲル」の表紙(2024年11月23日号)を飾るアンゲラ・メルケル元独首相
政界から退陣した政治家の常でメルケル氏も昨年11月、回顧録を出版した。700頁に及ぶ回顧録の中で16年間の首相としての体験談や会合した政治家への評価のほか、人生35年間を過ごした旧東独時代への思い出などが綴られている。
ところで、メルケル首相は10月1日、ハンガリーの首都ブダペストを訪れ、自身の回顧録のハンガリー語版のプロモーションを行った。同時に、ハンガリーのポータルサイト「パルチザン」のインタビューを受けている。問題はそのインタビューの中でのメルケル氏の発言が一部で批判を呼んでいるのだ。
同氏は、ロシア軍のウクライナ侵攻の理由について、「開戦直前、プーチン大統領との対話を模索していたが、ポーランドとバルト3国が強く反対したこともあって、実現できなかった」という趣旨の発言をしたのだ。
メルケル氏によると、2022年2月のロシアのウクライナ攻撃以前、EUとロシアのプーチン大統領とのより緊密な対話を望んでいた。同氏は2021年夏、フランスのマクロン大統領と共に欧州連合(EU)としてプーチン大統領と直接対話する新たな協議形式を模索していた。そのプロジェクトが実現できなかった責任はポーランドとバルト諸国にあったというのだ。
メルケル氏は当時、「ミンスク合意」がもはや真剣に受け止められていないと感じていた。同時に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、プーチン大統領と直接交渉する機会がなくなり、将来の問題解決が難しくなったという。
興味深い点は、メルケル氏は「新型コロナウイルス感染症が起きなかったら、プーチン大統領のウクライナ侵攻はなかったかもしれない。」と指摘していることだ。同氏によると、プーチン大統領はパンデミックを恐れて、2021年のG20サミットに参加しなかった。ゆえにプーチン氏と直接会う機会がなくなった。 意見の相違を直接会って解決できなければ、新たな妥協点を見つけることはできない。ビデオ会議では不十分だからだという。すなわち、ウクライナ戦争を誘発した最大の原因は中国武漢発の新型コロナウイルスだったという見解だ。新説だ。
メルケル氏の発言に対し、エストニアのツァクナ外相は「メルケル首相の発言は言語道断で虚偽だ。ロシアが全面的な攻撃に踏み切った理由は、プーチン大統領がソ連の崩壊を受け入れられなかったこと、そして西側諸国が常にプーチン大統領と交渉しながらも、彼の行動を無視しようとしていたことだ。 2008年のジョージア戦争も、2014年のロシアによるクリミア併合も、欧州の主要国は強い反発をしなかった」と指摘した。
ちなみに、メルケル氏は2008年のブカレストで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会談でウクライナのNATO加盟に反対している。ウクライナが当時、NATOに加盟できていたら、ロシアの侵攻はなかったかもしれない。メルケル氏は後日、ウクライナの加盟を阻止した張本人としてウクライナ側から批判を受けている。ゼレンスキー大統領はブチャ虐殺事件後(2022年3月)、「メルケル氏の2008年ブカレストでの加盟反対がこの結果をもたらした」と、名指しでメルケル氏を批判している。
独週刊誌シュピーゲル(2024年11月23日号)とのインタビューで、ロシアのクリミア半島の併合(2014年)後もメルケル政権がロシアとの間の天然ガスのパイプライン建設(ノルドストリーム2)を継続したことについて、メルケル氏は「ドイツの国民経済に私は責任を有していた。安価なガスをロシアから得ることは経済的に重要だからだ。私がもし当時、ノルドストリーム2の操業中止を主張したとしても議会や産業界は支持しなかっただろう」と説明し、「政治的にもガスパイプライン計画は意味がある。それを通じて、ロシアは西側と同じような経済的享受を受けることができるようになるからだ」と説明し、ロシアとの関与を一切遮断することは正しくないという自論を展開した。
いずれにしても、ドイツの政界ではメルケル氏はヘルムート・コール氏(任期1982年~98年)と共に最長任期記録保持者だけに、短期政権だった政治家より弁明しなければならない問題が多く出てくるのは当然かもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






