日本的破調英語の輸出こそ真のグローバルだ

グローバル化とは、歴史の進歩であり、人類の叡智の進展であり、理性の創造的な自己展開なのであって、最終的に、地球の上に、一つの世界市民社会を成立させ、理性の支配を実現し、暴力による支配を廃絶するはずである。

他方で、理性以外には人間には共通するものはなく、全てが個性的ある。グローバルは、理性による支配であると同時に、多様なる感性、心性、価値観、言語、食べ物、着るものなど全ての個性的なもの、多様なものの共存である。

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多様なものは、多様なものとして、相互に尊重しあい、相互に刺激しあい、相互に吸収しあい、相互に働きかけあうことで、新しいものを創造していくわけで、その過程が人類の進歩であり、世界市民文化の創造的革新なのである。

英語を生得の言語とし、正統な英語を話す人々は、世界共通言語としての正統な英語の普及を望むかもしれないし、英語以外の言語を生得の言語としている人は、正統な英語を身につけたいと願うかもしれない。しかし、正統な世界共通言語は、それができるとして、英語を基礎に置いたものかもしれないが、多様な他言語から新しい表現や単語が取り込まれて、正統な英語とはかけ離れたもの、即ち破調の英語になるべきである。

日本でグローバル化がいわれるとき、必ず英語教育の問題になるが、正しい英語を語学として習得することは目的ではないはずで、社会的行動として英語を使って意思を伝えることが目的なのだから、英語教育政策の課題は、英語を教えることではなく、英語を使う機会を作り、ジャパングリッシュ、即ち日本的破調英語を輸出することになるはずである。

日本固有の価値は、英語に翻訳され得ない場合もあるし、敢えて英語に置き換えない場合もあるので、英語のなかに日本語が外来語として入り込むことになる。英語のワギューは和牛だが、それは、日本にしかない特別な牛肉なのである。故に、そのまま、英語の単語になってしまったのである。

和牛は、日本の高度な品質にこだわったが故に、その故にこそ、グローバルな高級食材になったのである。しかし、他方で、牛肉が西洋の代表的な食材であったからこそ、グローバルになり得たわけで、単なる日本の固有性だけでは、グローバルな食材たり得なかったはずである。

日本のマンガ文化を日本の立場から日本の外へ紹介しても、マンガ文化のグローバル文化への創造的成長は起き得ない。日本のマンガ文化と、日本の外のありとあらゆる現代芸術の領域とが相互に響きあい、創造的に働きかけあい、何か新しいものが生まれてこそ、日本のマンガ文化がグローバルな貢献をなし得るのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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