保守の裂け目:参政党が楔を打ち込み始めた

尾藤 克之

2025年10月26日、宮城県知事選は無所属現職・村井嘉浩氏(65)の6選という結果に終わった。

1.6万票差だ。340万票余という数字を聞くと「圧倒的勝利」に聞こえるが、要するに50万票台の参政党推薦・和田政宗氏(51)にこそぎ落とされたということだ。正直、これほど戦々恐々とした県知事選の結果を見たことがない。既得権力側の視点で言えば「勝てよかった」という安堵だろうが、私が感じたのはむしろ「参政党、やるな!」という戦慄だ。

先日、仙台に出張した際、地元のコンビニで選挙ポスターを並べて見ていた年配の男性がいた。「どっちにしようか」とつぶやいていた。20年以上前なら、そんな迷いはなかったはずだ。村井一択だったろう。だがこの男性の表情には、明らかに「選択肢がある」という認識があった。その瞬間、参政党という存在の重さを感じた。

自民支持層の65%を村井氏が掌握した。一方、その自民支持層の27%が和田氏に流れた。つまり、保守陣営で三分の一近くが分裂しているのだ。これを「対立」と言わずして何と言う。

1990年代の自民党は圧倒的だった。地方政治なんて自民対その他、という構図だった。だが今は違う。自民の中からもアウトサイダー的な候補が出ては来るし、参政党みたいな新興勢力も現れる。

話を戻すと――土葬墓地整備問題が争点化したときの話だ。反対が74%に達した。だが村井氏支持層の中でも33%がこの問題で投票している。つまり、有権者は「この知事は土葬墓地で失政した」と認識しながら、それでも村井氏を選んだ。

なぜか。答えは簡潔だ。継続性への恐怖心だ。知らない奴よりは、知ってる奴。それだけの理由で票が動く。いや、それが日本の地方政治の本体かもしれない。

年代別で見ると、20~30代で和田氏が5割超。50代以下ではいずれも村井氏を上回った。参政党がこの世代に食い込んでいるのは、もはや無視できない。政策なんか誰も見ていない。だから参政党は強い。政策で判断されていないからこそ、「既成政治への反発」という純粋な感情だけで支持が集まるのだ。

ただし投票総数ではひっくり返る。60代以上の有権者が圧倒的多数だからだ。つまり、日本という国は既得権力層の構成そのものが現職に有利なのだ。民主主義というより、人口統計学的必然性だ。若い世代がいくら参政党に投票しても、爺婆が村井に投票する限り、現職が負けるわけがない。これは希望的な話ではなく、数学の問題である。

参政党の神谷宗幣代表は、選挙戦で5度の応援演説を行った。1000人超の聴衆を集めた日もあった。正直に言うが、参政党の組織力は本物だ。既成政党が失ってしまった「動員力」と「理想主義への訴求力」を取り戻そうとしている姿勢は、本気に見える。

対して自民党はどうか。「継続」「安定」という言葉でしか戦えなくなっている。つまり、自民は守備一辺倒なのだ。攻撃力を失った権力ほど惨めなものはない。

時間がない、というのが本当のところかもしれない。村井氏の次の任期は4年間だ。その間に参政党がどこまで力を持つか。若い世代がさらに投票年齢に達し、高齢層の投票数が相対的に減少する。これは確実に起きる。

次の北海道知事選が来る。沖縄もある。そこで参政党が「宮城での敗北を経てなお」という姿勢で現れるのか、それとも「やはり地方では限界」という空気が漂うのか。その分かれ目が、ここにある。

村井氏は勝った。だが日本の地方政治は確実に分裂を深めている。参政党という新しい受け皿が、若い世代にしっかり根を張り始めている。既成政党が対抗できるのか、ただ受け身に徹するのか、それとも再編を余儀なくされるのか。

その迷いの先に、日本政治の新しい地形がある。参政党がそれを完成させるのか、別の勢力が現れるのか。それすら、まだ誰にもわかっていない。

尾藤 克之(コラムニスト、著述家)

22冊目の本を出版しました。

読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)