オールドメディア批判論:受け手がFACTを確認することの重要性

我々が若い頃は情報ソースは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌といった媒体が主体で多くの人はそこに記載されている内容を信じる一種の性善説が前提だったと思います。私が子供の時、大人たちは「テレビでそう言っていた」「新聞にこう書いてあるじゃないか!」とあたかもそれらの情報を神聖化していた感すらありました。

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私は商人の子供でしたので家では読売新聞を購読していました。後々、サラリーマンのご家庭は朝日新聞を購読されている方が多いと聞き、「へぇ」と思ったものです。当時、高級紙になりそこねた朝日新聞と言われましたが、プライドだけは一流新聞でありました。一方、読売は社会面やスポーツ面が充実していましたが、もちろんこれは巨人ファンが多い関東の話だからでしょう。

関西では朝日以外に毎日と産経も強かったと記憶しています。特に産経は1950年までは「東の日経、西の産経」というほど経済新聞としての立ち位置だったことを知っている人はもう少ないのでしょう。そして名古屋は中日新聞。その他ほぼ各県に地方紙が存在しています。子供の頃、父親が近所付き合いでなぜか中日スポーツ紙を長く購読していました。当然、中日ドラゴンズ寄りの新聞でしたので巨人ファンである私には実につまらない新聞でありました。

スポーツ新聞は分かりやすかったのですが、一般紙も発行元によって記事のトーンが違うというのは一般人には割となじみが少ない話だったと思います。そもそも新聞を2紙以上購読する家は少なく、仮にそうだとすれば一般紙と日経新聞という組み合わせが主流だからでしょう。朝日と読売を定期購読する人がいればよほどの趣味か、特別な事情がある方だろうと察します。

秘書時代、出張がない時の私の朝の仕事は新聞の切り抜きをして社長と会長へのダイジェスト版づくりでした。主要5紙プラス業界紙の朝夕刊を全部チェックし、重要な記事と慶弔欄をカバーする5-6枚の「ひろが作るダイジェスト新聞」を配布していました。その時、新聞により報道のトーンはずいぶん違うな、というのを読み比べながら実感したものです。

さて、近年、これらメディアをオールドメディアと称し、批判されるケースが目立つ様なりました。特にそれが話題になるきっかけとなったのが兵庫県の斎藤元彦知事にかかわるメディア報道でこれに対して偏向報道だとSNSが反旗を掲げたことが本格的な「オールドメディアVSニューメディア」という対立軸のスタートではないかと思います。

アメリカでもトランプ1.0の際、同氏が、一部のメディアをコテンパンにやっつけてみたり、XでのSNS発信から自らのSNSプラットフォーム、トゥルース ソーシャルを立ち上げ自らの意見をどう主張するかというテクニック論が進化しました。

また最近、一部のインフルエンサーがオールドメディアを極めて厳しい口調で批判していることも目にします。そりゃそうです。インフルエンサーにとってみればオールドメディアはライバル関係にあるわけで、主要メディアが報じる内容はウソ、隠ぺい、偏向、ご都合主義…といくらでも文句を言えるわけです。そういう私はブロガーでありますが、ブログも当然、ニューメディアのカテゴリーなのですが、私はオールドメディアを批判する気は毛頭ありません。

理由は簡単です。立ち位置が全然違うのです。まず、グローバルな情報に関して1次情報(=生の発信元の情報)を得ることはSNSレベルではかなり厳しいのです。基本的にはニューメディアはオールドメディアの情報をベースにそれを評論、論評、賛美や批判という「感想文」を立ち上げるわけです。

確かにオールドメディアの報道は1次情報をうけて加工しているものも多いので私は1.5次情報ぐらいかと思っています。ある生情報に対して正面から捉えるか、裏から、あるいは側面から捉えるかは編集方針次第であり、メディアのビジネスの根幹であると言えます。かつて言われたように(今でもそうだと思いますが)広告主を記事でいじめられないという関係もありました。山崎豊子氏の小説だった記憶がありますが、朝日新聞をモチーフにしたドラマで編集部がある事件について辛辣な報道を行い、営業部が「売れなくなるからそんなこと書くな」という社内対立が描かれておりました。メディアは何処まで正直になるか、という分かりやすい例だと思います。

オールドメディアが1次情報源を基に1.5次情報を発するのを受けてSNS発信者が2次加工して自分の好きなように述べるわけです。その考え方に同調できる人はそこに群がり、フォロワーが何十万人というレベルになるわけです。食レポのYoutubeは1次情報をベースにした1.5次情報発信だと思いますが、動画の取り方とユーチューバーのナレーション次第で大したことない食べ物でも「うまそう」「あれ、次回食べに行く」という気にさせるでしょう。SNSは耳障りが良く、聞き心地、読み心地が良くて「そうなんだよ、俺もそう思っていた」と思わせる仕組みがある訳です。

野球のワールドシリーズで山本由伸さんが神業のようなピッチングでドジャーズを優勝に導きましたが、多くの日本の方は山本さん賛美のニュースが読みたくてそれこそ、スポーツ系報道を全部読む人だって多かったと思います。あれは読み手にとって快感そのものなのです。

ところがオールドメディアは一応、1億2千万人の誰が読んでもある程度「なるほど」と思わせなくてはいけません。当然、香辛料はマイルドになる一方、世論が割れずに絶対的な方向にあるニュースはめちゃめちゃ香辛料たっぷりになったりするわけです。このあたりは向こうも商売なのであります。例えば同じ強盗や殺人事件でも日本人が犯人の場合と外国人が犯人の場合では報道の温度は明らかに違います。

私はオールドメディア批判論そのものがよくわからないのです。そのメディアがなければ情報が取れないのです。政治部、社会部、経済部、国際部、文化部…それぞれが長年築いた人脈とニュースソース、データベースはSNSと対立軸関係になるという発想になりえないのです。あえて言うなら食レポの様なローカル情報はSNSの方が的を得ているものもあると思います。現場の生の声だからです。ただ、その声が一方的主張でも、ローカルなニュースにいちいち疑惑の目を向ける人も少ないので鵜呑みにしやすいとも言えるでしょう。

私が思うのは要は記事の読み方やニュースの見方を学べばよいだけだと思います。テレビニュースの例ですと私は日本のテレビニュースはYoutube経由で報道各社をある程度均等に見ています。国際ニュースだとTBSの充実度が高いのですが、偏向度も高いのでわざと外す時もあります。それは報道を正面から捉えるというより、答えありきでその答えに結び付ける報道シナリオの時がしばしばあるのです。これに気がついているので事実関係だけをさっと抑えるために報道各社のニュースの見方もしっかり見る時と聞き流す時のメリハリをつけ、他社報道も参照したりしてFACTを確認することもしばしばあります。

オールドメディア批判論に「そうだよな」と思っていた方、切り口はもっといろいろあると私は思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年11月7日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。