スカイツリーの麓、墨田区下町ぶらり寺社巡り

水戸徳川家の名残が残る墨田公園

墨田川沿いををぶらり散歩しています。前回の記事で隅田川を渡る観光船を浅草二天門乗船場で降りた私は、東武伊勢崎線の脇にある遊歩道「すみだリバーサイドウォーク」で隅田川を渡り、墨田区側に入ります。

浅草二天門乗船場付近の木々は秋色に染まっていました。散歩するのが一番楽しい季節。

曇天の中隅田川を渡ります。晴れていたらもっときれいな景色なんだろうな。

下り列車はやや遠い。

すみだリバーウォークの墨田区側はスカイツリーと東武伊勢崎線を走る車両が同時に見られる場所。撮影するなら上り列車を狙いましょう。

川を渡った先にあるのは隅田公園。スカイツリーの麓にある区民憩いの場所です。もともとは水戸徳川家の下屋敷「小梅邸」のある場所でした。小梅邸の遺構であるひょうたん池の周辺は日本庭園が造られていて、アオサギが数羽羽を休めていました。

墨田公園内から紅葉越しにスカイツリーを写す。

撫で牛が名物!1000年以上の歴史を持つ牛嶋神社

小さい神社ですが神楽殿にこんな動画が流れています。

こちらが撫で牛。痛いところを撫でましょう。

隅田公園の北東脇には牛嶋神社があります。9世紀、貞観年間に創建された歴史ある神社で、地元本所の総鎮守でした。ここには撫で牛がおり、痛みを感じる場所を撫でると治癒の御利益があるとされています。心が痛いときはどこを撫でたらいいんでしょうね、とツアー仲間に聞きましたがスルーされました。

鳥居脇のイチョウも黄金に染まって美しい。

ちなみにこちらの神社は珍しい三ツ鳥居。通常の明神鳥居に比べてより神聖な雰囲気が漂います。埼玉県の三峯神社や奈良県の大神神社もこの形です。

案内してくれた方に教えてもらった、寺社の説明書きを読んでいるように見える狛犬。確かにそう見えるのがおかしいです。

三井家が全力でお守りする三囲(みめぐり)神社

牛嶋神社から北に歩を進め、向島の三囲神社に来ました。

こちらの神社、狛犬や狐に混じってなぜかライオンがいます。実はこのライオン、かつてあった池袋三越の入り口に鎮座していたもの。

三囲神社は三越や三井物産、三井不動産などを率いる三井グループの守護社として三井家が熱く信仰しており、ライオンもその縁でここに奉納されました。三井の「井」を囲って防御しているように見え、三井の本拠、江戸本町の北東の鬼門にあたることからここを守護者として崇めたのです。

三囲神社のもう一つの名物が「三囲のコンコンさん」。他の稲荷神社によくある狐の像と違って、目が垂れていて何とも優しい表情です。この地域の人は目じりの下がった表情の人を「みめぐりのコンコンさんみてぇだな」と言っていたそうです。

神社の奥に回ると三柱鳥居に囲われた井戸がありました。牛嶋神社の三ツ鳥居以上に神聖さを感じる三柱鳥居。三角形の下の御幣に神の力が集められ、とんでもない力をいただけるような不思議な気持ちになります。

見番通りを歩いておやつを買いに。

牛嶋神社から三囲神社に来たときも歩いたのですが、そこからさらに北へ、見番通りを歩いていきます。「見番」とは芸者の取り次ぎや送迎などを行っている事務所。

この地域の見番である向嶋墨堤組合には今も11名の芸者が所属していて付近の料亭などに派遣されています。

そういう目線で見ると、この地域では芸者とつながる店舗が多くみられます。上のような割烹料理屋はもちろんですが、

舞踊を教える舞踊研究所、

着物の洗い張り店なんかもあります。他の地域ではない特色ですね。

さきほどの割烹料理屋に隣接するお寺は黄檗宗牛頭(ごず)山弘福寺。日本三大禅宗である黄檗宗のお寺です。かつては勝海舟がここで禅に参加したそうなのですが、関東大震災で焼失してしまい記録は残されていません。

風外和尚禅師

このお寺には風外和尚禅師の祠があります。かつて小田原の和尚だった風外が洞穴で求道生活をしていたときも父母を刻んだ像に拝み続けたという逸話があり、これに感激した小田原城主が江戸で祀っていたものがここに移転したと言われています。

「風外」という名から「風邪を外にやる」とのことで風邪封じ、コロナ封じの御利益があると言われています。これに肖りこのお寺ではオリジナルのど飴も売っているのでもしよろしければお買い求めください。

弘福寺の隣にある長命寺(ちょうめいじ)の境内を抜けて、墨田川沿いの首都高速向島ICまできました。インター目の前にあるのが長命寺桜もちで知られる「山本や」。創業は享保2年(1717年)といいますから300年以上も続く老舗です。

桜もちって、関東風と関西風で全く違います。蒸したもち米を乾燥させてあらびきした道明寺粉で作るため米の粒々感が残る関西風に対し、小麦粉を使用した餃子の皮のような記事で餡をまくのが関東風。

両者は同じ名前でも発症が全く異なる別の食べ物ですが、関東風の発祥の地がここ、「山本や」です。皮は着色せず、シンプルな白。餡はこしあんでくどくない上品な甘さです。

実は、桜もちに飽き足らずもうひとつおやつを購入しました。「山本や」さんのすぐ近くにある「言問団子」。こちらも創業は江戸末期で160年以上の歴史のある団子店です。

隅田川の河川敷で頂きました。作りたての団子はもっちりして柔らかく、餡がしっとりで甘い。桜もちとともに江戸時代の下町を感じることができるなんとも贅沢なおやつです。

言問団子店内にはちょっとしたギャラリーがあって、創業より受け継がれてきた道具などが展示されています。その中にこんな鳥が。

そして、店の看板にも。これはいったい何の鳥でしょうか。

「えっ、俺!?」

その正体は、この鳥。ゆりかもめです。伊勢物語の東下りの一節に登場する「都鳥」とはゆりかもめを指すと言われています。この時代の向島は砂洲が広がる河口のような場所でしたのでゆりかもめも多く飛んでいたのでしょう。言問団子では伊勢物語で登場するゆりかもめをモチーフに最中もつくっています。

なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる川あり。
それをすみだ川といふ。
その川のほとりに群れゐて、
「思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな。」
とわび合へるに、渡し守、
「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」
と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡し守に問ひければ、
これなむ都鳥
と言ふを聞きて、

名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

「伊勢物語 九段 東下り」より

さて、お腹も満たされたので今度は橋を渡って奥浅草に向かいます。

その記事についてはまた次回。to be continued!


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。