かつて山本五十六は言った。「強い犬は吠えない」と。
「偉人が残した名言集」を開くと、山本五十六の残した「強い犬は吠えない」という有名な格言にあたる。つまり、心のどこかに負い目を感じている人間は、表面上は猛々しい。自信のある人間、実力を持った人間を見抜くための目安として、覚えておくと役に立つ名言だ。
その五十六も、内政の圧力に押され、真珠湾攻撃の主役を演じる悲劇の主人となってしまった。内政主導の外交がいかに危険であるかの証拠ともいえよう。
今、永田町からは「弱い犬ほどよく吠える」を地で行くような勇ましい言葉ばかりが聞こえてくる。その筆頭が高市首相による一連の「台湾有事」発言だ。彼女の言葉は右翼の溜飲を下げる効果はあるかもしれない。だが、そこには致命的な欠陥がある。それは、日本がすでに世界最強クラスの「外交カード」を手にしているという事実への無知だ。
高市発言の裏に見えるのは、個人的な戦略眼の欠如と、武器としての経済を知らない「霞が関外交」の構造的欠陥である。日本は今、吠える必要などない。なぜなら、米中の首根っこを押さえる「静かなる実力」を持っているからだ。

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現代の「生殺与奪の権」は、素材・技術・製品にあり
現代の戦争——それはミサイルの撃ち合いが始まるずっと前に、サプライチェーン(供給網)の中で勝敗が決する。
日本が海外列強に対し絶対的な優位性を持つ「平和の秘密兵器」。それは素材だけではない。他国が巨額を投じても模倣できない「非可逆的な技術」「暗黙知のノウハウ」「独占的なキーパーツ」の集積である。
以下のリストを見てほしい。これらは単なる工業製品ではない。米中の覇権争いにおける「アキレス腱」そのものである。
1. 半導体・エレクトロニクス:デジタルの心臓部
【素材】EUVフォトレジスト(世界シェア90%超):
これがなければ、米国のAIも、中国のスマートシティも、ただの画餅に帰す。
【技術・ノウハウ】超高純度精製技術:
フッ化水素などを「イレブンナイン(99.999999999%)」まで高める現場の暗黙知。中国がどれほど資金を投入しても、この「レシピのない料理」だけは再現できず、日本に依存し続けている。
【装置】コータ・デベロッパー(東京エレクトロン):
半導体製造に不可欠なこの塗布現像装置は、日本が世界の9割を握る。このスイッチを切れば、世界のチップ生産は止まる。
2. 防衛・航空宇宙・ロボティクス:物理的な軍事力の骨格
【製品】精密減速機(ナブテスコ等):
ロボットやミサイルの「関節」となる重要部品で、日本が世界市場をほぼ独占。精密誘導兵器の制御は、日本の製品なしには成立しない。
【加工技術】ベリリウム・特殊セラミックス加工:
猛毒かつ難削材である戦略物資を、ナノ精度で加工できるのは日本の町工場や専門企業の技術のみ。米国の宇宙兵器でさえ、日本の「腕」に頼っている。
【素材】炭素繊維(東レなど):
「鉄より強くアルミより軽い」この素材なしに、最新鋭のF-35戦闘機もボーイング機も空を飛ぶことはできない。
さらに見落とせないのが、日本製鋼所が誇る世界一の鍛鋼技術である。同社の製品は原発や環境装置の心臓部だけでなく、多くの武器に欠かすことのできない部品の世界唯一の供給者である。
これらは、米国防総省や中国共産党指導部が「喉から手が出るほど欲しいが、作れない」ものばかりだ。日本は、世界で最も鋭利な「チョークポイント(戦略的急所)」を握っているのである。
「吠える」外交から「黙らせる」外交へ
高市首相は「台湾有事」を叫び、防衛費の増額や物理的な備えを強調する。もちろんそれも必要だろう。しかし、真のステーツマン(政治家)であれば、こう考えるはずだ。
「中国が台湾に手を出せないよう、経済と技術の生命線を静かに握ればいい」
中国にとって、日本からの素材やキーパーツ供給が止まることは、国家戦略「製造強国2025」の崩壊を意味する。米国にとっても、日本との同盟関係が揺らげば、自国の軍事産業基盤が瓦解する。日本は、どちらに対しても「NO」と言えるカードを持っている。
しかし残念なことに、日本の外交現場(霞が関)には、このカードを切る権限も勇気もない。経産省が管理するこれらの「宝」を、外務省が外交交渉のテーブルに乗せることができない縦割り行政の弊害が、国益を損なっているのだ。
「循環器」を支配する大国、「関節」を制する日本
ここで少し視点を変え、武道の極意から日本の立ち位置を分析してみたい。
大国(米中)の強さは、生物で言えば「循環器・呼吸器系」の強さにある。「ドル」という血液を世界中に循環させ、「巨大市場・物流網」という呼吸器でエネルギーを取り込む。これは圧倒的な国土と人口を持つ者だけが構築できる「システム」であり、縦割り行政の日本が最も苦手とする分野である。
対して、日本の強さは何か。それは「関節技」である。武道において、小柄な者が巨漢を制する関節技は、システムではなく、研ぎ澄まされた「個の技術(職人芸)」によって完成する。どれほど強靱な心肺機能を持つ巨人でも、指一本、首一つの関節を極められれば、その巨体は機能不全に陥る。
まさに今、日本が握っている半導体素材や精密部品は、米中という巨人が動くために不可欠な「関節」そのものなのだ。
結語:静かなる覇権国として
政治家に求められるのは、大国の真似をして「筋肉(軍事費)」を誇示することではない。まずは霞が関という「脳の機能不全」を治療し、縦割りの壁を破壊すること。そして、日本の技術者が血の滲む努力で築き上げたこの「関節技」の急所を、国益のために冷徹に行使できる体制(経済安全保障の統合司令部)を構築することだ。
システムを作る必要はない。システムが絶対に依存しなければならない「関節」であり続ければいい。今こそ日本は、吠えることなく世界をリードする「静かなる覇権国」としての自信を持つべき時なのである。
北村隆司 (ニューヨーク在住)






