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「おい、聞いてるのか」
「はい、聞いてます。で、終わりですか?」
——この会話、見たことあるでしょう。いや、見たどころか、当事者だという人も多いんじゃないか。

「変な人」(本郷陽二 著)きずな出版
うちの会社にもいた。仮にS君としておく。何度言っても同じミスを繰り返す。先輩が「何度言えばわかるんだ」と声を荒らげても、どこ吹く風。叱られてる自覚がない。というか、聞いてない。たぶん、頭の中では別のことを考えている。今夜何食べようかな、とか。
こういう若手、増えてる気がする。気がするというか、確実に増えてる。
「叱られ慣れ」というらしい。心理学の用語かどうかは知らないが、言い得て妙だと思った。
なぜこうなったか。少子化で大事に育てられた、SNSの誹謗中傷に慣れすぎて現実の批判もスルーできるようになった、いろいろ言われている。たぶん全部当たってる。ネットで「死ね」と言われても平気な人間が、上司の「ちゃんとやれ」程度で傷つくわけがない。ある意味、鋼のメンタルだ。褒めてない。
心理学でいう「合理化」とか「否認」に近いらしい。要するに、「俺は悪くない」「別に大したことじゃない」と脳内で変換してしまう。防衛機制というやつだ。本人に悪気はない。だから厄介なのだが。
で、どうすればいいか。
「お前はクビだ!」と怒鳴る? やめとけ。パワハラで訴えられて終わりだ。令和の時代、感情的な叱責は自分の首を絞める。
じゃあ何もしないのか。それも違う。
「インキュベーション効果」というのがある。免疫効果の心理学版だと思ってくれればいい。要は、いきなりドカンと最終通告するんじゃなくて、小出しにしていく。「このままだと信頼されないよ」「チームの一員として認められないかもね」——問題が起きるたびに、じわじわ伝える。
面倒くさい。わかってる。
でも、これしかないんだ。一発で目を覚まさせる魔法の言葉なんてない。根気よく、段階的に、「お前やばいぞ」と染み込ませていくしかない。同時に、具体的に何がダメで、どうすれば改善できるかも伝える。サポートもする。正直、そこまでやる義理あるのかと思うこともある。でも、やらないと何も変わらない。
それでもダメなら?
そのときは言うしかない。「うちの会社、君には合わないみたいだ」と。感情的にならず、淡々と。これも一種の誠実さだと思う。合わない場所で消耗させ続けるより、早めに別の道を示してやるほうが、本人のためになることもある。
叱るのが難しい時代だ、とよく言われる。そうかもしれない。でも、叱らないと育たない人間もいる。その加減が、昔より格段に難しくなった。それだけの話だ。
まあ、疲れるよね。本当に。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)







