新築マンションは誰が買えるのか? 実需から読み解く価格高騰の持続可能性

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首都圏の新築マンション市場は、いま一見すると「高値安定」に見える。しかし販売状況を丁寧に見ると、単純な需給逼迫とは異なる構図が浮かび上がる。

不動産経済研究所によれば、首都圏の新築マンション供給戸数は2000年前後には年間9万戸規模であったが、2023年以降は年間2万戸台にとどまっている。ピーク時の約3割水準である。

理論的には、供給が大幅に減少すれば価格は上昇し、契約率も高止まりするはずだ。しかし直近9か月の初月契約率は70%を下回って推移している。好調の目安とされる80%超には届いていない。

供給は少ない。価格は高い。だが販売の勢いは強くない。このねじれをどう解釈するべきか。

コスト構造の分解が示す価格上昇の本質

まず価格構造を分解する必要がある。マンション価格は大きく「土地」と「建物」で構成される。国交省が発表する建設工事費デフレーターを見ると、鉄筋コンクリート造住宅の建築費指数は2015年比で約3割上昇している。さらに都心部では地価も上昇傾向にある。地価公示によれば、東京23区の住宅地・商業地はコロナ後に再び上昇基調を強めている。

つまり価格上昇の背景には、建築費の高騰(全国的要因)と都心地価の再上昇(局所的要因)が同時に作用している。

ここで重要なのは、この価格上昇が「需要超過」によるものなのか、「コスト増加の転嫁」によるものなのかという点である。契約率の動きを見る限り、需要が圧倒的に強いとは言い切れない。むしろ、実需の支払能力が価格上昇に追いついていない可能性がある。

特に都心部では、土地価格の上昇寄与が大きい。建築費の地域差はさほど大きくないが、地価はエリア差が顕著である。その結果、東京23区では価格が突出し、周辺エリアとの差が拡大している。

投機的取引を主因としない理由

本稿では、完成前転売などの投機的取引を主因とは位置づけない。一部のタワーマンションでは短期転売が話題となっているが、供給総量との比較で見れば市場全体を説明する規模とは言い難い。むしろ本質は、実需ベースで現在の価格形成が持続可能かどうかにある。

価格のボトルネックはどこにあるのか

価格のボトルネックは3つの観点から整理できる。

第一に、所得との関係である。国税庁の民間給与実態統計によれば、平均給与は緩やかな上昇にとどまっており、不動産価格の上昇ペースとは大きな乖離がある。

第二に、金利である。日銀の金融政策正常化に伴い、住宅ローン金利は上昇基調に入っている。変動金利・固定金利とも上昇傾向にあり、購入者の実質的な資金調達コストは増加傾向にある。

第三に、新築と中古の代替関係である。築浅中古マンションの成約件数は増加傾向にあり、新築と中古の価格差が縮小するなかで、中古市場の役割が相対的に高まっている。

価格調整のパターンは多様化する

価格調整は必ずしも名目価格の下落として現れるとは限らない。専有面積の縮小、立地の外延化、仕様の調整など、商品構造の変化として顕在化する可能性もある。

たとえば、都心3区で70㎡の3LDKを供給していたデベロッパーが、価格維持のために55㎡の2LDKにスペックを変更する、あるいは駅徒歩5分から駅徒歩10分に立地をずらす、といった対応がこれに該当する。

こうした調整は表面的な価格指数には反映されにくいが、実質的な購入者の満足度や資産性には影響を及ぼす。価格が据え置かれていても、内容が変わっていれば、実質的には「価格調整」が行われていると見るべきである。

市場の見立て——コスト主導型の高価格構造へ

供給減少と価格上昇だけを見れば「強い市場」に映る。しかし契約率の動き、建築費と地価の寄与、実需の購買力を総合すれば、市場は需給過熱というよりも「コスト主導型の高価格構造」に移行していると見るべきだろう。

つまり、価格が上がっているのは「欲しい人が多いから」ではなく、「作るコストが上がっているから」である。この構造が続く限り、販売現場では価格と購買力のギャップが拡大し、結果として成約率の伸び悩みや販売期間の長期化が続くことになる。

問われるべきは持続可能性

マンション価格は今後も上昇し続けるのか。それとも構造的な上限に近づいているのか。

その分岐点を決めるのは、建築費でも地価でもない。最終的には、実需が支えられる価格水準である。

購入者の所得が伸びず、金利が上昇し、中古市場への需要シフトが進む中で、新築マンション市場がどこまで高価格を維持できるのか。この問いに対する答えは、今後数年の市場動向を注視することで明らかになるだろう。

いずれにせよ、市場の健全性を測る指標は、価格そのものではなく、その価格が実需によって持続的に支えられているかどうかにある。価格だけを見て市場を論じる時代は、すでに終わりつつある。