なぜ一部の中小企業だけが値上げできるのか? 価格決定権を持つ企業の条件

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中小企業は価格を決められず、大企業や元請の言い値で仕事を受けるしかない——日本では、こうした構図が半ば常識のように語られてきた。

しかし現実には、規模が小さくても自ら価格を決め、安定した利益率を確保している企業も確かに存在する。問題は、中小企業であること自体ではなく、「価格決定権を持てるかどうか」にある。

分かりやすい例が、群馬県横川で駅弁「峠の釜めし」を製造・販売する荻野屋である。同社の商品は全国的な知名度を持ち、他の駅弁と単純比較される存在ではない。そのため、原材料費や人件費の上昇を理由に、インフレが本格化する以前から価格改定を繰り返してきた。

ここで重要なのは、荻野屋が「安いから売れている」のではなく、「それを食べたいから買われている」商品を持っている点である。価格は競争で決まるのではなく、価値で決まっている。

製造業でも同様の構造を持つ企業は存在する。神奈川県茅ヶ崎市の由紀精密は、その代表例だ。同社はもともと精密部品加工の町工場であったが、オリジナルの超高級機械式時計(トゥールビヨン搭載モデル)まで開発・製造している。

ここでは、もはや価格競争の土俵に立っていない。顧客が評価しているのは加工単価ではなく、技術力そのものと、それを製品化する企画力である。結果として、同社は受注単価を自ら設定できる立場を確立している。

この二社に共通するのは、「価格を交渉する」のではなく、「価格を提示できる」構造を作っている点だ。つまり、比較対象が存在しない、もしくは比較が意味を持たない領域に自社を置いている。これはブランド力という言葉で片付けられがちだが、実態はより構造的である。製品やサービスの設計段階で、価格競争から離脱しているのである。

同様の企業は、日本よりもむしろドイツやスイスで多く見られる。いわゆる「ミッテルシュタント」と呼ばれるドイツの中堅中小企業の多くは、極めて狭い分野で世界市場を支配するニッチトップ企業であり、価格を自ら設定する力を持っている。スイスの精密機器メーカーや部品メーカーも同様で、品質・信頼性・代替不可能性によって価格決定権を維持している。

対照的に、日本の多くの町工場は、工程単位でサプライチェーンに組み込まれ、製品設計や最終顧客との接点を持たない構造にとどまってきた。その結果、価格は常に上流から与えられ、賃金も利益率も引き上げにくい。ここで起きているのは、技術力の不足ではなく、事業構造の固定化である。

なぜ構造転換が進まなかったのか。その一因は、中小企業政策が長らく「存続」を前提に設計されてきたことにある。設備投資補助金や運転資金支援は充実していても、事業モデルの転換や市場ポジションの変更を本気で後押しする制度は少ない。結果として、既存の取引関係を前提とした経営が温存され、価格決定権のないポジションから抜け出せない企業が多数残存してきた。

価格決定権を持つ企業が示しているのは、「規模」ではなく「構造」が収益性を決めるという事実である。技術を持っていても、それが最終価値に結びつかない位置に固定されていれば、賃金も利益も上がらない。一方で、価値の源泉に近い場所に立てば、中小企業であっても価格を自ら決めることができる。

中小企業支援において本来問うべきは、「何社を生き残らせるか」ではなく、「どれだけ多くの企業が価格決定権を持てる構造へ移行できるか」である。そのためには、技術開発支援だけでなく、製品企画、ブランド構築、海外市場開拓、さらには企業再編や事業統合まで含めた政策設計が必要となる。

価格を決められる企業が増えなければ、賃金は上がらず、国内需要も回復しない。インフレ局面に入った今、日本経済にとって最も重要なのは、価格転嫁を議論することではなく、価格決定権を持つ企業をいかに増やすかという構造改革である。中小企業政策の焦点は、まさにそこへ移されるべき段階に来ている。

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