イラン戦争はトランプが勝利宣言したが、イランがホルムズ海峡の自由航行を許さず、イスラエルはレバノン爆撃を再開し、終わりが見えない。おそらくイスラエルは、最後まで戦争を続けるつもりだろう。汚職で訴追されているネタニヤフにとって、これが「最後の戦争」だからである。しかもこれはネタニヤフ個人の意思ではない。ヨルダン川西岸の占領を批判する野党も、イラン攻撃は支持している。ヒズボラやハマスを支援するスポンサーがイランだと考えているからだ。しかしイスラエルが中東を全面支配しない限り、テロの脅威は終わらない。
「苦難の神義論」が唯一神教を生んだ
これを見て、私はウェーバーのいう苦難の神義論を思い出した。それは旧約聖書から福音書に至るまで一貫する「苦しむ者が救われる」という思想である。キリスト教は弱者のルサンチマンに迎合するマゾヒズムだと指摘したのはニーチェだが、ウェーバーはその影響を受けて本書を書いた。
悲惨な運命を救済の前提とするユダヤ人の心理構造のルーツは、紀元前6世紀の「バビロン捕囚」まで遡る。ユダヤ王国がバビロニアとの戦争に敗れ、ユダヤ人はバビロニアに連行されて奴隷になったのだ。
自分たちが信じているヤハウェが、他国の神々に敗れ、異郷の地で奴隷となったとき、ユダヤの民は深刻なアイデンティティの危機に直面した。そこで「第二イザヤ」と呼ばれる預言者が提示したのが、苦難の神義論である。
捕囚の悲惨のなかで第二イザヤは、その普遍主義的な神観を最終的帰結にもたらした。ヤハウェのみがこの世界の創造者であり、世界史の支配者であって、この世界の過程はヤハウェの隠された計画のもとに行なわれるのである。(『古代ユダヤ教』)
一つの民族が一つの神を信じる一神教は珍しくないが、ユダヤ人は世界を支配する唯一の神を信じる唯一神教となることで苦難を合理化したのだ。
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