トランプ大統領は議会の権限である関税を大統領令で決め、それを連邦最高裁が違法と判断すると、新たな抜け道を探して関税率を上げた。議会の承認なく戦争を始め、それを承認する期限が来ても議会を無視している。
アメリカ合衆国が国家として存立する根拠である合衆国憲法を大統領が掘り崩すのは恐るべき事態だが、これは初めてではない。法の支配は英米法に特有の概念で、歴史の大部分では実定法に優越する統治は珍しくなかった。
法の支配を超える官僚機構
近代国家の原則は、立法府が制定する実定法が至高の規範で、官僚機構はそれを執行する公僕にすぎないというものだが、これは実態とは異なる。法を超える権力は遍在するからだ。中国やロシアでは、独裁者の意向が法を超えるが、アメリカでもそうなりつつある。
晩年のフーコーのテーマは権力だったが、その研究として予告した『性の歴史』が挫折したあと、8年間沈黙した。彼は中世の司牧的権力が近代の統治性(法治国家)に移行する過程をたどるが、その統治性を支える権力を説明できなかった。
本書は統治性の起源をスコラ神学からたどりなおし、彼のアポリアを救おうという試みである。アガンベンは、フーコーが見落としたのは、統治性のコアにあったオイコノミア(統治)の概念だと論じる。
これは古代ギリシャで「家計」を意味する概念だったが、キリスト教では神が世界を統治する摂理の概念となり、これが世俗化して「王権」と「統治」に分化した。王権は主権=立法権として純化されたが、統治をになう官僚組織はさまざまな宗派に分化し、激しい内戦をもたらした。
つまり統治性はフーコーが考えたように真理で基礎づけられる普遍的な概念ではなく(聖俗の)官僚機構として発達したのだ。実定法はそれを規律づける最小限のルールであり、大統領に絶大な権限を与えると、トランプのようにその抜け穴を利用する行政官が出てくるのは必然だった。
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