2月にコロナ騒動以来初めてのイタリア旅行に行った。エミレーツ航空を利用して、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマに二泊ずつという旅行をしてきた。ホテル代、鉄道代も込みで25万円という手頃なパックを見つけたことも理由だ。
関西空港23時発でドバイ経由。機体は巨大なエアバスA380で快適そのものだったし、24時間、免税店もレストランも開いているドバイ空港も素晴らしかった。それが10日ほどあとにあんなことになるとは想像しなかった。FIXの元祖ドバイチョコも土産に買ってきたが、いまや貴重品だ。
ヴェネツィアはオーバーツーリズムの実態調査も目的だったが、ちょうどカーニバルのシーズンだし、海面が上昇してサンマルコ広場が水浸しになるアクア・アルタも経験できて、いろいろな意味で有意義だった。
どうせダメ元で、世界一美しい劇場といわれるフェニーチェ劇場のHPにアクセスしたら、ヴェルディの『シモン・ボッカネグラ』の少し角度が悪くて舞台が見えにくい桟敷席が安くで空いていたので、これもゲットした。36年ぶりにマリア・カラス・コンクールを観て以来であるが、1996年に火事で焼けた。その後、忠実に復元されたが、金色がまぶしく明るくなっていた。イタリアの劇場のチケットは、昔は外国から入手するのが難しく、現地についてからキャンセルが出るのを探したり、ダフ屋から買ったりしていたが、便利になったものだ。

ミラノ・スカラ座 anouchka/iStock
驚いたのは、カーニバル期間中なので、客も一割くらいは仮装してコスプレ大会になっていたことだ。
『シモン・ボッカネグラ』は、『椿姫』や『リゴレット』と同様にこの劇場で初演されたのだが、都市国家ジェノバの門閥派と平民派の権力闘争を描いたもので筋が難解であり、女性歌手の出番が少なかったりするので、音楽としては交響曲的な緻密さは凄いが、一般的な人気はあまりない。


ただ、クラウディオ・アバドがこれを評価し、シュトレーレルの演出で大成功し、1981年のスカラ座日本引っ越し公演の初日の演目にして話題になった。カップッチッリ、ギャウロフ、フレーニという歌手陣だった。いまでは歌劇場の引っ越し公演は当たり前になったが、当時は少なかったし、オーケストラ、合唱団なども引き連れ、演出もミラノでのものを忠実に再現したという意味で画期的で、おかげでドイツ音楽至上主義だった日本の音楽界でもすっかりイタリア・オペラへの評価を変えた。演目はアバドの指揮で『シモン・ボッカネグラ』『セビリアの理髪師』『ヴェルディのレクイエム』、カルロス・クライバーで『オテロ』『ラ・ボエーム』だった(私はフランスに留学中なので観ていない)。
このスカラ座の引っ越し公演は、創価学会系の民音が主導して招聘したことでも知られる。組織の力で入念な準備をしたことで、かつてない水準の引っ越し公演となり、創価学会の文化事業の成功例とされる。
この招聘事業準備のために、当時の池田大作会長がミラノに赴き、その際にスカラ座の正面桟敷貴賓席に登場して現地では話題になった。そのときは引っ越し公演は発表になっていなかったので、大統領などが座る貴賓席に日本人の集団が現れたため、何事かと話題になったわけである。
ただし、そのときは6月なのでオペラ・シーズンは終わり、ロンドン交響楽団の演奏会だったようだ。指揮者は当時のスカラ座音楽監督のクラウディオ・アバド。曲目はオール・ムソルグスキーで、《管弦楽のための4つの小品》《合唱と管弦楽のための4つの小品》《展覧会の絵》という珍しいものだった。もちろん、東京での『シモン・ボッカネグラ』は池田会長も観劇したはずだ。
このときの演目のうち、『オテロ』と『シモン・ボッカネグラ』は凱旋公演としてよく似た布陣でミラノでもそのシーズンに上演され、これを私も見ている。『オテロ』は、筋書きも言葉がわからなくても間違えようがない。ゼッフィレッリの演出も写実的だから中世のキプロス島の世界に浸れた。クライバーが登場して指揮棒を振り下ろし、最初の音が鳴り出したときから身震いするほどの感動が続いた。歌手はドミンゴ、フレーニ、ポンスだった。
一方、『シモン・ボッカネグラ』は天井桟敷で押し合いへし合いといった感じで観た。ただ、事前に筋書きの予習はしていたが、当時は字幕などなかったので筋書きは途中でさっぱり分からなくなった。
今回のヴェネツィアでは英語の字幕もあったし、スマホも場内で使えたので、日本語の歌詞対訳を見ることができ、とてもよく理解できた。
このフェニーチェ劇場と私の出会いは、ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』の冒頭で、この劇場で『イル・トロヴァトーレ』の上演中にイタリア独立派がビラを撒いて決起する場面を見たときだが、二月の上演では労使紛争中の組合の人々が抗議のビラを天井桟敷から撒いていた。
スカラ座での経験を語っているもう一人の有名人に三島由紀夫がいる。1960〜61年に新婚旅行で世界一周した三島由紀夫は、正月にスカラ座でヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でベートーヴェンの『フィデリオ』を観ている。
カラヤンが音楽監督を務めていたウィーン国立歌劇場でのプロジェクトをそのままミラノに持ち込んだもので、ビルギット・ニルソン(レオノーレ)、ジョン・ヴィッカーズ(フロレスタン)、フランツ・クラス(ドン・ピッツァロ)、ゴットロープ・フリック(ロッコ)、ヴィルマ・リップ(マルツェリーネ)、ハンス・ホッター(ドン・フェルナンド)だった。
三島は、こんなことを書いている。『旅行中、この小説(「獣の戯れ」)の構想がまとまらず、しじゅう頭に引っ掛かっていた。それが音楽の影響で一夜にしてまとまったのだが、こういうことは私にとってはじめての経験である。それは今年(昭和36年)のお正月に、ミラノのスカラ座でカラヤン指揮のオペラ「フィデリオ」を見た晩のことである。私はあんなに官能的なベートーヴェンを聞いたことがない。耳から入るものには鈍感な私だが、カラヤンの棒は音楽をはっきり目に見せるのである。それは例の「レオノーレ第3番」であって、暗い世界苦の潮の中から壮麗な官能的な歓喜が徐々にわき起こるあの音楽は、その晩の私から完全に眠りを奪ってしまった。ホテルの一室で、深夜、突然「獣の戯れ」の構想がすみずみまで心にうかんできた。あとは帰朝後、虚心に原稿用紙に向かえばよかったのである。』(三島由紀夫:「わが小説―「獣の戯れ」」・昭和36年11月13日・朝日新聞)
『フィデリオ』の序曲をベートーヴェンは何度も書き直している。いちばんできがいいのは『レオノーレ第3番』だが、あまりに立派すぎてオペラが始まる前に満腹になってしまう。そこで簡素な『フィデリオ序曲』に書き直したのだが、『レオノーレ第3番』も捨てるのは惜しいので、第三幕の前奏曲として演奏されることが多い。
私は1980年だったと思うのだが、パリのオペラ座で小澤征爾指揮で観た。トマス・ヴィッカーズにギネス・ジョーンズという歌手たちが素晴らしいのはいうまでもないのだが、やはりベートーヴェンはオペラには肌合いが合わない違和感が強かった。
そこに、第二幕が終わって休憩なしに間髪を入れずに真っ暗な場内で鳴り出したこの曲は、私の最高の音楽体験の一つだ。当然、15分にも及ぶこの曲が終わったら、もう後はどうでもいい感じで、オーケストラ作曲家としてのベートーヴェンとオペラ作曲家としてのベートーヴェンの差、さらにはそのころはまだオペラでの経験がもうひとつだった小澤の得意・不得意も痛感した。また、クラシックの音楽会ではオペラでなくとも舞台を暗くした方がいいのではないかとも思った。
そして、その話を人にしていたら、三島由紀夫のエッセイに同じような話があると聞き、上記の作品に出会ったというわけだ。

三島由紀夫氏(Wikipediaより)・池田大作名誉会長(創価学会HPより)
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【目次】
序章 公明党と新党の今後を展望する
第1章 日本人が知らない巨大教団の実像
第2章 仏教史からひもとく創価学会の歴史
第3章 公明党とは何か
第4章 現代史からひもとく公明党60年史
終章 創価学会と公明党の未来








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