トランプ大統領と破壊衝動 --- 辻 貴之

トランプ大統領 The White Houseより

トランプ大統領の言動に世界全体が振り回されています。ホルムズ海峡が事実上封鎖される事態となり、原油価格が急騰し、世界経済に大きな打撃を与えています。

トランプ大統領はイスラエルのネタニエフ首相の口車に乗せられ、明確な出口戦略を描くことなく衝動的にイランへの軍事攻撃を決断したのでしょう。最高指導者ハメネイ氏の殺害に成功したものの、イラン側の反撃も想定以上に強硬であり、軍事衝突が長期化する懸念が高まっています。

トランプ大統領は自分の考えはすべて正しく、誤りを認めようとしません。実際はアメリカ社会だけでなく国際社会全体に大きな害悪をもたらしているのですが、その点を理解しようとしません。いや、それどころか理解する能力そのものが欠落しているのでしょう。トランプ大統領の心理分析は、いまや喫緊の課題となっています。

ハーバード大学のリチャード・ランガム教授の『善と悪のパラドックス』(NTT出版)は、私たちホモ・サピエンスを「最も温厚で最も残忍な種」と規定し、人間の特性として「協力的で思いやりがありながら、同時に残忍で攻撃的」な面を挙げています。重要な箇所を引用します。

なぜ殺すのか? 不穏ではあるけれども生物学的に意味をなす答えは、殺しを楽しんでいるからだ。進化は他者を殺すことを快楽にした。殺しを好きな者は適応の恩恵を受ける傾向がある。

一見、この考えは荒唐無稽かもしれない。見知らぬ相手を殺して快楽を覚える人はふつういない。しかし、無秩序な世界で暮らす小規模社会の戦士が出会う他者は、今日私たちが出会う他者とは大きく異なる。

戦士は、見知らぬ他人の武器や衣服、方言を手がかりに、その相手が自分の社会の一員か否か瞬時に判断できる。敵対する近隣社会のメンバーは真の意味での他者であり、おそらく人とはみなされない。そして、戦士も相手も互いにとって危険な存在になりやすい。攻撃の成功を楽しむというのはぞっとするが、意義はある。

他者を殺害することが進化的適応だったのです。私たちの心が進化した太古の昔は、今日では想像もできないほどの過酷な環境でした。警察もなければ法律もない、「力こそ正義」の時代です。こうした環境のなかでの生存競争は非常に厳しく、人の心に宿る憎悪もまた進化適応の産物だったと考える研究者が増えつつあります。

人間性に内在する「悪」について本格的に論じた著作として、元ハーバード大学教授マーク・ハウザー氏の『EVILICIOUS』があります。若くして教授にまで昇進しながらも、論文不正の疑いによって大学を去ることを余儀なくされました。

題名は「EVIL(邪悪さ)」に由来するものと思われますが、同書によれば、Cruelty = Desire + Denialとなります。強い残酷性とは、他者の存在を否定する欲望(快感)なのです。

太古の昔、限られた資源をめぐって他集団と争う状況は日常茶飯事でした。そうした状況下では、憎悪を心のエネルギーとして活用し、相手(集団)を殲滅するほうが有利であることは明白です。過酷な環境下において、生き残るための適応的な感情が「Cruelty」だったのです。私たち人類は、見知らぬ他者どころか、親族や友人など身近な人たちを殺害することも珍しくなかったとのことです。

「Cruelty」のことをここでは「破壊衝動」と呼ぶことにします。もちろん個人差はありますが、人の本性の一部なのです。そして今日の世界で、強烈な破壊衝動の持ち主として存在感を示しているのが、アメリカのトランプ大統領です。

私たちヒトの心も身体と同様、進化の産物です。21世紀のサイエンスの中核は進化心理学だとの指摘がありますが、いまや進化心理学は人間性理解に必須のツールであり、とりわけ大きく進化したのが認知メカニズムです。

私たちヒトも利己的遺伝子の乗り物である以上、自分の存在を正当化する方向に淘汰圧が強力に働きます。たとえば他者をだます前にまず自分をだましておく「自己欺瞞」が進化したのも、無意識の領域にあるダークな感情を自分の意識から隠すことに成功したからです。言語能力を獲得したことで、人は大々的に自己欺瞞するようになりました。自分自身さえだますのですから、他者をより効率よくだませるようになります。

「確証バイアス」と呼ばれるメカニズムも同様です。人の認知メカニズムには、自分にとって都合の良い情報だけを取り入れ、都合の悪い情報は無視あるいは軽視する傾向があり、これが確証バイアスです。やはり自分の信念や意見を正当化したいという欲求が無意識に働くメカニズムです。

人の心が破壊衝動に染まると、自己正当化の必要性も高まり、確証バイアスも強く働きます。そして確証バイアスが働くと、自分の考えや判断の誤りを認められなくなります。なにしろ都合の悪い情報は脳にインプットされないのですから。他人の意見に耳を貸せない、独善的かつ自己正当化の極みの状況です。

人の思考において確証バイアスが働くケースは思いのほか多く、人は合理的に思考や意思決定のできる存在だとみなす従来の人間観は完全に否定されています。いまやむしろ、人はなぜかくも不合理な行動をするのかを問うことが、認知科学などの重大なテーマとなっているのです。理性的人間観を前提としたリベラルな政治信条が世界的に凋落の時期を迎えたのは、自然の成り行きといえるでしょう。

強い破壊衝動をもつ人のもうひとつの特徴として、被害者意識による思い込みが激しいという点が挙げられます。ユヴァル・ノア・ハラリ氏は『NEXUS 情報の人類史』(河出書房新社)において、「トランプ大統領の世界観が驚くほどマルクス主義とよく似ている」と指摘しています。

虐げる者と虐げられる者の権力闘争が人間社会の根幹だという見方ですが、トランプ大統領の主張によれば、第2次世界大戦後の国際社会において、アメリカは都合よく他国から利用されるだけであり、その結果、多大な損害を被り国力が衰退したというのです。強烈な被害者意識です。

イランが降伏に応じることなく軍事的抵抗が長引くにつれ、トランプ大統領の発言も二転三転するなどブレが目立つようになりました。ただ自分の考えは常に正しいとして自己正当化を図る意図だけは首尾一貫しています。発言が矛盾していることなど、気にもかけていないことでしょう。

トランプ大統領の心は破壊衝動に染まり、健全な人間社会を著しく嫌悪しています。健全な人間社会や秩序ある国際社会を壊すのが快感なのです。第2次世界大戦後の国際秩序を主導してきたのはアメリカであり、全体主義国家のソ連を崩壊に追い込むことにも成功しました。民主主義国家のリーダーとして、国際社会はアメリカに対し信頼を寄せていました。そうした秩序や信頼を自ら壊そうとするのがトランプ大統領です。

トランプ大統領はビジネスマン出身であり、経済的利害にばかり固執しているとの見方があります。ただ、あの関税政策はアメリカの企業にとって負担となり、国民にとっても物価の高騰に苦しむことになります。

「アメリカ・ファースト」をスローガンに掲げながら、アメリカ社会を壊すことを目的としているのではと疑われる政策も珍しくありません。自己正当化のメカニズムが強く働くあまり、アメリカ社会にとって誤った政策でも、アメリカ社会に多大の恩恵をもたらしていると考えてしまうのです。まさしく破壊衝動のなせる業です。

ホルムズ海峡の事実上の閉鎖が長引き、トランプ大統領はNATO諸国や日本・中国・韓国などに海軍の派遣を要請しました。しかしアメリカが同盟国に相談せずに始めた軍事攻撃ですから、NATO諸国や日本はその要請を断りました。

不満をあらわにしたトランプ大統領はNATO諸国を公然と厳しく批判し、それ以前から広がっていたアメリカとヨーロッパの民主主義国家との亀裂が、より深刻なレベルにまで達しています。中国やロシアといった覇権主義国家の台頭もあり、民主主義国家の団結がよりいっそう求められる状況にもかかわらず、自ら墓穴を掘るトランプ大統領です。

トランプ大統領はウクライナ戦争においても、プーチン大統領の肩を持つかのような発言が目立ちます。従来の常識では考えられない事態です。これまでの国際秩序を壊したいとの意図は明白です。

ただアメリカの民主主義システムも強固です。11月に行われる連邦議会の中間選挙において、アメリカ国民がどのような判断を下すのか。このまま推移すれば、共和党が大きく後退することもあり得ます。そうなれば、トランプ大統領の求心力も大幅に低下することでしょう。アメリカの民主主義の真価が問われています。

辻 貴之
元公立高校教師。教員時代、平和主義を標榜しながらも攻撃的な姿勢を見せる左翼系組合員の矛盾した言動を目の当たりにし、脳科学や心理学に関心を持つ。現在は「自己欺瞞」や「確証バイアス」といった心理学的アプローチから日本政治の分析を行っている。著書に『民主党政権は、なぜ愚かなのか』(扶桑社新書)、『「憲法9条信者」が日本を壊す』(産経新聞出版)がある。

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