今回の日米首脳会談で驚いたのは、左翼がそれに反対してデモをやったことではなく、保守派のマスコミがこれを手放しで歓迎したことだ。

フジテレビ
首脳会談で初めて実現した成果はゼロ
峯村氏は「破綻が回避」できたことが収穫だというが、会談で出た話は事務レベルの交渉で決まったものばかりで、破綻するはずもなかった。高市首相の冒頭発言が「NOと明言せずにNO」という岩田氏の解釈も逆だ。発言の全体はこうである。
私は世界の繁栄、平和に貢献できる、世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思っている。そのために私は諸外国に働きかけてしっかりと応援したいと思っている。今日私はそれを伝えにきた。
「世界に平和をもたらすのはドナルドだけ」というのがNOという意味なら、これには「あなたが停戦すれば戦争は終わる」という言葉が続くはずだが、高市氏は「応援したい」と言った。これは日本がトランプの空爆を応援するという意味である。
2人とも日本がイラン戦争に巻き込まれるのを回避したことを成功と呼んでいるが、NATO諸国もトランプの派兵要請を拒否し、トランプも「応援はいらない」とSNSに書いた。
会談の直前には日本を含む6ヶ国がアメリカの空爆を強く非難して「ペルシャ湾に派兵しない」という共同声明を発表していたのだから日本が派兵しないことは既定方針で、会談の成果ではない。

日本は本当に独立しているのだろうか
それより問題は、国際法違反の国の首脳に「応援する」と媚びを売った首相の態度だ。海外のコメンテーターはこれは「外交ではなく朝貢だ」と呼んだ。
1946年にアメリカが起草した憲法が、日本が自国のエネルギー供給を担う海峡を防衛するための軍艦を派遣できない理由だ。トランプはこれを知っている。真珠湾の発言は外交的な失言ではなかった。それは非対称性を握る者が誰かを思い起こさせるものだった。
トランプは日本の首相に向かって「おまえの国は敗戦国だ。おれの言うことを聞くのが当たり前だが、あの憲法はおれたちが書いたものだから許してやる」と、高市首相を面と向かって侮辱したのだ。トルコ人は冷ややかに見ている。
現在の日本国憲法は、アメリカ占領統治の影響のもとで作られました。
本当の問いはここにあります。
日本人は今、その憲法を捨てて、本当に自由に自分たちの憲法を書き直すことができるのでしょうか。 pic.twitter.com/IiWCenyYpT— Prof. Dr. B. Gültekin Çetiner (@drcetiner) March 23, 2026
日本が敗戦国だという事実は変えられないが、憲法は変えられる。しかし日本人は永久にそれを変えないだろう。それは中国の脅威を考えると現実的な選択だが、主権国家とはいえない。
属国としては宗主国のご機嫌を伺うのはやむをえないが、それが恥ずかしいという意識ぐらい持ってほしいものだ。高市氏に羞恥心がないことは周知の事実だが、日本人がみんなこんな恥知らずだと思われるのは迷惑である。高市応援団も、ひいきの引き倒しはやめたほうがいい。






コメント
まず、「高市氏に羞恥心がないことは周知の事実だが」などなど、こういったたぐいの人格攻撃は駄目だと思います。
閑話休題
池田氏の問いかけは傾聴に値する。対米依存の構造的問題、憲法9条が生む非対称性、そして主権国家としての矜持――これらは真剣に向き合うべきテーマだ。しかし論考には、賛同しがたい点がいくつかある。
◆事実認識の誤り
最も重大な問題は、6カ国共同声明の読み違いだ。
池田氏は「アメリカの空爆を強く非難して『ペルシャ湾に派兵しない』という共同声明」と説明しているが、
実際の声明はイランによる民間船舶への攻撃とホルムズ海峡の事実上の封鎖を「最も強い言葉で非難」したものである。
米国の空爆を非難した文書ではなく、「派兵しない」という文言も存在しない。
むしろ「安全な航行確保のための適切な取り組みに貢献する用意がある」と積極的関与を表明している。
これは論旨の根幹に関わる事実誤認であり、看過できない。
◆「成果ゼロ」という断定の乱暴さ
外務省・米側双方の発表には、SMR・天然ガス発電への大規模投資、重要鉱物サプライチェーンの強靱化、
防衛協力の深化といった具体的な成果物が列挙されている。政治的評価が分かれることと「成果物が存在しない」ことは別問題だ。
また、会談直前にイラン情勢が急変し、議題が根本から覆るという極度の緊張下において破綻を回避したこと自体、
外交の現場を知る専門家が高く評価するのは理由がないわけではない。
「破綻するはずもなかった」という断定は、外交という動態的プロセスを静的に捉えすぎている。
◆創作発言の問題
「おまえの国は敗戦国だ。おれの言うことを聞くのが当たり前だが」という直接話法は、いかなる公式記録にも存在しない。真珠湾発言の底流にある意識を「意訳」したものとしても、事実として発せられた言葉と筆者の解釈を混同して提示するのはジャーナリズムとして問題がある。
◆賛同できる点
対米依存の非対称性という構造問題の指摘には一定の妥当性がある。
その制約の中でいかに主体性を確保するか、という問いは常に問われ続けるべきだ。
◆結論として
「ポチ」「恥知らず」といった言葉は、本来あるべき構造的議論を感情論に矮小化する。
池田氏の問題意識の核心は傾聴に値するだけに惜しい。
高市外交への礼賛も、全否定も、どちらも現実の複雑さを捉えていない。
追伸
個人的には【イランはどうすればいいの】がキーだと思う。
核を放棄して地獄を見た国もある。それがあるのに【核放棄しろ】と説得できるのか。
そこがややこしくしているボトルネックなのだから。