黒坂岳央です。
Xで議論を呼ぶ投稿がなされた。
「恨みに飲まれた人は、例外なく自分の人生が止まっている」という。確かに損得論として正しい。
だが読者の反応を見ると「それが出来たら苦労しない」「仕返しをしないと前に進めない」という声が溢れている。
ここで考えたい。恨みは晴らすべきか、それとも許すべきか。
筆者の答えはどちらでもない。そもそも深く恨まなくて済む状態を、技術で作るべき。それが本稿の主張だ。

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恨みには2種類ある
最初に整理しておく。恨みには構造が異なる2種類がある。
一つは逃げ場のない環境での蹂躙だ。学校でのいじめ、職場でのハラスメント、家庭内暴力。被害者が自分の意思では離脱できない関係において徹底的にやられる。これは辛いし、心に大きな傷を残す。
こういうケースは話が別で恨みを生じさせた責任は加害者側にある。SNSでも「学校でいじめた相手の就職先に、過去のいじめ記録を出して相手の人生をダメにしてやる」といった強い怨念を見ることがある。
もう一つは任意の関係における裏切りや損害だ。友人、知人、ビジネス上の付き合い。自分が選んで入った関係で傷つくケースである。上述のXの投稿は後者だろう。そして後者においては、恨みが生じた責任の幾ばくかは自分側にもある、と筆者は考えている。
筆者自身の失敗歴
自分の経験を話す。
若い頃、バイト先で知り合った男に拝み倒されて金を貸した。「友達を失いたくない」と思って断れなかった。返ってこなかった。当時の全財産近い金額だったので強く恨んだが、取り戻すことはできなかった。
独立してからも詐欺に遭った。結構な金額だ。裏切りも嫌がらせも受けた。そのたびに強い憎しみを感じた。
だが今、振り返って思うことがある。あの経験のどれもが「自分のリスク管理の甘さ」と不可分だった。
なぜ断れなかったのか。なぜ初期段階で距離を置かなかったのか。なぜうまい話を疑わなかったのか。感情的には「やられた」だが、構造的には「関わったら負け」な相手を見抜けなかったのが本質だ。
恨まない状態は技術で作れる
恨まない状態は技術で作れると思っている。
「恨みを捨てろ」「前を向け」という精神論は意味がない。問題なのは感情ではなく、意思決定の技術だ。
傷が深くなる前に損切りする技術。他人に頼りすぎない距離感の設定。うまい話を鵜呑みにしない懐疑の習慣。初動はスモールスタートで様子を見る。金の貸し借りはしない。
これらは全部、小さなルールの集りだ。感情修行でも道徳でもない。リスク管理のシステムだ。
このシステムが整備されていくと、そもそも「深く裏切られる」状況に陥る頻度が激減する。傷が浅ければ恨みも薄い。薄い恨みなら時間をかけずに処理できる。
「恨みが合理的な場合」も存在するか?
恨みを動力にした行動が合理的なケースはゼロではない。法的手段で損害を回収する、評判を正当な手続きで正す、こういった対処は有効だ。
ただし条件がある。感情が抜けた後で、冷静に動く場合に限る、と。
X投稿への引用返信にこんなコメントがあった。「訴訟って自爆テロに最適では?多額の損害賠償請求を起こせば負けても相手に弁護士費用を負わせられる。これを繰り返せばダメージを与えられる」という発想だ。
これは相手へのダメージを目的化して自分のコストを度外視している。これが感情に支配された意思決定の典型だ。
「仕返しを済ませないと前に進めない」という声もある。気持ちはわかる。だが感情の解消と実務的な対処は分離できる。怒りに駆られて動くのと、冷静に有利な手を打つのは全く別の行為だ。
◇
「恨みは晴らすべきか、許すべきか」、どちらも問いの立て方が間違っている。
恨まなくて済む状態は、感情のコントロールで作るものではない。意思決定のルールを整備することで、そもそも深く傷つく状況に入らないようにして作るものだ。
呪いたくなるような泥沼に最初から踏み込まない技術を身につけることだ。晴らすでも許すでもない。それが最も合理的な自己防衛である。
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