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先日、アゴラにて東京都行政書士会の会長選挙が東京高裁によって「無効」と断じられた前代未聞の事態と、それを会員に隠蔽し続ける執行部の体質について発信した。

その後、筆者は、会費の使途(多額の訴訟費用等)や法的瑕疵について回答期限を設け、問い合わせを行った(具体的な問い合わせ内容は当職のホームページに掲載済)。しかしながら、同会からの回答は一切なく、完全な黙殺に終わったのである。

その代わりに、令和8年3月27日、一般には公開されない東京都行政書士会の「会員専用サイト」に、『当会の会長選挙に関する裁判等の情報について』というタイトルで、ひっそりと次のような会長名義の「お知らせ」が掲示された。同訴訟に係る費用や同会の見解についても問い合わせたが、間接的な反応があったものとして受け止めている。
「訴訟につきましては、関係者の個人情報に配慮する必要もあることから、当会では情報を厳重に管理しており(中略)何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます」
司法から選挙無効という組織の根幹を揺るがす判決を受けながら、その説明責任を「関係者の個人情報」という言葉を盾にして拒絶したのである。これは法律の専門家集団として、あまりにも法治主義を愚弄する詭弁ではないだろうか。
次に、この異常性を論理的に浮き彫りにするため、情報公開法制の学術的視点から分析を試みたい。
日本大学法学部の友岡史仁教授は、論文『情報公開および個人情報保護の基本的考え方』の中で、情報公開制度が持つ重要な機能として「権力機関の統制(コントロール)」を挙げている 。情報公開を通じて第三者が客観的に活動を評価できる枠組みを置くことで、権力機関の暴走を防ぐという機能である 。
さらに同論文では、国や地方自治体といった純粋な行政機関にとどまらず、「民間委託を受けた民間業者にも同様の制度を及ぼすべき」と、行政と類似の事務を行う者への制度適用の必要性を指摘している 。
たしかに東京都行政書士会は地方自治体ではない。しかし、行政書士法に基づく「強制加入団体」であり、独占業務を持ち、会員に対する指導・監督権限という行政に準ずる強大な権力を持っている。極めて公益性の高いこの組織において、友岡教授が指摘する「権力機関の統制」という情報公開の理念が強く求められるのは自明の理である。行政機関情報公開法1条が謳う「国民に説明する責務」 は、行政書士会においても会員や社会に対して等しく負うべき義務ではなかろうか。
では、同会が説明拒絶の理由とした「個人情報」の扱いは妥当か。友岡教授の論文によれば、情報公開制度と個人情報保護制度は「情報二制度」として一体的に捉えられ、相互補完的な関係にあるとされる。情報公開が大原則である一方、個人情報保護制度は、その情報に係る「本人のプライバシー保護」を狙いとするものである 。
ここが最大のポイントである。東京都行政書士会が行った会長選挙が地裁及び高裁で無効と判断されたことや、その訴訟に伴って会員の浄財(会費)から支出されている巨額の弁護士費用などは、一個人のプライバシーの問題などでは断じてない。公益団体のガバナンスという「公の事実」である。
つまり同会は、本来個人の権利を守るための「個人情報保護」という概念を、組織の不祥事を隠蔽し、執行部への批判をかわすための「便利な盾」として悪用しているのである。これは、情報公開と個人情報保護という「情報二制度」の理念を根本から歪め、破壊する行為に他ならない。
都合の悪い事実には「個人情報」というラベルを貼って蓋をし、密室で物事を進める。このような古き悪しき組織の病理が「頼れる街の法律家」のトップでまかり通っている現状を、社会は決して許容してはならない。
情報公開の根底にあるのは、権力に対する「的確な理解と批判」の保障である。私は実務家の端くれとして、この不誠実な隠蔽体質に対し、引き続き徹底的な批判と統制の光を当てていく覚悟である。
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照井 遼
東京都行政書士会・東京都行政書士会千代田支部所属。千葉県松戸市で活動する行政書士。7年間の国会議員秘書経験を経て、市内の防犯強化や医療的ケア児支援などを訴える。「絆が原点。声が原動力。」を掲げ、松戸市の課題に挑む。一児の父。







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