人生を裁く重さに、裁く側は見合っているか:裁判官マップが問うもの

東 徹

「裁判官マップ」というアプリが話題になっている。

経緯をざっくり言えば、こうだ。

悪質な口コミを削除しようと訴訟を起こした原告が、「口コミは閲覧者が直ちに信用するものではない」という理由で敗訴した。それを受けて原告側の弁護士が、「それなら裁判官に対する口コミも同様に扱われるのか」という問題提起として公開したサービスだと理解している。

弁護士が生成AIを活用して作ったという点も、なかなか時代を感じさせる。

これにX上の医師たち、いわゆる「医クラ」が強く反応した。

医師の怒りは身内びいきか

普段、私は医師たちの尊大な態度に苦言を呈することが多い。だが今回ばかりは話が違う。医師に同情する、どころか、同じ怒りを感じている。なぜ医師がここまで反応するのか。単なる身内びいきで片づけると、本質を見誤る。

医師たちには、医療訴訟を通じて裁判所に対する怒りが積もりに積もっている。医学的に見て明らかに不当だと思われる判決が複数あり、それが診療現場に実際の影響を与え、医療体制全体、医療費の増加にまで波及している、と多くの医師が感じているからだ。

医療訴訟における具体的な問題については、それを詳述した記事があるのでそちらを参照してほしい。

警察とマスコミの「二枚舌」構造:推定無罪を踏みにじる情報リークと医療現場での対応など|救急医やっくん
はじめに 最近、「裁判官マップ」が話題になっています。裁判官マップとは、日本の裁判官について氏名や経歴、担当事件、判決傾向などを整理し、一覧化・可視化した非公式のデータベースであり、弁護士である田中一哉本人が作成に関与したことを公言していま...

では、医師たちの怒りの根っこは何か。自己洞察の結果、私はこう結論づけた。

左右される人生の重さと、裁判官という人間の責任の引き受け方が、釣り合っていない。

責任の非対称性という問題

裁判とは、当事者の人生を極めて大きく左右する行為だ。場合によっては、生死に関わるレベルで。 医師はその重さを特に強く感じる立場にある。社会的にも自覚的にも、その地位の大きさを十分に知っているからだ。不当な判決一つで、長年かけて積み上げた医師としての人生が台無しになりかねない。そのリスクを肌で感じているのが医師という存在だ。

もちろん、これは医師だけの問題ではない。誰の人生であっても、どのような立場であっても、不当な裁判で生き方を歪められていいはずがない。問題の核心はここにある。

当事者にとっての不利益は巨大だ。しかし裁く側は、誤判のコストを十分に引き受けていないように見える。その責任の非対称性が、深刻な不信を生んでいる。

こちらの人生がかかっている以上、裁く側にも、それに見合うだけの緊張感と説明責任を求めたくなる。これは感情論ではなく、当然の要求だろう。

専門性という問題

さらに医療には、他の分野にはない固有の難しさがある。専門性の高さだ。

「いや、裁判官も真剣にやっている」という反論はあるだろう。実際そうかもしれない。しかしそれにしては、という判決が多い。医師ならあり得ないと思う判断。基礎的な医学知識をきちんと調べたのか。調べてその結論なのか。ひょっとして私情やイデオロギーが入ってはいないか。そう疑いたくなる判決が、現実に存在する。

医療という分野は、裁判官の「その分野への理解のための努力と思慮深さ」が、結果として可視化されやすい。一般市民にとっても命に関わる問題として関心が高く、その判決の影響の大きさが伝わりやすい。だからこそ今回の件で医師の怒りがこれほど広がったわけだ。

医師の怒りを一般化すると

人は、自分の人生を大きく左右する判断主体に対して、十分な力量と説明責任の両方を求める。

これは普遍的な感情だ。医師たちが裁判官に怒っているのは、自分たちを特別扱いしてほしいからではない。自分たちの人生が軽く扱われることへの疑念と不信が、先鋭化した形で現れているのだ。

こっちの人生がかかっているのだから、お前も人生を賭けるくらいの覚悟で判断しろ。

現実的に可能かはともかく、そう叫びたくなる心情自体は、十分理解できる。

自分も含めて、自己評価の高い医師という存在は、客観的に見ると自意識過剰で恥ずかしく感じる面は否めないのだが、今回ばかりは「誇り高い一般市民の違和感が可視化されたもの」として受け取ることが、正確かつ有用と私は思う。

不可視の権威が終わる時代

今まで、裁判官は評価される側にいなかった。裁く側だけが可視化する側だった。それがSNSとAIによって変わった。裁かれる側もまた、裁く者を評価できるようになった。裁判官マップはその象徴だ。

是非はともかく、このサービスが登場したこと自体が、時代の変わり目を示している。「不可視の権威」だけでは正統性を維持できない時代に入った。

AIが問い直すもの

AIの活用は、もはや避けられない。人類最高峰の知性にアクセスできるツールが、誰の手にも届くようになった社会では、知識量や情報処理能力によって担保されていた知的階層としての権威は、事実上無効化される。裁判官も、その例外ではない。

そうなると最後に残る人間の役割は、その判断を自らの名で引き受け、責任を負う主体であるかどうかだろう。これは単なる医師と裁判官の小競り合いではない。裁判官マップをめぐるこの騒動は、法治主義の正統性とは何か、ひいては権威とは何か、そして国民の納得をどう取り戻すのか、という大きな時代の問いを突きつけている。

これは、医師にとっても同じである。

医師と患者の関係は、裁判官と被裁判者の関係と相似形だ。

医師が裁判官への不信感を抱き続けてきたのと同じように、患者もまた医師への不信感を抱き続けている。だからこそ医療裁判がある。

つまり、医師は裁判官へ向けるのと同じ刃を、自らも突きつけられているのである。


編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2026年4月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。

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