憲法記念日なので少し憲法や法律について考えてみたいと思います。
突然ですが、皆様は日本の法律に「決闘罪」というのがあるのをご存知でしょうか?制定されたのは1889年。明治の時代とは言えまだ武士の名残があり、果し合いがあった頃に作られた法律で現在でも有効です。通常の暴行罪との違いは双方が場所と時間を特定して果たし状的な一騎打ちのようなことをした場合に適用されます。想像するに悪ガキが河川敷で夜、集まって闘う感じでしょうか?しかし、決闘罪という言葉はいかにもなじみがなさすぎます。
日本で一番古い法律は「改暦の布告」で旧暦を廃止し、太陽暦とすることを定めたもので明治5年に発効されています。当時は太政官布告の時代で三権分立の下で法律が出来たわけではないのですが、そんな歴史を持つ法律もまだいくつか現存するわけです。まさにへぇの世界であります。
相撲を見ていて時折、これは何という決まり手なのだろうと思うことがあります。ビデオ室にいる決まり手係が判断をするのですが、なかなか難しい判断の時もあるでしょう。同様に事件が起きるとどの法律を適用させるかこれまた難しい判断を迫られることも多いと思います。欧米社会では法治国家として法律が無尽蔵に作られていくわけで、法律同士の取り合いも難しいケースが出てきているのではないかと想像します。
英国には憲法がないという話を以前しましたが、単純社会の時代には人は道徳心で統治する前提であり、高度な知能を持つと自負する英国人ならなおさら自分たちの考えこそ最も崇高であるとぐらい思っていたのかもしれません。一方、アメリカは移民国家としての流れでしたから様々な常識観をもつ人々を社会という一つの枠組みに収めるには法律が必要でした。そして技術革新が進み、人々の価値観が変化すれば当然それに合わせて法律を改定したり新たに法を制定したりする必要があるわけでこれが今日、議会や国会で日夜議論されている最重要業務とも言えるのです。
その法律の前提になる枠組みが憲法であり、その憲法の枠を超えると違憲ということになります。法律は社会の変化に合わせて改定されていきますが、憲法という枠が変わらない限り法律に改定余地が無くなるわけです。今般の世界の動乱に関して第9条は第9条のままでよいのか、という議論が高まっているのは戦後長らく平和が続いたのに突如ウクライナやらガザやらイランでの戦争が起き、それ以外にもきな臭い話があちらこちらから聞こえてくる中で「世界は平和、日本も当然平和」という前提の第9条は憲法という枠組みを見直さざるを得ないところにあると言えるのでしょう。よって概ね7割の日本の若者が憲法改正に肯定的だというのはもちろん昔を知らないこともありますが、現実を見た場合に枠組みが実態に合わないということを直感的に感じているということでしょう。

高市首相 首相官邸HPより
天皇陛下は象徴とされます。日本の憲法も象徴なのか、というのがここに提示したい点なのです。平和憲法とも称される長年日本の精神的基盤とも言える憲法は象徴的でもありますが、複雑化した現実社会に則したものである必要があるのです。とはいえ、法律のように簡単に改定できず、唯一と言ってよいほどの国民による決議を求められるプロセスがある点は憲法がいかに尊重されるかを十分担保しているとも言えます。
また私が改憲に前向きなのはもう一つ理由があります。それはもしも国会で2/3の発議をもって改憲の動議が出来た場合、国民は「自分たちが決めなくてはいけない」という強い認識を持つでしょう。それこそ若者からお年寄りまでそれまで「俺には関係ない」「私はそういうのは分からない」という人まで大いに憲法論議が進むわけです。それは国民が一体となって考え、判断をするというめったにない機会を提供するとも言えないでしょうか?
そういう意味で私は改憲機運が盛り上がってくれることに大いに賛成するのであります。今の国会の構成と世論の盛り上がりは素晴らしい機会にあると考えています。今後の展開に期待したいところであります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年5月3日の記事より転載させていただきました。






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