黒坂岳央です。
「コスパ」という言葉は誰しも「やるのが普通、やらないのは情弱」という感覚があるのではないだろうか。確かにかつてはそうだった。筆者は価格.comが流行り始めた頃、「同じものを割高で買うのはもったいない」と考えていた。
だが時代は変わった。今やコスパが「大衆思考」そのものになった。コスパがいいものは常に混雑し、常に売り切れと戦うことになる。その結果、コスパを追うと逆に貧しくなる時代になったと感じる。
ここでいう「貧乏」とは金銭的な貧困に限らない。お金の貧乏だけでなく、時間の貧乏、そしてチャンスの貧乏がある。皮肉なことにコスパを求めると「時間貧乏、チャンス貧乏」になるのだ。

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コスパを追う人が「時間貧乏」になる理由
現代における「コスパ」は大衆が殺到している状況を示している。
筆者が住んでいた熊本のスーパーの特売日は真鯛が安い日がある。1尾でたったの1000円という驚きの価格だ。開店前から行列が出来、売り場には多くの人で奪い合い、レジには行列ができる。
筆者は一度、セール日に真鯛を買う経験をしてから、二度とセールの日に行かなくなった。理由はわずか数百円を節約する代わりに、30分以上の時間を確実に失うからだ。これではまったく割に合わない。コスパはいいが、タイパは最悪だ。
そしてこれは自分に限った話ではなく、多くの人にも共通する話だ。仮に時給1000円の人が30分並ぶなら、500円の時給とイーブンになる。いや、疲労する分、下手したら赤字だ。時給が1000円以上の人はほぼ確実に損をする。得をするのは時給の概念がない年金ぐらしの退職者くらいである。
旅行でも構造は同じだ。格安プラン、繁忙期の安い部屋、人気観光地のピーク時間帯は「価格が安い=大衆が集中する座標」といえる。安さを選べば、チェックイン行列、朝食会場の混雑、騒音という「不可視のコスト」を自動的に引き受けることになる。宿泊客が騒がしくて夜眠れなかったりする。旅行の本来の目的であるリフレッシュは、この時点で相当にマイナス圏に入っているだろう。
交通機関しかり、格安SIMのカスタマーサポートしかり、行政窓口しかり。価格を下げたビジネスモデルは、その分だけどこかのコストを削っている。削られた部分は、ほぼ例外なく「顧客の時間」として回収される。だからコスパがいいものは大体タイパが悪い。
大衆は「コスパ」を自分に言い聞かせ、時間を売って安さを買っている。コスパの追求は時間貧乏になる。
「チャンス貧乏」という損失
時間の損失よりも、実は深刻なのがチャンス貧乏だ。
コスパを徹底的に追求する人の行動は、高い再現性を持つ。安い日に同じスーパーへ行き、人気の定番商品を買い、混んでいる場所に並ぶ。確かに節約すると嬉しさがこみ上げてくるだろう。だが、それが幸福度の最大値である。この行動原理は「予定調和の最大化」に過ぎない。
しかし予定調和の外側にこそ、チャンスは転がっている。
コスパが悪い日に旅行へ行くと、誰もいない広い空間を独占する贅沢を味わえる。筆者は空港へ行くとあえて高めの店へ行く。激安店は長蛇の列ができ、「一人◯分でお願いします」と張り紙が出ているが、高めの店は人が少なくゆったりと過ごせる。多少、目先のお金が減っても空港でゆったりと過ごす時間はそれ以上の価値がある。節約をしてしんどい思いをするのはまったく節約コストに合わないのだ。
コスパ追求とは、行動の最適化である。最適化された行動は、定義上、想定外の余白を持たない。
余白のないところにチャンスは生まれない。常に最安値しか選ばない人生には、「偶然の出会い」「思わぬ発見」「予期せぬ展開」が起きない。安さの代わりに手に入るのは、節約という名の予定調和だ。そこには面白さも驚きも何もない。これを続けると、人生から「面白さ」と「驚き」が消える。感情は動かなくなり、人生が灰色になるだろう。予定調和の積み重ねは確かに損はしないが、得られるのは「節約」だけなのだ。
筆者はこれまでの人生、素晴らしい人との出会いやチャンスは大衆の逆方向にあったと振り返る事ができる。多くの人が群がる場所には本当に面白いものが落ちていたことは一度もなかった。
◇
コスパを捨てることは情弱ではなく、むしろ時間とチャンスという回収不能なリソースを守る合理的戦略だ。
大衆が安さを求めて一点に殺到するとき、その群れから外れた人間には裁定機会が生まれる。空いている棚、空いている席、空いている場所などだ。そこにこそ、節約では絶対に手に入らないものがある。コスパを追うほど貧乏になる。お金の話ではなく、時間とチャンスという、より希少で取り戻せないリソースの話だ。
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